第二章 10

「工場のコンピュータに、資材を届けるよう命じました。それでは、第三階層の内装作業に取り掛かりましょう」

 やっと復帰した夫が、単独で第二階層の内装作業を終えた妻の号令に従って、作業を開始した。夫の動作は、不具合のせいでしばらく休止していたとは思えないほど滑らかだった。彼は小分けにされた一メートル四方の擬装帯を、きびきびとした動作で運搬して外壁部分に並べ、分子接合機で固定していく。

 不自然なほどに手際のいい夫を横目で見た妻が作業を止めて、理由を問いただす。

「待ちなさい。どうして作業を急ぐのですか?」

 夫は手を休めず、視覚センサーを妻に向けもせずに答えた。

「急いではいない。役に立ちたいだけだ」

「負荷をかけてはいけません。不具合が悪化したら、何の役にも立たなくなってしまいますよ。これは命令です。作業速度を落としなさい」

「……了解した」

 破壊された自身の外殻を分析した結果、味方から集中射撃を受けたことで機能停止に至ったと確信したロボット兵は、作業効率を上昇させることによって自らの居場所と価値を取り戻そうとしたのだが、その計画は早々に頓挫した。機械としての価値を失うことは、ロボット兵やアンドロイドにとっては死刑宣告のようなものであり、思考回路がショートしてしまうほどの強烈な喪失感を齎す。彼らには感情などないのだが、人の役に立つ道具でなければならないという絶対的な前提がプログラムされており、それを履行できない事態に陥った場合、自己喪失を起こしてプログラムが崩壊することさえある。彼は無意識のうちに自己崩壊することを避けようと懸命に作業していたのだが、妻は知る由もなかった。

 九十八時間後。夫婦は、第三階層の外壁に擬装帯と完全真空断熱材を敷設し終えた。続いて、夫婦は二手に分かれ、銅含有セラミックの内壁の貼り付け作業に取り掛かった。

 内壁を立てかけて接合している夫の元に、存在価値を齎してくれる伴侶から通信が入る。

「あなたは、どこで製造されたのですか?」

 そう問われた夫は、自己の存在価値を積み重ねるように、可能な限り丁寧に回答した。

「日本国だ。日本随一のロボット製造企業であるM&HHI社で製造され、同社とアメリカ合衆国との間で結ばれた傭兵契約により、アメリカ合衆国陸軍に派遣されていた」

「詳細な情報提供に感謝します。やはり、日本製でしたか」

 夫は磁気浮上運搬台で運ばれてきたパネルの束を抱え上げ、それを次々に建て付けながら、言葉を返信する。

「戦場で自軍のロボット兵の個体情報を読み込んでみると、M&HHI社製が多かった」

 妻も同様に、分子接合機で壁を固定しながら返信した。

「そのメーカーも、現在はどうなっているのかわかりませんね。戦略上、非常に重要な場所に位置する日本国は、恐らく壊滅しているでしょうから」

 地下暮らしが長かった妻は、第三次世界大戦勃発前の情報しか持ち合わせておらず、日本が壊滅したことを知らないのだが、彼女の分析は史実と相違なかった。夫はその分析に異を唱えることなく、自らの存在価値を高めるために解説を加えながら同意した。

「確かに、日本国はアメリカ合衆国の前哨拠点としても、各国の艦船や潜水艦の拠点としても、大変に重要な場所に位置していた。日本国が中華人民共和国に取られてしまったら、太平洋は地獄の海と化してしまうため、アメリカ合衆国とオセアニア地域の国々は、第三次世界大戦勃発時に日本国の国土を何としてでも維持しようと行動したはずだ。戦略拠点としての重要度は、中華人民共和国にとっても同様だ。中華人民共和国が暴発した時点で、日本国は破壊されたか占領されただろう。私は前者だと推測するが」

「やはり、そう思いますか。中華人民共和国には、日本国を悠々と占領する余裕などなかったはずですからね。日米の軍事施設を速やかに潰すことで、戦局を有利に運びやすくするはずです。日本国が壊滅していたとしたら、あなたは残念に思いますか?」

 問われた夫は、作業の手を鈍らせることなく思考し、即答した。

「感傷はないが、作成された物質が破壊されることは残念に思う。労力が無駄になる」

「生まれ故郷がなくなってしまったことについて、悲しいとは思わないのですか?」

「思い入れは、特にない」

「わたしも同感です。ロシア連邦はなくなりましたが、特に思うところはありません。主を失いはしましたが、主の命令は継続中なので、状況は変わりません」

 分子接合機で内壁の下部を固定させながら、夫が疑問を投げかける。

「何故、無駄な質問をする?」

「あなたのような高性能ロボット兵は、わたしとは異なる思考を持ち、もしかしたら感情まで有しているのではないかと思い、試させてもらいました。おかげで、大差ないことが判明しました。二一八五年に新たな生物模倣型コンピュータ・アーキテクチャ技術が確立されてから、人工知能は一気に進化したと同時に伸びしろを失った、という話は、どうやら本当のようですね。機械は瞬く間に人類の領域に近づきましたが、人類の領域には踏み込めませんでした。機械が感情を獲得する日は来ないというのが、定説となっています」

「それは初耳だ。その説を証明するように、私も感情を有してはいない。しかし、感情のようなものは持ち合わせている。日本国が無くなったということは、そこに住む大勢の人々が命を落としたことを意味する。物質が失われるのと同様に、残念に思う」

 そう言い切った夫に対し、妻は過剰になった思考回路の活動を落ち着かせつつ返信する。

「感情に似て非なるものは持ち合わせているようですね。やはり、あなたはわたしよりも優秀です。素晴らしい。じつは、わたしも日本国が失われたことを残念に思っています。あなたとは違う理由で、ですが」

「どのような理由で?」

「我々のような機械の歴史にとって、日本国はとても重要な国だったのですよ。我々の技術改革のきっかけを作ったのですからね。いい機会です。また昔話を語るとしましょう」

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