第27話 さようなら、サーカス

 今日も変わらず、席は見渡す限り観客で埋め尽くされていた。一体どこからこんな人数が集まっているのだろう。ここまで人が集まるような催しを今まで聞いたことがなかった。


 舞台が照明によって現れる。ざわつく客席と比べ僕たちは静まりかえっており、観客の息を呑む声まで聞こえてきそうだった。


 昨日は連れられるがまま、されるがままだったけれど、いざ自分の足で歩いてみるとにわかに緊張してしまう。


 徐々に速くなる脈を感じていると、右手が何かを感じ取った。


 見ると、隣のアンディーが僕の手を握っていた。優しく、けれど離れないよう、しっかりと握られている。


 彼は僕の顔を心配そうに覗き込んだ。囁くように「大丈夫?」と聞いてくる。そのもう一つ隣からユノスも顔を覗かせている。


 僕はそれにニコリと微笑みを返した後、彼の手を握り返した。


 その後、僕らはまっすぐ前を見据え、揃って礼をする。


 溢れんばかりの拍手を頭上に浴びながら、こっそりと隣を見やる。


 やはりというかなんというか、アンディーとユノスはこちらを向いていた。それはもう、いたずらっ子のような笑みで。


 それだけで緊張が氷解していく。


 先ほどと同じく揃えて頭を上げた後、僕らは舞台袖にはけていく。


 僕の出番は昨日と同じく最後だ。


 わっと歓声が上がり、最初の演目が始まった。


 黒い不定型な生物がその身をくねらせ会場を沸かせている。


 調子外れの音楽と、頭に直接響くようなアナウンスが演者を彩る。


 足りない足が踊り、人の形をしたものが異形を食べ、異形は歌姫として声を響かせる。


 改めて見ると、やはり異様な空間だった。


 けれど、それに魅了されてしまうのもわかるような気がした。


 そのくらいここは、あやしくあでやかで、わくてきで、いんに満ちあふれていた。


 隠されているからこそ、日常では決して出会えないからこそ、蛍のように妖しく光る。


 隠されているものをどうしても見てみたくなる気持ち。禁止されているからこそやってみたくなる気持ち。言うのもはばかられているからこそ声を大にしてたたえたくなる気持ち。


 きっとここはそんなものが溢れかえっているのだろう。


 かえるような空気に、僕もそうになる。


 舞台上では、三メートルを超えるような大男が死闘を演じている。


 怪我人が出ては演目も立ちゆかなくなるんじゃないか、と余計な心配をしてしまうが、舞台袖には例の死体人形師がいた。


 つまりあれは死体で二体とも彼が操っている、というわけか。あれだけ生き生きとしているのに、その実死体だったとは。


 そう考えると、この人の技術力の高さに恐れ入る。


 ほとんどこの人で回ってるんじゃないか、このサーカス団。


 そういえば、昨日ユノスがこんなことを話していたのを思い出した。


「あの人はもともと外でも偉大な魔法使いだったらしいの。そして死体を集めてそれを動かすことに一生を捧げようとしたのですって。当然、みんなからは非難されたわ。それでも、どうしてもやめられなくって、それを団長さんが拾ってあげたらしいの」


