第十三話 貴方と歩く未来を探してる
メイくん抜きで話をする必要があった私たち四人は、放課後にイシバシくんのアパートへ集まる事になった。写真科のメイくんは、大抵の場合は校舎が閉まるギリギリまで暗室に篭っているので、講義終了後にすぐ向かえば目撃される可能性は低いことを三人に伝えた。
私は五限の授業がない日だったので、皆が来るより早めに部屋へ行く事にした。
あまり音を立てずに階段を上りきる事に成功した後、レザー製の鳥が付いた鍵を使って扉を開ける。一人だけで中に入るのが、少しだけイケナイ事のような気がして、何となくドキドキした。
電気も水道も使って良い、むしろ時々使ってくれ、とイシバシくんには言われている。私は襖を開けて、アトリエにあるエアコンのスイッチを入れた。
昨日はあまり気にしなかったけれど、改めて室内を見てみると、台所は綺麗に片付けられていた。イシバシくんの気配は感じられない。それを少し寂しく思いつつアトリエの方を覗いてみると、そちらもある程度は片付けてあった。
イーゼルには最後に見た時と同じように、私の絵が載せられている。そこに彼の気配が残っているようで、私は引き寄せられるようにイーゼルへ近寄った。
彼はもうこの絵は描かないと言っていたし、私もこの時より少し痩せてしまった。それらの事実を、私は悲劇でしかないと思っていた。この絵が私たちの、たった一つの繋がりだと思っていたから。
だけど、今は違う。何度だって二人で描き直せばいい。私たちは、ずっと一緒に生きていくのだから。
「また、一緒に描こうね」
そう呟きながらキャンバスを眺めていると、隅の方に小さく、何か文字が書かれているのに気がついた。
――また会う日を楽しみに。
書かれていたのは、白い彼岸花の花言葉。この部屋を出る時の、イシバシくんの想い。まるで再会のおまじないみたいだ。
そっと指先でなぞるだけで、愛おしさが込み上げてくる。
「ハヤトくん……」
本人がいないのを良い事に、彼の名前を呟いた。夜になったら顔も見られるし声も聞けるのに、会いたくてたまらなくなってしまう。
これが、遠距離恋愛の辛さなのかな。私はどんどん欲張りになっていく。
私は綺麗に整えてあったソファーの上へ転がって、ここへ泊まった日と同じ天井を眺めた。
目を閉じれば、イシバシくんの顔が浮かぶ。キスしてくれた感触だって、はっきりと思い出す事ができる。だけど当然、その温もりは存在しない。
会いたいよ。帰って来てよ。いつだって近くにいてよ――言いたくても言えない言葉の代わりに、涙だけが溢れ出てきた。
私は、ぐっと涙を拭いた。泣くよりも、近くにいられる方法を考えていたかった。
手紙の犯人が見つかって、全てが解決した後に、この街へ帰ってきてくれたりはしないだろうか。大学を辞めてしまったら、この街に用事なんかないだろうけど……私がいるよ、なんて言ったら、さすがに自惚れがすぎるだろうか。
彼の生活が東京へ移るのなら、私も就職活動は東京に絞るべきかもしれない。だけど、両親はきっと大反対するだろう。そもそも地方の三流大学に通う私が、そんなに上手くやれるのだろうか。
イシバシくんが油絵を生業にしようと頑張っていた間、私は将来なんかロクに考えず、サークルのみんなと遊んでばかりいた。地元で適当な企業を受けて、どこか引っかかったところに就職して。うちの大学を出ていれば、地元ならば苦労はしないだろう――自分の将来なんて、そのくらいにしか考えていなかったんだ。
私がどんな未来を目指せば、イシバシくんの足手纏いにならないんだろう。
そんな事を考えているうちに、私は眠り込んでしまった。
ユサユサと身体を揺さぶられて、起こされたのは十八時頃だった。
「リコ、よくこんな汚いソファーで寝れるね?」
笑いながら私を起こしていたのは、ヒマちゃんだった。私は玄関の鍵をかけていなかったらしい。
「無用心だなぁ、実家暮らしの子は。気をつけないと、変な人が入ってきても知らないよ?」
「むぅ」
私がわざと唇を尖らせて膨れると、ヒマちゃんは私の髪を手櫛で整えてくれた。
