第十五話 繋いだ手から、心を伝えて

 イシバシくんの返事を確認すると、メイくんは三人に向かって「全員このまま朝まで付き合ってもらうよ」と宣言した。その声は怒気を孕んでいて、とても逆らえそうにはない。


「リコちゃんは、帰ってもいいんだよ」


 私の方へ向ける声は、普段通りに優しかった。それを見たカメヤンはますます怯えているし、ニッシーはどん引きだと言わんばかりに「うわあ」と呟いた。

 メイくんが無実だと証明できれば、みんなで仲良くできるかもしれないのに、このままでは普通に仲違いをしてしまう。メイくんの暴走を止めないと……いや、止められる自信なんて全くないけど、私しか止められる人はいない。


「自分だけ帰ったりしないよ。本物の犯人探し、するんでしょう?」

「……そうだね。リコちゃんだって、気になるよね」


 メイくんが微笑みながら小首を傾げて、前髪がさらりと流れた。こうやって私とだけ話していれば、完全に普段通りだ。

 少しはメイくんの機嫌がマシになったと思ったのか、カメヤンが恐る恐る口を開いた。


「あのー、俺、夜は八時からバイトがあるんだけど……」

「は? 休めばいいだろ?」


 鬼の形相に戻ってしまったメイくんを見て、カメヤンはますます泣きそうな顔になった。


 私は母親にメールを送って外泊の許可を取り、カメヤンは仮病を使ってバイトを休んだ。ニッシーはどこにも連絡を入れなかったけど、眉間に皺が寄りっぱなしだ。

 そしてたった一人だけ、何故か現状を楽しんでいる猛者がいる。


「ねー、ギスギスしないでちゃんと話そうよー。みんなでお泊りなんて、なんかちょっと楽しみじゃない?」


 ヒマちゃんはウキウキしながら冷蔵庫を開け、何も入っていないと嘆き、メイくんに向かって「ねえ、サツキは晩御飯なに食べたい?」と言い放った。


「まさか、餌付けでうやむやにするつもりじゃないよね?」

「違うよ! ご飯くらい食べないと、朝までもたないよ!」


 そう言ってお財布の中身を確認し始めたヒマちゃんを見て、メイくんが「仕方ないな」と苦笑する。


「食事代ぐらい、僕が出すよ」

「いいの?」


 奢りだ奢りだ、とヒマちゃんが暢気に喜んでいる。場を和ませる為の演技かと思わなくもないけど、ニッシーはこれ以上ないくらいに渋い顔をしている。ちなみにカメヤンは今も半泣き。


「その代わり、僕のお願いを聞いてくれる?」


 メイくんはスツールごとヒマちゃんの傍に寄っていき、耳元で囁くように言った。素直に頷くヒマちゃんを見たニッシーが「完全にセクハラじゃねえか」と嫌味を投げたけれど、メイくんは気にも留めずにお願いを告げた。 


「今から、スガ先輩のところに行って来て。用件は何でもいい、トイレ貸してとかでいい。その後は、すぐ戻ってきて」

「……何か良くわかんないけど、わかった」


 つられて小声になったヒマちゃんが、勢いよく立ち上がった。


「ごめん、ちょっと行ってくるねー!」


 ヒマちゃんが出て行くと、メイくんは隣室と接している壁に近付いて、そっと耳を当てた。何となく私も真似してみると、ニッシーとカメヤンも同じように真似をした。

 ヒマちゃんの鳴らした呼び鈴の直後、すぐ傍でガタン、と何かを倒したような音。そして低い声で「うちかよ」という呟きが聞こえた。

 薄い壁を一枚隔てた向こう側、明らかな先輩の気配だった。


「当たりだ。盗み聞き、されてたね」


 気配が離れるなり、メイくんが言った。

 きっと先輩も、今の私たちと同じ事をしていたのだろうと思う。どうして先輩は、そんな事をする必要があったんだろう。そしてメイくんは、どうしてそんな事を疑ったんだろう。


「……スガさんが、何の為に?」


 私と同じ疑問を、カメヤンが小声で口にした。それなりに親しかったのか、ショックを受けているように見える。

 メイくんは、少しだけ考えるそぶりを見せた。


「うーん、例えば女子の喘ぎ声でも期待してたのかもしれないし、僕らの会話に興味があったのかもしれない。本当にイシバシがいないのか、確認したかった可能性もある。僕は二番目だと思ってるけど」