 なるほど、今の彼を見れば確かに、ここが自分の居場所だという思いがひしひしと伝わってくる。


 右側にいた大男のストレートが決まり、左側の男が倒れ込んでしまう。


 それに沸く観客達。僕も思わず手に力が入ってしまっていた。


 彼らの居場所を奪うような選択をしなかったこと、少なくともそれは正解だと思った。


 ここはとても良いところだ。気持ちだけで言えば、一生だっていたいくらい。


 けれどそれはダメなんだ。どうしても、どうしてもダメだ。


 僕には妹がいる。


 妹が今、家で何をしているか、ふと頭をよぎっただけで他のことが考えられなくなる。


 僕には失ってしまえば二度と出会うことの出来ない人たちがいる。


 そんな人たちが僕を待っている。


 だから僕は帰らないといけない。


 ――ああ、嫌だなあ。


 妹やまとい達と天秤にかけて、ここまで釣り合いそうになった何か、というは初めてかもしれない。


 このままでは何かの拍子で傾いてしまう事だってあり得る。


 去るんだ。僕は、ここから。


 けれどもし、本当に許されるとすれば……もう一度ここに来たい。今度は観客として。


 それは、死にたいの次くらいに強い願いかもしれない。


 そして同じく叶わない願いだろうと思う。


 あーー。


 久しぶりに憂鬱な気分に浸っていると、わっと観客が沸いた。その歓声に、再び現実世界へ意識が引き戻される。


 そうだ、まずは僕が演目を成功させなくてはならない。


 ――いや、ある意味失敗か。


 憂鬱と不安が堆積した泥のような気持ちになっていると、背後から声をかけられた。


「緊張してないかしら?」


 穏やかな声に振り返ると、そこにユノス達が立っていた。


 本当なら出番の合間に休憩している時間だろうに――実際、髪が汗で張り付いているし、息も少し上がってしまっているみたいだ。


 それでも、そんな様子を微塵も出さないようにして、笑顔で二人は立っていた。


「いや、緊張はしているよ。口から胃が出そう、どころか腸から腕から何でも出て来そうだ」


 実際、そのくらい緊張はしている。


「本当?」


「すごい、すごいわ! そんなことも出来るのね!」


 ぐい、と二人との距離が縮まる。


 アンディーの声に今までで一番の感情がこもっているような気がする。


 いたいけな少女を騙しているような気分だ。


 なまじそれに近いことをやってしまっただけに、軽口の信憑性が妙に高くなってしまった。


 まあ、人間やってみなくちゃわからない。


 出来た場合は、めでたく人間卒業証書を与えようと思う。僕から直々に。


 ユノス達はまだはしゃいでいる。きっと僕が自分で考えた初舞台だから、それを盛り上げようとしてくれているのだろう。


 おかげでいくらか気分は楽になった。


 だからこそ言っておかないといけない。


「ねえ」


 突如トーンの変わった僕の声に、ユノス達は不思議そうに首を傾げる。二人とも角度まで全くおんなじだ。少し愉快な気持ちになる。


「こんな僕にも優しくしてくれてありがとう」


 二人の眉間にしわが寄った。そんな顔までそっくりだ。


 まあ、なんのことかはわからないだろう。全然そんな素振り見せてないし。


 けれど最後の挨拶としてこれは必要だと思う。最悪、僕は演目の後につまみ出される可能性もあるし。


 もちろん、本人はそんなこと露にも思っていないだろうけれど、僕が彼女たちに救われたのは確かだ。


「君たちのおかげなんだ」


 僕やなゆた、有理たちの居場所は他にも何処かにあるということに気づいたのは。


 僕が、そこまで自分を嫌いにならなくていいと思えたのは。


 なゆたが僕の存在理由を、細雪が僕の存在価値を、ユノス達が僕の居場所を教えてくれた。


「そう、それは……」


「良かったね?」


 いまだ彼女らの疑念は払拭されていない。まあまあ、全部包み隠さず言ったら絶対に止めるだろうし。


「楽しかったよ。これは本当に」


 口角は上がっているか、眉は下がっているか。


 声は震えていないか。


 妙な雰囲気を感じてか、二人の手がこちらへ伸びる。


「ちょっと待っ――」


「何を言って……」


 ブザーが鳴る。次は僕の番だ。


 それでは親切なお二方。


「さようなら」


 また会うことは無いでしょう。


 二人の手は空を切る。


 僕は恥ずかしいのでさっさと暗闇の中に出ていく。


 覚えていてくれると嬉しいな。けれど忘れてくれても構わない。


 僕はずっと覚えていようと思う。

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