第十九話 この縁を終わらせたくない

 イシバシくんが苛立たしげに「答えろ」と言い、ニッシーを睨む。


「ヒマ助が、話を聞く時に写真を見せてみようって言ったら、リコの為にならないと言って反対したよな?」

「そうだな」


 ニッシーはうろたえる事もなく、ただ淡々と返事をした。まるで、いつかこうなる事がわかっていたように。その覚悟を、していたみたいに。


「撮影会の画像は全てメイが管理してる、メイ以外は本人の撮影分しか見る事ができない。複数のメンバーに確認したから間違いない……そう、言ったな?」

「ああ、言った」

「それは、誰に聞いた?」

「誰だったかな、もう忘れたな」


 簡単に分からなくなってしまう程、サークルの人数は多くない。本当に聞いてきた話なら、隠す必要なんてないはずだった。

 ごまかしていると言うよりも、イシバシくんをからかっているように見えた。

 さすがの私も、本気で腹が立つ。一言でいいから文句を言ってやりたい……いや、それじゃ足りない。全力で引っ叩いてやりたい。

 だけど今は、イシバシくんの邪魔をするわけにはいかない。


「お前は気付いてたんじゃないのか、写真を照らし合わせたら撮影者がわかると」

「はは、買いかぶりすぎだろ。俺がハヤト大先生より先に気付くなんてありえねーよ」


 その嘲るような物言いに、イシバシくんはもう一度テーブルを叩き、食器がガチャンと音をたてた。


「俺は、お前らには絶対に嘘を吐かないと決めている。メイも素性の全てを晒したし、リコも自分を演じる事を止めた。ヒマ助とカメはそもそもがバカ正直だ。いま隠し事をしている卑怯者は、残念ながらお前だけだ」


 イシバシくんが、真っ直ぐに言葉をぶつけていく。ニッシーの表情が歪んだ。


「ニシ、全て話せ。俺たちとお前の縁を、ここで終わらせてもいいのか?」

「ダメだよ!」


 ヒマちゃんが叫んだ。そして不安げに、ニッシーのシャツの袖を掴んでいる。遠くへ行ってしまう恋人へ縋り付くみたいに、今にも泣きだしそうな顔をして。


「何かの間違いだよね、ニッシー」

「……ごめんな、ヒマワリ」


 目を閉じたニッシーが、ヒマちゃんの腕を振り解いた。


「二通目の手紙は、俺の仕業だ」


 うっすらと予想はしていたものの、いざハッキリと口にされると、今日一日で見てきたニッシーは誰なんだろう、という気持ちになった。

 真剣な顔で「ハヤトを大学に戻したいんだ」と協力を頼んできたのは、演技だったという事なのだろうか。とてもそうは思えなかったのに。私が協力すると言った時の笑顔は、絶対に本物だと思ったのに。

 知り合ったばかりの私ですらこうなのだから、ずっと仲の良かった三人がどんな気持ちなのか、もう考える事すらも苦しかった。


「タチの悪い冗談はやめようぜ、ニッシー」


 カメヤンの言葉は、ニッシーには届いていないように見えた。


「サークルでサツキを疑ってた奴から、情報を流して貰ってたんだ。サツキを犯人に仕立てるのが手っ取り早そうだったしな。だけどサツキが乗り込んできて、それが無理筋になった。だから真犯人のスガさんに全部被せようとしたんだ……ま、やっぱ無理だったな」


 ニッシーの視線がメイくんに向けられる。その表情は笑いを堪えているようにも、涙を堪えているようにも見えた。視線を真正面から受け止めたメイくんは、ニッコリと笑って「それは良かった」とだけ言った。


「スガ……さん?」


 スガ先輩が一通目の犯人だと知らなかったイシバシくんは、自分の膝をぐっと掴み、肩を大きくぶるりと震わせた。


「ふざけんじゃねぇよ……何でだよ、どうしてお前らなんだよ!」


 イシバシくんが吐き出すように吠え、立ち上がろうとした。しかし、それより早くカメヤンがニッシーに飛び掛った。


「何なんだよ! お前のせいで、お前のせいでっ、ハヤトは大学辞めたんだぞ!」

「辞めるなんて思わなかったんだよ! 知り合ったばっかの女の為に、いきなり退学するなんて思うかよ!」

「辞めるに決まってんだろ、だってハヤトだぞ!」


 座敷の床に二人が転がって、カメヤンがニッシーに馬乗りになった。ヒマちゃんの口から小さな悲鳴が漏れて、だけどカメヤンはお構い無しに、ニッシーの顔を一発殴った。


「カメヤン落ち着け、殴ったって何も解決しない!」


 慌ててメイくんが止めに入ったけれど、身体の大きなカメヤンは力も強い。メイくん一人だと間に割り込むだけで精一杯らしく、イシバシくんも一緒になってニッシーからカメヤンを引き剥がした。


