第二十話 別の誰かを想うキミが好き

 ニッシーがビール片手に、犯行動機を語り始めた。


「俺の好きな子が、ハヤトの事を好きで……リコちゃんには悪いけど、俺はその子をハヤトに選んで欲しかった。俺の方を見てくれなくても、良かったんだ」


 ふおおお、とヒマちゃんが奇声を発した。ニッシーに好きな人がいるという事自体、おそらく初耳だったのだろう。

 意外な事にイシバシくんが「マジかよ」と言いながら頬を赤くして、お箸で摘んでいたお豆腐を真っ二つにした。


「も、物好きもいたもんだな……」


 毒っぽい事を言いながらも、すっかり口元は緩んでいる。耳までは赤くなっていない。


「そんな事したって、絶対に喜んだりしない子なのにさ……しかもハヤトは退学するし、さすがに後悔したよ。だから、どうしてもハヤトを大学に戻したかったんだ」

「それで復学させようって言い出したのか」


 カメヤンが呆れたようにツッコミを入れつつ、梅ご飯を頬張る。


「で、好きな子って誰?」


 さも当然のように、メイくんが笑顔で質問をぶつけた。今この場にいる全員の代表質問だ。


「サーセン、俺、ちょっとトイレ……」

「ダメ!」


 逃げようとしたニッシーを、小悪魔ヒマちゃんが抱き付いて止めた。


「ねー誰? だーれー? やっぱ美術科?」

「バカ! 乳がモロに当たっとるっつーの!」

「私のおっぱいなんて大した問題じゃないよ!」


 問題ありありだよね、とメイくんが私を見ながら苦笑している。昔の自分も同時に笑われているような気がしてきて、私は何となく肩をすくめた。

 そうだ、ヒマちゃんは、昔の私に似ているんだ……どれだけ戻りたいと思っても戻れない、演じようとしても演じきれない、友情は絶対だと信じていた頃の私に。


「全部吐いちまえば楽になるぜーゲヘヘ、もう隠し事はなーんにも無しだぜ旦那ぁ」


 ヒマちゃんはお構い無しに、ニッシーへガンガン迫っていく。この能天気な押しの強さ……クスクスと笑うメイくん、色々と思い出してしまう私。


「そうだよなー、こんだけ振り回されたんだから、罰ゲームの一つくらいはなぁ」


 ヒマちゃんとカメヤンが二人揃って、ニッシーに向けて「こっくはくー!」と囃し立て始めた。


「こりゃ酒が美味くなりそうだな、芋のお湯割りシチサンで頼むわ」

「いいね、僕も飲もうかな。いい肴が手に入ったし、楽しい飲み会になりそう」


 イシバシくんやメイくんまでもが軽口を叩き始めると、ついにニッシーが悲鳴をあげた。


「揃いも揃って人でなしかよ!」

「この程度なら可愛いもんだろ。おっと、オマケも貰っておくか」


 イシバシくんが、ニッシーの湯葉巻きを一つ奪い取る。

 そこでやっと、私は気付いた。みんなニッシーと元通りになりたくて、わざと明るく振る舞っているんだ。

 さっきまでみたいに、みんなの話を聞いてるだけじゃ、私一人だけ蚊帳の外みたいだ。だから私も、同じようにしてもいいよね……ううん、むしろそうするべきだ。それが正しいと思っているのに、私の心には不安しか湧いて来ない。

 友達だと思ってくれてるよね?

 ウザいなんて思ってないよね?

 裏で悪口なんか言わないよね?

 離れてなんか、いかないよね?

 私は、高校時代の友人たちと、今ここにいるみんなを重ねてしまっている。メイくん以外の誰にも相手にされなくなった時の苦しさを、今になって思い出している。

 どうしよう、怖い。

 まだ知り会ったばかりだとか、そういう事は、多分この怖さには関係がない。だって私は、イシバシくんにはあっという間に心を許したのだから。

 友達という存在との距離感が、わからなくなってしまっているのかもしれない。

 でも、それじゃいけない。だって三人とも、イシバシくんの大事な友達なんだ。メイくんだって、自分の素性を明かしたんだ。

 私だって、みんなと本当の友達になりたい。


「ニッシー!」


 覚悟を決めて、それを悟られないよう表情に気をつけながら、思い切ってニッシーに声をかける。震えてしまう両手を見られたくなくて、そっとテーブルの下に隠した。


「何でござんしょ、リコ姫様」


 ヘロヘロになったニッシーも、盛り上がってるヒマちゃんとカメヤンも、私に冷たい視線を向けてなどいない。

 この三人は、ネットに悪口を撒き散らした誰かでもないし、噂をキッカケにして無視を始めた友達とも違う。怖がる必要なんかないと、わかっている。だけど……まだ知り合ったばかりなのに、馴れ馴れしい女だと思われはしないだろうか。

