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 リザキが車にひかれてぐちゃぐちゃになった。その話の出どころは、同じ大学に進学した中学の同級生だった。しかし仲がよかったわけではなく、当時から彼女と私はお互いを「あーいるな」程度にしか認識していなかった。その関係は大学進学後も崩れることはなく、ほどよい距離感を保ったまま、ノートの共有やレポート課題が出たことを知らせ合う関係へと地味に発展していた。


 そんな細くて乾燥した縁でつながっていた彼女とのメールの文中に、突如として「リザキが死んだって知ってる?」という文が投げ込まれ、私は戸惑いながらも詳細を聞き出した。要約すると、深夜に大学の友人と駅前の笑笑でふらふらになるまで飲んだリザキは、店を出たところで、彼の酔い具合を心配する友人を引きはがして一人で歩いて帰宅する道を選んだ。その結果、普通に赤信号の車道に出て乗用車に跳ね飛ばされたらしい。車の運転手がそのままきびすを返して逃げたため病院に搬送されるのが遅れ、それが決定打となったらしいことも、補足情報として彼女に教えてもらった。不謹慎なできごとは、普段そこまで仲良くしていない人物とのやりとりにおいても、口を滑らかにする作用があるようだった。


 私はお礼の言葉を送信すると、エリカにその情報を丸ごとコピーして送った。彼女にはいじめっ子であると同時に、忌まわしきあだ名の発案者であるクソ野郎の末路を教えておきたかったのだ。数分後、返事が届く。

『マジ? お通夜はいつ』

『え、知らない』

『わかったら教えて。それかその子に聞いて。今すぐ』

 絵文字や顔文字もないその文章が、なぜだかとても低い温度に感じられた。私はエリカとのやり取りを即座に中断し、情報をくれたその子にメッセージを送ろうとした。そのとき、タイミングよく、三日後に市営墓地に併設されている斎場でお通夜がおこなわれる、ということが知らされた。それをエリカに伝えると、間髪入れずに返信が届く。


『絶対いく。意地でもいく。大学なんて休んでやる』



 そうして、今日がその三日後だった。バスに揺られること約二十分。入口に立てかけられている「理崎家」と書かれた看板を横目に、私たちは門をくぐった。

 やはりリザキは大学でも人気者だったのか、弔問客には私たちと同じ年代の人が多く見られた。会場の外にはみだしている黒い列の中には、ちらちらと金や茶といった派手な髪の色がまだらにのぞいている。前の男三人組のぼそぼそとした話し声をなんとなく聞いていると、背後に高校の制服を着た集団がやってきた。リザキ先輩、という単語が会話に頻出している。後輩にまで慕われていたのか。少しだけ劣等感を感じながら、私たちは話すこともないまま歩を進めた。


 列はゆっくりと、だが確実に進み、私たちの立っている部分が斎場の中に入る。先ほどからぼんやりと聴こえていたお経が、その瞬間にはっきりとした質感を持ち始める。両側に並べられたパイプ椅子に座っている親族たちの視線が、自然と私たちを含めた弔問客に向けられた。涙をハンカチで拭っている女性。前方にいる金髪の男をあからさまに嫌そうな目でにらむおばさん。なにが起こっているのかわからない、というようにぽかんとした表情で椅子に座っている男の子。たくさんの顔が、二列で並んでいる私たちを挟み込むようにしてずらりと並んでいる。それに少しだけ気圧されながら、私は大量の頭と体の先にある、祭壇のほうへと目を向けた。微笑みをたたえたリザキの顔と目が合う。昔と違い、髪の毛が茶色に染められている。最近撮影されたもののようだ。そこで突然、黙りこくっていたエリカが口を開いた。

「お、あれがリザキか。ちょっとしゅっとしてかっこよくなった気がする。でも青ひげはマイナスポイントだな。アラコはどう思う」

「別に。普通でしょ」

 私は、ときどき前の人の髪の毛に隠れて見えなくなるリザキの遺影を見つめながら考える。悔しいが、たしかにリザキはかっこいい。きっと大学でモテていたのだろう。いや、そうに決まっている。しかし同時に思い浮かぶのは、納豆を顔面にまき散らされたエリカの姿だった。リザキが仮に死んでいなかったとして、彼に「お前はエリカの顔に納豆をわざと垂らしたことを覚えているか」と質問しても、「覚えてない」の一言できっと会話は終わってしまうだろう。彼にとって、クラスにいた女の子を納豆フェイス呼ばわりしていたことは、捨てたことすら覚えていない紙くずのようなことなのだ。

 でも、エリカにとっては違う。なにげなく放り投げられたそのごみがいつまでたっても心に刺さったまま抜けなくて、卒業してもそれは変わらなくて、最終的に顔を取るところまでいってしまった。彼女がどれほど悩み抜いてその決断をしたのか、私には推し量ることができない。それでも、考えずにはいられなかった。

