第二十六話 大切な人を守りたいだけ

 お父さんが「ごめんなさい」と泣きを入れたところで、家族会議が開かれる事になった。もちろん言い出したのはお母さんだ。普段は優しい人だけど、こんな時には誰も逆らえない……私たちは、三人でリビングのソファーに腰掛けた。ローテーブルに置かれたコーヒーとウエハースバー、カップは四つ。来客用のカップを見て、お母さんが溜息を吐いた。


「せっかく来てくれたのに、どうしてあんな追い出し方をしたの?」

「……だって」

「だって、じゃないです。そもそも空港からここまで、強引に連れて来たのは誰?」

「俺です……」


 お父さん、完全に涙目。何だか可哀想になって、ウエハースバーの包装を一つ解いて差し出すと、素直に受け取り黙って食べた。


「そのお土産だって、きちんとリコに聞いてくれたんじゃないの。うちに来る予定があったわけでもないのに、お父さんを立ててくれたんでしょう?」


 私は言ってないけど、黙っておこう。誤魔化すように笑って頷くと、お母さんから頭をぺしんと叩かれた。


「リコ、あなたも何か隠してるでしょう」


 うっ、と思わず詰まってしまった。私はお母さんへの隠し事が成功した試しはない。お父さんがじっと私を見て、そして泣きそうな声をあげた。


「……やっぱり、あの男と泊まってたのか。一緒に東京行ってたから、土産もお前が選んだんじゃないのか」


 すっかり解けたと思っていた誤解が、思わぬ形で再燃した。お母さんも私を見ながら何かを考え込んでいる。ハヤトくんの「これ以上拗らせるな」という声が脳内で再生された。


「本当にヒマちゃんたちと遊んでたんだってば……ほら、これ」


 リビングに置きっぱなしになっていたバッグからお財布を取り出して、今日のレシートを出して見せた。ハロウィン小物、リンメルのアイカラー、パンケーキランチ。記載されている店名は、どれも福海の市街地だ。


「ちゃんと福海のお店でしょ。このお店を出てから空港行ったの、わかる?」


 パンケーキハウスのレシートを目の前に突きつけると、お父さんがぐうう、と呻きながらローテーブルに突っ伏してしまった。


「う、疑ってスマン……」

「他に何か、話しておきたい事があるんじゃない?」


 お父さんの謝罪を遮るかのように、お母さんが私の顔を覗き込んだ。話しておきたい事――そうだ、どうしてハヤトくんが退学したのか、私はきちんと説明しなくちゃいけない。

 だけど、それを話すという事は、手紙の話もするという事だ。つまり、きわどい写真を撮らせていた事も、流されていた噂の事も……全てを、打ち明ける事になる。

 ずっと黙っていた事を言わなくてはいけないのは、怖い。きっと「もうコスプレなんか辞めてしまえ」と言われるに違いない。だからさっき、ハヤトくんは私を止めたんだ。

 反対されれば、自宅で衣装を製作する事が出来なくなる。衣装を作るお金だって、お小遣いや写真集の売り上げで足りない分は、お母さんが家計から出してくれていた。作業を手伝ってくれる事もあったし、縫い方がわからないところは教えてくれた。どんな加工をすればそれらしく見えるか、一緒に考えてくれたりもした。

 まだ友達と一緒にコスプレをしていた頃、みんなと撮った写真を見せて、お父さんが得意気に「リコが一番かわいいなぁ」って笑ってくれた事もあった。

 私は、そんな時間を止めたくなかった。でも、もう、全てを話さないと。ハヤトくんの人生を、自分のせいで変えてしまったことを。


「お父さん、お母さん……あのね、私ね――」


 つい、泣きそうになる。震えを抑えながら話し始めた私の方を、二人は黙ったままで見つめていた。

 そのまま、一通りの話をした。

 高校三年生の夏のこと。その後、私がどんな活動をしていたか。どんな写真を撮らせていたか。メイくんが、その写真をどう扱ってくれていたか。

 ハヤトくんの、絵のモデルになった事。届いた手紙の事。その脅迫から私を守るために、ハヤトくんが退学した事。友達のおかげで、手紙の問題は解決した事――だからこそ、ハヤトくんが復学を決めたという事。

 話し終えると、お父さんは真顔のまま、私の頬を平手で思い切り叩いた。お父さんに叩かれたのは、これが初めての事だ。


「……今、何で叩かれたのか、リコはわかるか?」


 お父さんが、叩いた頬を擦りながら尋ねてくる。やっぱり泣きそうなお父さんの顔を見て、私は涙を止められなくなった。


「へんなしゃしん……とらせた、から……」

「そうだな。自分を大事にしないのは、怒るよ。あとは、相談してくれなかった事」

「だって……こすぷれ、やめたくなかった……」

「だからこそ、相談しないといけなかった。何かあっても話してくれないんじゃ、俺は『もうやるな』としか言えないだろ……俺、そんなの、言いたくなかったよ……」


 お説教をしながら、お父さんまで泣き出した。二人で子供みたいにわんわんと泣いていたら、いつのまにかお母さんが、スマホをこちらに向けていた。


「うんうん、これも思い出の一ページよねぇ。記録記録」


 どうやら動画を撮影しているらしいお母さんを見て、お父さんが顔を覆いながら「やめてサッちゃん!」と悶えだした。母サトミ、やめる気ゼロ。


「お父さんがお父さんらしい事してるんだもの、ちゃんと残しておかないと」

「サッちゃん! 俺、こんなの残されたら恥ずかしくて死ぬから!」

「いいじゃない、真剣なんだから恥ずかしくないわよ」

「いやぁー! もうやめてぇー!」


 これもお母さんの策略なんだろうなぁ……なんて思いながら、大騒ぎを始めた二人を見ていた私は、うっかり手の甲で擦ったアイメイクの始末に困り果てる事になった。


 メイクを落として目元を冷やしていると、隣に座って同じように目元を冷やしていたお父さんが「今日は外食にするぞ」と言い出した。「もうお化粧落としちゃったんだけど」とか「お母さんが煮込みハンバーグ作るって言ってたのに」とか、色々と言いたい事はあったけれど……きっとそれは、些細な事なんだ。私は黙って頷いた。


「それでだ、ええと……車出すから、パウザに行こう」


 パウザとは、大学の近くにあるトラットリアだ。大学に合格したお祝いだと言って、三人で食べに行った事がある。だけどパウザに行ったのはその一度だけだし、そんなに思い入れがあるお店でもない。うちからだと結構な距離があるし、途中で福海の市街地も抜けて行くのに……どうしてわざわざ、パウザまで行くのだろうか。

 なんで、と私が聞きかけた時、お父さんがテーブルの上のウエハースバーに手を伸ばした。


「……ハヤトくん、も、近くなんだろ。これのお礼、まだしてなかったからな」


 野菜スティックを齧るウサギのように、ウエハースバーを齧るお父さん。つまり、ハヤトくんを誘う為に、大学の近くで食べようという事らしかった。


「もう、怒らない?」

「むしろ謝らないとな。うちの娘のせいでスミマセンでした、って」


 費用負担も考えないとなあ、とお父さんが呟いた。全然思い付きもしなかったけれど、確かに私のせいなのだから、申し出るのが筋なのかもしれない。そういう部分に考えが至らない私は、ぬくぬく生きてるお子様という事なんだろう。きっと、最初の時点でちゃんと相談しておけば、大人の視点からのアドバイスを貰えたんだろうな……。


「私、バイトして、自分で払うよ」


 今までずっとバイトは反対されてきたのだけれど、お父さんは「そうだな」とだけ言って、ウエハースバーをもう一本手に取った。

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