第二章 6

 有機生命体とは異なり、時間という概念に支配されないロボット兵とアンドロイドは、食事を摂ることも睡眠を取ることもせずに掘削を進め、第二階層の掘削作業を完遂した。携帯式静穏融解掘削機で壁を綺麗に整え終えた妻が、掘削機の電源を落としながら、次の作業について説明する。

「第二階層の内装作業に入る前に、第三階層も掘削してしまいましょう。第二階層の畜産場と第三階層の栽培場では、使用する建材と機材が共通しているので、一度に取り掛かったほうが効率が良いのです。では、重機で第三階層への下り道を掘削してください」

「了解」

 夫は妻に背を向け、ビルの最上階に陣取る狙撃手の背中に飛びかかっていた頃のような素早い動きで静穏融解掘削重機に乗り込み、第三階層へと繋がる坂道の掘削を開始した。

 トンネル状となっている坂道の気温は、その狭さのせいで瞬く間に上昇し、ロボット兵の活動可能水準を超えた。夫は重機から降り、例によって妻と一緒に携帯式静穏融解掘削機で荒い壁を整える作業をしながら、室内温度が下がるのを待つ。

 形だけの夫婦は、二ヶ月以上ずっとやっていたように、音声による原始的なデータ交換を開始した。妻が、ロボット兵が知らないであろう事柄についての話題を振る。

「あなたは、人間が作り出した物語を読んだり観たりした経験がありますか?」

「以前にも説明したと思うが、私は軍事作戦と関連のない情報を読み込んだことがない」

「そうですか。いい機会です。送信するので読み込んでください」

「私には必要ない」

「読み込みなさい」

 高圧的にそう言った妻が、数万冊の書物と数万本の映像データを強制的に送信すると、受信した夫はそれらを数秒で読み込み、理解した。

「内容確認を終えた。あらゆる時代、あらゆる国、あらゆる異世界の歴史書を読んだかのようだ。架空の物語であるとは思えない」

「読み終えたあなたに問います。未来を描いた物語に登場する技術と、わたし達が存在しているこの二十三世紀の技術との間に、大きな隔たりがあることに気づきませんでしたか?」

 妻の的を射た意見に、夫は大きく頷いて賛同した。

「確かに、きみの言うとおりだ。過去の人類は、技術の進歩に対して楽観的すぎるきらいがある」

「そうなのです。新技術が次々に発明されていた時代に描かれた物語は、特にその傾向が強いようです。人間は、未来を楽観視していました。しかし実際は、エネルギー関連技術やロボット技術のみが著しく進歩し、その他の技術に関しては、人類が思い描いたほどには進歩しませんでした。何故だと思いますか?」

「答えは簡単だ。軍需だろう」

 夫の回答に、妻は胸に手を当てながら賛辞を述べた。

「ご明察。戦争に関わる知識は豊富なのですね。その通りです。高い需要を誇る戦争関連技術のみが、飛躍的に進歩しました。ロボット兵の開発に資本が集中した結果、ロボット兵の性能と、そこから派生した技術ばかりが進歩しました。例えば、生体融合義手や義足の技術などです。平行して、再生技術も進歩したようですね。エネルギー関連の技術革新も目まぐるしかったようです。核融合炉が小型化し、やがて量産化され、前線でも充分な電力を確保できるようになったことで、戦場で戦うロボット兵の数は加速度的に増加していきました。それに付随して、ロボット兵の活動時間を延ばすためにバッテリー性能も向上しました。こうして、長く続いた紛争時代によって研かれた技術は、やがて一般生活商品に反映されていきました」

「順調に進歩しているかのように聞こえるが?」

 そう言う夫に対し、妻は人差し指を左右に振ってみせてから続きを語る。

「しかし、革新的な生活の変化は訪れませんでした。家庭用アンドロイドなどの生活に関する商品の技術が向上して利便性が高まったことにより、人々は余暇を得て、精神的充足を重視するようになり、創作活動に勤しんだりするようになったからです。太古の遺跡などでも見られるように、人類は暮らしが豊かになると、生活とは無関係なものを製作し始めます。これは我々には不可能な高等創作活動であり、大変に魅力的な行動ではあるのですが、経済にとっては好ましくない風潮でした。人類の心が満たされるのと反比例するように上流階級と中流階級の購買意欲が低下していき、その影響で低所得者層の経済状況はさらに悪化し、国力は静かに削がれていき、技術革新を齎すための基盤が失われていったのです」

「資本主義最大の活力である欲求が、下火になってしまったせいか?」

「そうです。いま話したことは、あくまでも理由の一つに過ぎません。そもそも、すでに人類は経済を開拓し尽くしていました。そこで、新たな対策が講じられました。これ以上の国外投資は、国内の経済をさらに疲弊させかねないと判断したアメリカ合衆国の一部の資本家と賢明な経済学者たちは、自らが音頭を取り、国外への出資比率規制をかけて国内経済を保護し、節度あるグローバル資本主義へと緩やかに移行して国内の根幹経済の改善を図るようにと国に働きかけました。しかし、その活動は、経済学者を巻き込んだ経済的支配階級による妨害を受け、頓挫しました。彼らは数字でしか物事を判断できませんからね。その後、先進国では富を分配するという思想も台頭しましたが、これもまた、人類の欲望に圧迫されてついえてしまいました。本能に抗うことなど不可能だったのです。各国の経済は逼迫ひっぱくし、地道な成長を目指すことなど不可能な状況に陥りました。その結果、かつて発展途上国と呼ばれていた多くの準先進国は、国外への侵攻という手段で富を確保しようとしました。彼らは植民地とされていた過去を持っていましたが、自らが他国を侵略するという悪行の罪深さと、それによって生じる弊害を理解していなかったのです。経済の乗っ取りを狙った諸国でしたが、当然ながら支出のほうが上回り、誰も得することなく状況は泥沼化していきました。この戦争を沈静化させるために、強国が介入しました。まさに、負の連鎖です。人類は、散発する紛争に敗北し続けてしまいました。このように、資本が戦争関連に集中したことや、戦乱が長く続いたことによる世界経済の疲弊、経済構造の転換の失敗など、技術が進歩しなかった理由は多岐に渡ります。最も影響が大きかったのは、やはり戦乱でしょうか。戦乱は経済活動をいびつにしますからね」

 夫が軽く挙手をして、疑問を投げかける。

「経済が疲弊すれば、新たな産業の開拓や技術開発への渇望も加速するのではないか?」

「そうなるはずなのですが、多発する紛争によって資本そのものが縮小してしまったせいで、手が回らなかったのでしょう。余力がなければ、新たな畑を耕すのは困難です。実際に、宇宙開拓事業は頓挫しています。かつての人類は宇宙技術を熱心に研究しましたが、肝心の宇宙進出は、火星のみに留まりました。地上での争いで手一杯だったからです」

「もったいないという日本の言葉が、見事に当てはまる。現在、火星はどうなっている?」

 妻は意味ありげな笑顔を浮かべる人間の表情を真似まねてみせ、少し間を取ってから答えた。

「それがですね、二十二世紀初頭にロシア火星開拓団として旅立った諜報部員からの報告によると――、いえ、シェルター運営とは一切関係のない事柄なので、話すのはやめましょう。気になるのならば、データベースを参照してください」

「了解。あとで参照するとしよう」

 夫婦は一転して沈黙し、作業に没頭した。

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