「何であんな手紙書いたんだよっ、ずっと俺たちを裏切ってたのかよ!」

「それは……っ」


 カメヤンに怒鳴り飛ばされ、ニッシーは口をつぐんだ。ヒマちゃんは呆然とした顔でニッシーを眺めていて、その目からは涙が溢れている。


「まずはニッシーの話を聞こう。怒るのは、それから」

「俺より先にカメがキレてどうするんだ」


 全力で押さえ込んでいた二人が声をかけると、カメヤンはようやく大人しくなった。


「……何なんだよ、何がしたいんだよ、お前。一緒にハヤト呼び戻そうぜって言い出したの、お前だったじゃねえかよ……」


 カメヤンが項垂れて、それを見たヒマちゃんは自分の涙を拭く。そして、目の前にいたカメヤンをぎゅっと抱きしめた。


「カメ、大丈夫だよ。理由もなく、ニッシーがそんな事するわけないよ」

「ヒマワリ……」


 カメヤンはヒマちゃんの胸に顔を埋めて、うえええ、と声を出して泣いた。ヒマちゃんが頭を撫で続けている。

 お店の迷惑にならないだろうか、と頭を過ぎった。だけど今日のカメヤンは本当に散々だから、泣きたいだけ泣かせてあげたい気がした。

 一度だけ年配の仲居さんが様子を覗きに来たけれど、メイくんが「すみません、すぐ済みますので」とよくわからない言葉をかけると、苦笑いで戻って行った。


 めいっぱい泣くだけ泣いて、落ち着いたカメヤンはすっかり大人しくなった。というか、少し情けない感じに戻っている。ニッシーは歯が当たって切れたらしい唇を、自分のタオルで拭っていた。


「ハヤトも殴れよ、別に訴えやしねーし」

「殴ったからといって、特に何かが変わるわけじゃないからな。俺はこんな形でニシとの縁を終わらせたくない」

「そういうところがイラつくんだよ」


 テーブルを対角に挟んで、睨みあう二人。その間に、メイくんの声が割って入った。


「はいはい、ニッシーは料理が冷める前に犯行動機を自供して。湯豆腐の食べ頃逃しちゃうよ、このコース七千円だよ」

「こんな時にメシの心配か!」


 イシバシくんとニッシーの声が完全に重なって、まるで毒気を抜かれたように、二人が顔を見合わせて苦笑した。このまま和やかな雰囲気になったりしないだろうか、とありえない期待をしてしまう。

 イシバシくんは、ニッシーと縁を切りたいとは思っていない。だから挑発にも乗らないし、手紙を書いた理由を聞き出そうとしている。

 もう何だっていいから、みんながニッシーを許せるようなキッカケを掴みたかった。


「ねぇ、食べながら話せばいいんじゃない?」


 テーブルの中央に置かれていたビール瓶を掴んで、一か八か無茶振りをしてみると、イシバシくんが私の頭をぺしんと叩いた。


「アンタが暢気にしててどうすんだ、手紙の内容わかってんのか」

「わ、私はもう平気だもん。誰が書いたかわかったし、イシバシくんがいてくれるし」

「リコ姫がそう仰せなら、食うか」


 思いがけずニッシーが賛同してグラスを手に取ったので、不服そうなイシバシくんを宥めつつ、私がニッシーのグラスにビールを注ぐ。私たちを見ていたカメヤンもグラスを掴んで、んなああああ、とケンカ中の猫みたいな声をあげた。


「もーこれ以上無理だわ俺ぇ、飲まなきゃやってらんねーわ! ガッツリ飲んでもいいかなー、いいよなー!」


 ヤケッパチにしか見えない深酒宣言に、ヒマちゃんが「よしよし飲め飲め」とお酌を始めた。


「カメは年上だもんねー、ガンガンいこー」

「浪人の話はそこまでだ。追い討ちかけんな!」


 二年連続で美大に落ちて諦めたんだわ、とカメヤンが苦笑した。まさかの最年長だ。


「おっとサツキ、手酌はよくねーぞ……あー、えーと、迷惑かけて悪かったな」


 ニッシーがテーブル越しに身を乗り出して、メイくんのグラスにビールを注いだ。


「気にしなくていいよ、迷惑かけられる前に自爆された感じだし。ハヤト復学計画にリコちゃんを誘ってなければ、きっとこんなに早くはバレてないよね。ま、バレて楽になったんじゃない?」


 そう言ってメイくんは笑い、ニッシーはバツが悪そうにビールを飲んだ。


「あれ、そう言えばニッシーって、まだ未成年じゃなかった?」

「学年は一緒なんだから、ちょっとくらい大目に見ろよ。ヒマワリにはわからんだろーけど、世の中にはな、酔わなきゃできねぇ話だってあるんだぜ」


 ニッシーは、残りのビールを一気に呷った。傷口に染みるのか顔をしかめて、そのまま二杯目を自分で注ぐ。ヒマちゃんは「別にいいけどぉ」と口を尖らせながら、自分もビールに口をつけた。

 イシバシくんが「確かに飲まなきゃやってられないな」と苦笑する。互いのグラスにビールを注いで、二人で小さく乾杯をした。

 当分の間は会えないと思っていた彼と、こんなところでお酌し合っているなんて、何だか不思議な感じだった。

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