「まさか、スガさんが手紙を?」


 ニッシーは眉間に皺を寄せたままだ。だけどその不機嫌の原因は、既にメイくんからスガ先輩に移っているのだろう。メイくんへの疑いは予想に過ぎなかったけれど、先輩が盗み聞きをしていたのは紛れもない事実だ。


「それについては、僕は予想しか言えない。僕の予想通りの結果が、壁の向こうにはあったけれどね」


 そしてメイくんはいつものように優しく微笑み、自分のメッセンジャーバッグからノートを取り出すと、サラサラと何かを書き付けて、全員に見えるように広げた。


 ――スガ先輩も容疑者、という事でいいかな。


 ニッシーとカメヤンは素直に頷いてから、ノートにこれまでの状況説明を書き込んでいった。

 手紙が二通である事と、その内容について。

 私を守る為に、イシバシくんは退学して実家に帰った事。

 イシバシくんを復学させたくて、問題の解決を図ろうとしている事。

 どうしてメイくんを疑うに至ったのか、その経緯。

 そして最後にニッシーが「疑って悪かった」と書き加えた。

 メイくんは、何度かその説明を読み返していた。そしてしばらく考え込んだ後、新しいページにペンを走らせていった。


 戻ってきたヒマちゃんにノートを見せた後、メイくんとニッシーは「せーの」で怒鳴り合いのケンカを始めた。


「何で僕がそんな事をしなきゃいけない!」

「じゃあ誰があの写真を持ってたって言うんだよ!」


 ノートに書かれた指示通り、私はメイくんに、ヒマちゃんはニッシーに、ケンカを諌める言葉をかけ続ける。

 壁越しに先輩の動向を探っていたカメヤンは「そこにいる」と口パクや手振りで示し、それを見たメイくんとニッシーが同時に頷く。


「あんなもの、僕じゃなくたって用意できる!」

「お前じゃなきゃ無理だって、サークルの連中は言ってたけどな!」

「だったらアイツらを、一人残らず締め上げてくるまでだ!」


 一通りの言い争いを終えると、メイくんはアパート中に聞こえそうなくらいの大声で「リコちゃん行くよ!」と叫び、私を連れて部屋を出た。そのまま私たちは、がごんがごんと音を立てながら階段を降りていく。

 駅方面へ向かう道の、最初の角を曲がったところで足を止めた。


「さて、どうなるかな……ああ言えば、きっと釣れるとは思うんだけど」


 そう呟くメイくんの横顔は、少しだけ辛そうにも見えた。

 メイくんは、スガ先輩が手紙の犯人ではないかと疑っている。疑惑というより、彼の中ではほぼ確信しているようだった。

 先輩は、私たちが高三の時には既に「リコリス」を知っていたのだそうだ。それなのに私が「リコリス」だと気付かなかったのは、確かに不自然だった。

 隣の部屋に住んでいるなら、たった三日で手紙を用意できても不思議はない。

 あんな手紙を書く動機だって、十分すぎるくらいに持っている。

 そして何より、先輩なら、あの写真を手に入れる事もおそらく可能だった。


「ごめんねリコちゃん、僕が甘かった……あいつらを、信用しすぎたんだ」


 メイくんが、心底悔しそうな声で言った。


「デジカメからの消去は確認してたし、フィルムも僕が一旦預かってた。だけどクラウド保存できるデジカメを使われたら、僕は手が打てなかった。サーバーに預けてるデータを全部見せろ、なんて言うわけにもいかないから……でもきっと、誰かが使ってたんだと思う」


 メイくんは、サークルのみんなを信じていたんだ。だけどみんなは簡単に、メイくんへ疑いをかけてしまった……その事実は、まるで自分の事のように苦しかった。


「守ろうとしてくれて、ありがとう。迷惑ばかりかけて、本当にごめんね」


 そう言葉をかけると、振り返ったメイくんは泣きそうに見えた。しかしそれは、本当に一瞬だけの事だった。


「迷惑だなんて、一度も思った事はないよ。僕はリコちゃんに幸せを教わったから、リコちゃんにも幸せをあげたいんだ。その為に必要なら、僕はイシバシの事だって幸せにしてあげるつもりだよ」


 そう言って笑ったメイくんは、私の手を軽く握った。その手を強く握り返す。

 私は信じていたのだと、疑いを晴らしたかったのだと、目の前の親友に伝えたかった。


「僕は何があっても、リコちゃんだけは信じてる。だって、僕らは親友だからね」


 メイくんの手に、力がこもる。

 いつだってしなやかに強い彼は、私の良く知る顔で笑っていた。

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