 エリカはリザキの一言がなければ、顔と体を分離させずに済んだかもしれないのでは、ということを。


 焼香はつつがなく進行し、いつの間にか私たちの番が迫ってきていた。人の壁が薄くなったので、リザキの遺影はもちろんのこと、祭壇全体が丸見えになっている。菊や百合といった白い花の洪水の中に、木製の棺がのぞいていた。顔があるであろう部分に設けられている両開きの覗き窓は閉じられている。私の母方の祖母が死んだときは親族の意向で常時開けられていたが、祖母は単純な老衰で、リザキは交通事故だ。きっと遺体の損壊が激しく、あまり進んで見せたくはない状況なのだろう。勝手にあれこれと想像しながら棺を注視していると、袖をエリカに掴まれた。顔をあげてみると、もう私たちの前には誰もいなかった。目の前に置かれた香炉から、細い煙がゆるゆると立ちのぼっている。

 私たちは慌てて遺族とお坊さんに一礼をして、リザキの遺影と向き合った。かすかに辺りを包んでいたざわめきが、聞き取れるか取れないかくらいにまで大きくふくらむ。きっとエリカのことを言っているのだろう。もちろん彼女に気にしている様子は見られない。

 私は自分のペースで抹香を三回、作法に従って香炉に落として手を合わせた。二秒くらいでそれをとくと、再び遺族やお坊さんに礼をして左手側にある出口のほうへと向かった。後ろを振り返ってみると、エリカは抹香をつまみ、本来なら額があるはずの位置にそれを掲げていた。首元からは祭壇を飾る花や香炉が立てる煙と同じ、白色をした煙が発生していた。丁寧な動作で彼女はそれを香炉の中に振りかけ、ゆっくりと手を合わせる。十秒ぐらいそうした後、丁寧に礼をして、こっちに歩いてきた。途端に首からのぼる煙が青色に変わった。

「はー、どきどきした。お通夜のマナーすごい勉強したのよわたし。まあ、頭真っ白でほとんど思い出せなかったんだけどね。ちゃんとできてたかな」

「普通だった。むしろ私より丁寧」

「よかったー、あー疲れた。アラコすごいね、全然緊張してる感じなかった。余裕が体からぶわっと出てたよ」

「そう」

 エリカの早口めの言葉をいなしながら、二人で横並びになった状態で廊下を歩く。突き当たりまで歩くと、そこで待機していた若い男性にお清めの席へどうぞ、と声をかけられた。「私たちをいじめていた相手なんだし、最後に寿司やオードブルとかたらふく食べてもばちは当たらないだろう」とお通夜が始まる前に打ち合わせていた私たちは、彼の言葉に従って突き当たりを右に曲がり、お清め所に足を踏み入れた。できるだけ人目につかないような隅の席を探して座る。目の前にはきれいに並べられた寿司や、クラッカーの上にチーズやら生ハムやらがのっているもの、エビフライなど色々な料理が並んでいた。

「うーん、なんかいざこうして座ってみると、気まずくて手がつけられないな」

 エリカが困ったように呟く。私はそんな彼女を尻目に、寿司の皿からエビとマグロを取り、醤油をつけて口に放り込んだ。それを噛みしめていると、私の胸の中でお通夜の間中ずっとくすぶっていた気持ちが肥大化していくのを感じた。


 昔からことあるごとにこぼしていた、『顔を取りたい』という願望を実際に実現させてみせたエリカ。どことなく明るくなったエリカ。自分を悪く言う人間に、怯えず立ち向かったエリカ。強くなったエリカ。私は勝手に、そんな彼女に少し期待をしていた。

 なにもできずに弱いまま大きくなった私と違って、今の強い彼女なら、リザキのお通夜になにがなんでも出席する、と言い放った彼女なら。きっとこの機会に、劇的なことを起こしてくれるのではないかと、そう考えていたのだ。

 でも、結果は違った。一般の参列者のように焼香を不安がってみたり、かと思えば私よりも数段丁寧に焼香をおこなってみせたり。そして最後には緊張から解放された興奮で、同行していた私に早口で話しかけてきた。

 これじゃまるで、リザキの友達と同じだ。普通にお通夜にきて普通に手を合わせて。私はともかく、彼女はリザキのせいで顔を取るはめになっているのに。それが結果的にエリカにとってプラスに作用しているとしても、普通に生きていれば顔なんてわざわざ取るようなものではない。


 まさか、エリカは本当にこのまま、周りの目を気にしながら少しだけ食べものを腹に収めて、そのまま帰るつもりなのか。エリカにとってのリザキって、その程度の存在だったのか?

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