第二章 14

 二二三五年、三月。


 ついに、第四階層の居住区の内装が完成した。第四階層の全室の壁にはシート型ディスプレイが貼り付けられ、それによって、データベースに保管されているロシアの風景が常に映し出される予定だ。大切な子供たちが暮らす居住区には、閉塞感を取り除く工夫が欠かせない。

 掘削作業と同様、内装作業にも慣れた夫婦は、想定よりも早く内装作業を終えた。早く済んだのには、慣れ以外にも理由があった。新生ロシア人のための個室を、二十しか用意しなかったからだ。沢山の個室を用意するのは第二世代の新生ロシア人を生産してからにして、素早く第五階層を仕上げたほうが効率がいいと判断しての作業短縮だった。夫は内装用ロボットを作って増築を委任すればいいと進言したのだが、任務は自らの手によって実現するものだという矜持を抱く妻は冷たく反論し、夫を黙らせた。

 あらかじめ掘っておいた第五階層へと続く岩盤むき出しの坂道に立ち、妻が宣言した。

「いよいよ、第五階層の研究・医療施設の掘削に着手します。完成したら、すぐに家畜を生産しましょう。新生ロシア人の生産は、そのあとに開始します」

 夫は妻の号令を受けて、坂道を下った先に置かれた静穏融解掘削重機に乗り込んで作業を開始した。妻は二台の携帯式静穏融解掘削機を引きずりながら、その後に続く。古いアンドロイドである彼女は、夫のようなロボット兵には劣るが、人間よりは遥かに馬力がある。

 夫婦は第五階層の掘削を開始し、さらに効率よく作業を進めた。

 三週間後。早くも掘削作業を終えた二体は、第四階層と第五階層を繋ぐ坂を舗装してリニアレールを敷設し、磁気浮上運搬台で資材を運び込めるようにしてから内装作業に取り掛かった。当初から効率的だった作業は、優れた学習能力によってさらに高速化して、作業時間を短縮させていった。

 二週間と五日後。内装工事を終えた夫婦は、工場に発注した医療機器が完成するまで、あらゆる医療機材を載せるための台を設置する作業に勤しんでいた。

 妻は、同室で棚を設置している夫に話しかけた。情報送信ではなくスピーカーによって会話をするのは、新生ロシア人の子供に正しい言語を教えるための予行演習でもある。

「あなた、人工授精についてですが」

「私は、内装以外のことには口を出さない。きみに全てを委ねる」

「口を出すなと釘を刺すために話しかけたのではありません。相談がしたいのです。卵子と精子の組み合わせは計画書のとおりに進めなければならないのですが、わたしは、それに背こうと思うのです」

 背くという単語に反応した夫は、台の設置作業を中断して立ち上がり、視覚センサーの中心に妻を捉えながら問う。

「何故、そのような判断をした?」

 部屋の反対側で台を設置していた妻も同様に立ち上がり、夫に向き合って答える。

「子供の誕生は奇跡だといわれています。少しでも、自然に近い状態で誕生してほしいと思ったのです。調べてみたところ、配偶者と共に生殖細胞提供者となった方々がいることが判明しました。その方々の生殖細胞を用いた人工授精を優先しましょう」

 それを聞いた夫は、手のひらを胸に添えながら感想を述べた。

「それは良い考えだ。賛同する」

 妻は、親からプレゼントを貰って喜ぶ子供の表情を真似しながら発言した。

「あなたもそう思いますか。配偶者は、出会いの奇跡を経ています。その奇跡が、新生ロシア人をより完璧なものにしてくれる気がしてならないのです。それでは、計画書に記された組み合わせではなく、配偶者の組み合わせで受精させます」

「その案を採用しよう」

 そう言って作業に戻ろうとした夫を、妻の音声が引き止める。

「待ってください。相談しなければならない案件は、他にもあります。第一世代の新生ロシア人の生産数についてです。計画書では二十名と定められていますが、わたしはこの数字が適切であるとは思えないのです」

 妻が抱いている懸念を推察できない夫は、小首を傾げる人間を真似しながら問いかけた。

「妥当な数字だと思うが、きみはどのような点を憂慮している?」

「第一世代は、第二世代の親代わりとなる存在でもあります。このシェルターの根幹となるのですから、少人数を集中的に育成すべきではないかと思うのです」

「理解した。教育面での不備を憂慮しているのだな。いい判断だ。生産数を絞り、集中して教育を施したいのならば、そうすべきだ。卵子と精子は幾らでもあるし、急いて人口を増やす必要もない」

「賛同に感謝します。では、男女三人ずつ、合計六人を生産するとしましょう」

 ベロボーグ計画を遵守しながらも、より良い結果を得るためなら計画から逸脱することさえ厭わない奇矯なアンドロイドは、またも特例的な決断を下して、シェルター運営の舵を切った。これにより、新生ロシア人の生産効率は低下するが、親代わりとしての能力に特化した、少数精鋭の第一世代が育成されることとなった。危険を冒して地上から回収してきたロボット兵を父親役に据えることによって得られる教育効果と相まって、シェルターの教育体制は当初とは比較にならないほど充実し、想定以上の育児効果が期待できるようになった。機械夫婦による命令を無視した品質追求は、留まることを知らない。

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