台所へ行くと、ダイニングチェアにニシくんとカメヤくんが並んで座っていた。ヒマちゃんもそうだけど、私服だとかなり雰囲気が変わる。ツナギを着てると美術科オーラが全開なのに、今は人文学部ですって言われても全く違和感がない。
私とヒマちゃんがアトリエ側の席に並んで座ると、ニシくんがペットボトルのコーラと紙コップをリュックから取り出した。
「リコちゃんは炭酸飲める?」
「あ、はい」
「だから、返事かたーいよ!」
カメヤくんはショルダーバッグからアソートチョコの袋を取り出して、中身をテーブルの上にぶち撒けた。その中からいちごチョコを一つ摘んで、私に差し出す。
「もうね、敬語ダメ。名字呼びもダーメ。俺の事はカメヤン!」
「俺もニッシーって呼んで、美術科はみんなそう呼んでるから」
「わ、わかり……わかった。カメヤンと、ニッシー」
良く出来ました、とヒマちゃんが私の頭を撫でた。愛称で呼び合うと、確かにより親しくなれたような気がする。勧められるままにコーラとチョコレートを受け取って、意味もなく四人で乾杯をした。
「それじゃあ、学食でし損ねた話の続きといこうか。俺たちの目論見について」
「うん、聞かせて」
私が身を乗り出すと、ニッシーは嬉しそうによしきた、と呟いた。
「俺たちはね、どうにかしてハヤトを再入学させようと目論んでます」
再入学。そういう制度があるのは知っているけど、詳しく調べた事はない。私の反応が薄いと思ったのか、ニッシーは更に言葉を連ねた。
「えっと、ハヤトは何かの処分を受けたわけじゃないから、申し出れば復学できるんだ。再入学金や再試験が必要だけど、ハヤトなら問題ないだろうしさ」
「ハヤトの父親、何でも二つ返事でお金出すしね」
ヒマちゃんがクスクスと笑う。メイくんと同じような家庭環境の人がいた……と思いつつ、話の続きを待つ。次に口を開いたのは、カメヤンだった。
「ハヤトはすげー優秀だからさ、実技も概論も教養も優評価ばっかで、退学も教授たちが本気で止めようとしたみたいよ。何でうちの大学来たんだって、俺ずっと思ってたわ」
「あー、それは私に合わせたから。私を一人にするのは不安だって言われちゃった」
カメヤンの疑問にヒマちゃんが答えると、ニッシーが「やっぱりか」と言いながらメガネをずり上げた。
「なのに、一緒に住もうって話にはならなかったのか?」
「まぁ、イトコとはいえ異性ですから。でもそれで良かったんだよ、ハヤトにはこーんな可愛い彼女が出来たんだしねっ!」
ヒマちゃんが私に抱き付いた。この子は本当に、
ヒマちゃんとふざけてじゃれ合っていると、ニッシーが「話を戻してもいいかな」と申し訳なさそうに私の顔を見た。すみません、もちろんです。
「えっと、リコちゃんには、ハヤトに大学へ帰って来てくれって言い続けて欲しいわけ。俺たちもみんな待ってるからって、伝え続けて欲しい」
「俺たちで手紙の犯人を見つけ出して、二人が何も心配しなくて済むようにするからさ!」
カメヤンも真面目な顔になって、テーブルの上にずいっと身を乗り出してくる。そして二人は私に向かって頭を下げた。
「あの頑固者に話が通じるの、リコちゃんしかいないんだ!」
二人のセリフが完全に重なって、ヒマちゃんが吹き出して笑った。私もちょっと笑いそうになったけれど、二人は真剣そのものだった。
「私も通じるかわかんないけど、言ってみるね」
社交辞令でも安請け合いでもなく、戻って来て欲しいと思っているのは私も同じだ。断る理由なんてない。そんな私の返事を聞いて、二人は凄い勢いで顔をあげた。
「ほ、本当に? もうハヤトとの間で、話は付いてたんじゃないの?」
「一応、話は聞いたけど。でも、私も戻って来て欲しいし……」
「だよなだよな! このままなんて嫌だよな!」
ニッシーとカメヤンが同時に私の手を握り、ぶんぶんと上下に振りながら「リコちゃんマジ天使だー!」と叫んだ途端、私のスマホが音を立て始めた。
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