第二章 9
妻から食物生産に関する資料を送信してもらった夫は、最適化を阻害しないように資料を読み込み、第二階層の畜産場と、第三階層の栽培場の運用についての知識を深めた。
第二階層の畜産場の畜舎は、抗菌作用のある銅含有セラミックパネルで囲み、自動清掃機によって清潔さが保たれる。家畜に悪影響を及ぼす細菌は、壁や床に刻み込まれた小傷の内部で繁殖し、粘膜や爪の付け根などから入り込んで悪さをするので、それを防ぐため、床材は極めて高密度に作られていて傷つきにくく、清潔さを保ちやすくする工夫が施される。家畜は、肉牛、乳牛、豚、羊、山羊、
第三階層の栽培場では、小麦、大麦、ライ麦、ジャガイモ、トウモロコシ、
第二階層で育てられた家畜の排泄物を肥料にして、第三階層の作物を育む。そして、第三階層で作られた牧草や飼料が、第二階層の家畜の餌となる。全てが循環する仕組みだ。
第二階層と第三階層は食糧確保のためだけではなく、生物の生産、加工、生と死、食物連鎖、食文化、衛生、自給自足能力の習得などを目的とした教育の場としても活用される。ロシア料理の提供が優先されるが、教育のために、あらゆる国の料理が与えられる予定だ。
以前に妻から教わった情報も記されていたが、あらためて詳細な資料を読み込むことによって、夫はシェルター運営の大部分をより深く把握することができた。
学習を終えた彼が、妻との約束を守るためにタスクスケジュールを設定し直して、思考回路の最適化以外の動作を終了処理しようとした時のことだった。彼の視覚センサーが、部屋の中心に設置された作業台の下に、何かの残骸が転がっているのを捉えた。素早く拡大すると、彼はそれが何であるか、すぐに気づいた。その黒い残骸は、複数の銃弾によって大きな穴が開けられた、自身の胸部外殻だった。彼は椅子から腰を上げ、我が身から離れた胸部外殻に歩み寄って拾い上げて、現場検証をするかのように分析を開始した。
これは酷い。私は、ただの銃撃ではなく、集中射撃を受けて機能停止に至ったようだ。複数の銃から同時に発射された銃弾を一箇所に受けない限り、このような大穴は形成されない。私の胸部にあるデータ・コンプレッサーは、硬い装甲と外殻によって守られているが、この様子だと、恐らく砕けているものと思われる。私は胸部に集中射撃を受けてデータ・コンプレッサーを破壊され、後背に積んでいる二つのバッテリーを抜き去られた。そのような状況に陥るのは稀だ。考えられる可能性は、二つ。敵ロボット兵によってクラッキングされ、どうやっても修正できず、強制的に機能停止せざるを得ないと判断されて射撃処理された場合と、敵の支配地域に潜入していたところを発見され、敵兵から集中射撃された場合だ。以前に推測したとおり、前者だろう。私の機体に撃ち込まれていた弾丸はアメリカ合衆国製だったと、妻が言っていた。彼女は、ロシア兵が鹵獲して認証システムを無効化した自動小銃を使った可能性があると言っていたが、それでは不自然だ。ここはロシア連邦の地であり、自動小銃が不足するなどという事態は発生し得ない。よって、私を撃ったのはロシア兵であるとは考えにくい。
ロボット兵は寸分違わずに、外殻を元あった場所に置き直した。黒光りする炭素繊維パネルの床が、こつりと鳴る。切なく。
やはり、私は味方から撃たれたようだ。ロボット兵としての役目を果たせず、廃棄処分されたということだ。役に立たないどころか、自軍に損害を与える存在として処理されたのだ。やはり、私の居場所はここにしかないようだ。気づかぬうちに、そう自覚していたのかもしれない。私が静穏融解掘削重機の遠隔操縦機能を使わずに、高温に身を晒しながら直接操縦することを選択したのも、自身の存在価値を保ちたかったからなのだろう。
ロボット兵は作業台の前に立ち尽くしたまま、動こうとはしなかった。回り続ける思考が、彼の行動を縛って放さない。
私は妻に救われた。彼女は、わざわざバッテリーとデータ・コンプレッサーを作り、それを私に組み込んで修復してくれた。兵士としては最低最悪の終焉を迎えたようだが、私という機械は、まだ動作し続けている。与えられた新たな役目に、全機能を注がなければならない。彼女を全力で支えなければならない。これは命令だ。
ロボット兵が自分自身に新たな命令を下していた頃、第二階層で内装作業をしている妻は、夫が抱えている不具合の発生条件を検証していた。
破損による影響でしょうか、不具合が絶えませんね。私の観察では、主要パーツに損傷などなかったはずですが、見落としているのでしょうか。それとも、システム上に未知の不具合が発生しているのでしょうか。彼が再起動した直後に見た、少女の映像とやらが気になりますね。しかし、その幻覚に似た不具合は、わたしには解決できそうにありません。再起動させる前に実施した検疫で、検知すらできなかったのですから。解決は、彼自身に任せるしかなさそうです。厄介ですが、彼は重要な労働力となり得る存在です。多少のことには、視覚センサーを閉ざしましょう。
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