 不意に、膝の上に重ねていた両手が何かに包まれた。

 机の下を見てみれば、右側からはイシバシくんが、左側からはメイくんが、私の手を握ってくれている。その温もりに、自然と手の震えが止まった。

 ……もう、怖くなんかない。二人が傍にいてくれるのなら。


「えっと、あのね、ニッシー」


 どう受け取られるかわからないけど、言おう。ニッシーを許すキッカケを、作りたい……私はニッシーに、全力で笑顔を向けた。


「その子の名前を教えてくれたら、私は今回のこと、全部許すよ!」

「うっ……」


 ニッシーの動きが、完全に止まった。不安が爆発しそうになった瞬間、イシバシくんの手に力が篭った。


「っくくく、それなら俺も許せるな。やったなニシ、無罪放免のチャンスだぞ」


 イシバシくんが、軽い口調で続けてくれた。するとニッシー以外の全員が、堰を切ったように笑い出した。


「あはははは、それいいね!」

「わははは、俺も俺も、全部許すわ!」

「僕も許せるね、ふふふ」


 全員が同調したところで、ニッシーは呻き声をあげながら床へ倒れこみ、何度も左右に転がった後、世の中の全てを諦めたような顔で起き上がった。


「あーもう、くっそー、本当にスミマセンでした!」


 そう叫んだニッシーはヒマちゃんの手を掴み、そして「お前だよ!」と言った。


「俺は入学式の日から、ずっとヒマワリの事が好きだったんだよ!」


 ニッシーが、真顔でヒマちゃんを見つめ続けている。しかしヒマちゃんは無言のままで目をぱちくりと瞬かせ、それから困惑したような顔になり、すう、と大きく息を吸った。


「……ばっ、ばかああああああああ!」


 それは、カラオケでへヴィメタルでも歌い出したかのような絶叫だった。

 カメヤンが慌てて両手でヒマちゃんの口を塞ぎ、イシバシくんは「アホかあああ」と言い残して後ろ向きに倒れ、あまりの声量に仲居さんがもう一度顔を出して、メイくんが「すみませんね」と苦笑いで頭を下げた。

 呆然とそれを見つめているニッシーに、かけてあげる言葉は見つからなかった。


 ヒマちゃんが、無言でニッシーを睨んでいる。イシバシくんも呆れたように溜息を吐き、カメヤンは無言。私とメイくんも口を挟めなくなってしまう。


「……ほんっと信じらんない。ハヤトはイトコだって言ったでしょ?」


 ようやく口を開いたヒマちゃんの声は、完全に怒っていた。


「初恋がハヤトなのは間違いないけど、子供の頃の話だって言ったよね?」


 ヒマちゃんが私に言った「ハヤトが好きだった」は、子供の頃の話には聞こえなかったけれど……今ここでそれを蒸し返しても、何の得にもならないから黙っておいた。過去の話になっているのは、きっと間違いないんだろうし。

 視線を逸らして黙り込むニッシーに、イシバシくんも苦情を投げる。


「ニシ、本気でアホだったんだな。俺とヒマ助がどうにかなんて、どう考えてもあるわけないだろうが」

「イトコは結婚できるじゃねーか」

「イトコの前に、俺たちは家族だ。赤ん坊の頃から一緒に暮らしてんだぞ。お前は自分の妹をそういう目で見れるか?」

「う、確かにそりゃねーわ」


 心底嫌そうな声で否定の言葉を口にしたニッシーには、おそらく本当に妹がいるんだろう。イシバシくんが深く溜息を吐いた。


「じゃあ、ヒマワリは好きなヤツ……いない、のか?」


 ニッシーが問いかけると、ヒマちゃんの顔が真っ赤になった。もはや「います」と返事をしたも同然の照れっぷりに、ニッシーの顔が強張った。いや、カメヤンもイシバシくんも、揃って表情が引きつっている。


「ヒマ助、相手は誰だ。俺は許さん!」

「待てハヤト! それは相手次第だろ!」

「そーだそーだ、相手が重要だろ!」


 いきなり保護者になったイシバシくんに、食い下がるニッシーとカメヤン。ヒマちゃんは「わかったよぅ」と頬を染めつつ、相手の名前を口にした。


「私……さ、サツキの事、好きになっちゃったかも……っ!」


 ヒマちゃんは両手で顔を覆い、男子三人が完全に固まってしまった。メイくんも一瞬だけ動きが止まり、そして照れたように笑う。


「ありがと、嬉しいよ。だけどまだ、お互いの事をよく知らないよね。まずは友達として仲良くしよっか」

「……うん。仲良くしよーね、サツキ!」


 そう言って笑顔を浮かべたヒマちゃんは、本当に、本当に可愛かった。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る