第28話 不死身の男は斯様に死なないのだ

 ぱっと視界が明るくなり、思わず少しだけ目を細めてしまう。


 観客達に情報が広まるのが速いのか、アナウンスが始まる前に歓声が上がる。


 うんうん、そこまで速く伝わっているとは、嬉しい誤算だった。


 僕はうやうやしく礼をする。


 そこでより一層拍手が大きくなる。


 ここまで歓迎していただけるとは、感謝の極み。


 ――では、僕も久々に全力で死なないで見せましょう。


 ゆっくり顔を上げた僕は、おもむろに両手で頭をつかむ。途中で離してしまわないように、ちゃんと力を込める。


 そして


 肉の裂ける音、関節の爆ぜる音、手は血でぬめり、視界が徐々にせり上がっていく。


 昨日は早々に意識を切り離したため痛みは抑えられていたが、今日は必死で感覚にしがみついているため、すこぶる痛い。


 油断していると、死にはしないが意識が遠くへ飛んでしまいそうだ。


 エンタテイナーの端くれとして、僕は精一杯の笑みを浮かべる。


 少し反対へ回してから、反動をつけ勢いよくねじることで、僕の頭は完全に胴体と分離を果たした。


 胴体の方からスプリンクラーのように出血しているのを感じる。


 観客席からは悲鳴と共に、幾ばくかの歓声が上がる。


 反応は上々だ。まだまだこれからですよ。


 しばらく待って胴体からの出血がなくなったことを確認し、僕は自分の頭を持ち直す。 ちょうど胴体の方を僕の頭が向いている状態だ。


 頬に触れる手が冷たくて気持ちいい。


 脳とは分離しているので、解剖学的に言えば――というか常識的に言えば、動かないはずの胴体はどういうわけだか動く。また、繋がっていないはずの腕の感覚まで鮮明に伝わってくる。


 ここからは少し躊躇してしまうが、まあとにかくやるしかない。心臓の弱い方は見るのをやめていただきたい。けれど、観客達はその目に焼き付けろ。


 僕は大きく口を開け、


 まだ痛みを感じる事は出来るみたいだ。鈍い痛みが腹部に滲む。


 しばらく噛んでいると口内が鉄の味で満たされた。吸血鬼とかゾンビって毎食こんな気分なのだろうか。


 とっくに歓声は止んでしまい、僕のしゃくおんと何かの液体がしたたり落ちるような音だけが会場に響き渡る。


 ぴちゃ、ぴちゃ、ごく、ごく、と。


 飲み込んだはいいものの受け止めるものが何もないので、さっきまで胴体についていた部分は僕の喉を伝い地面に落ちていく。


 飲み込むために必要な筋肉がちぎれていなくて良かった。


 この時点で僕には、全身どころか空間にまで広がっているような錯覚さえ起こすほど、筆舌に尽くし難い痛みが走っている。ぶっちゃけ、こうして思考できているだけで奇跡だ。


 まあ実際、そこら辺にも僕の体は転がっているので、あながち間違った表現というわけでもない。そこに転がっている胸や肩、腹の筋肉にいたるまで、全部に痛みが走っている。


 頃合いをみて、僕はあらわになった内臓部分を見せつける。


 その間にも僕は、自分の肩口をどんどん噛みしめていく。美味しいとか美味しくないだとかはとっくの昔に麻痺してしまっている。


 観客はすでに歓声を上げることをやめていた。


 どころか嗚咽、悲鳴、それに混じり怒号まで聞こえてくる。


 まあ、気にしないが。


 噛みしめたところからまた出血が起こり、変な飲み込み方をした僕はそれにせてしまう。


 その時、僕の胴体の方から血がとく、とく、と噴き出した。いや、もう、これ本当に訳わからんな。どんな体の仕組みしているんだよ、僕。


 そういえば、と、僕は今更と言えば今更過ぎることに気づく。


 ここからは食べるところに注意しなくてはならないんだ。


 下手に腕の筋肉なんかを食べてしまうと、僕の首を支える腕がなくなってしまう。食べてしまえば、たとえ自分の体であろうと消えてしまうんだ。


 というわけでまずは内臓から。


 僕の口から喉を伝って胃が出てくる。これは緊張のあまりではない。


 その後も食べ続ける。


 ついに立っていられなくなり、腕の力だけで自分の体を引き寄せては、ただの肉の塊へと姿を変えていく。


 肉塊が肉塊をむさぼっている。


 徐々に液体の音がなくなり、観客の呼吸音すら聞こえてくるくらい、会場は静けさに包まれた。


 ステージの真ん中には、かつて僕の形をしていたモノが散乱している。


 微かに残った視界で客席を見ると、空席が目立ち始めている。気分が悪くなりでもしたのだろう。僕は、けれど一切自分を殺すための手を止めるつもりはない。

 それに、このくらいで限界だと思われていたとしたら、舐められたものだと思う。


 思った通りだ。


 やはりどんなものであれ、やり過ぎは良くない。


 まといが上げた火柱のように、事務所における人員のように、そして今の僕のように。


 彼らにとって、自分はあくまで傍観者で良かったのだ。


 現実とは離れていても、それの表面を体験するだけ、現実を見た気になるだけ、というのを観客達は求めていたのだ。


 触れ合いたいからと言って動物園の檻に入りたいわけじゃない。


 スリルを感じたいからと言っても、命綱は必要だ。


 肝試しも、絶叫マシンも、獰猛なサメも、自らの精神と体の安全が確保されている上で楽しもうというのだ。


 何を言う、甘い甘い。


 実験結果の内、一割も発揮していないんだぞ、僕は。


 僕は何処までやれば人間が死ぬのかよくわかっている。


 そこまでやっても、僕が死ねないのもよくわかっている。


 その辺りは散々研究所で知らしめられた。


 彼らはそんな物目の当たりにしても、表情一つ変えやしなかった。


 さあ、まだまだ、まだまだだよ。


 肉塊の中央辺りで何もなかったかのように、僕はもう一度立ち上がる。


 もっともっと死んでやる。


 もっともっと死なないでやる。


 僕が途方もなく死なない様をよく目に焼き付けておくと良い。       


死なないだけで、人はどれだけおかしなものになるかとくとご覧あれ。




 それから僕は、普通の人間なら少なくとも五回は死んでいるであろう行為を続けた。


 テントの天井部分にある鉄骨に上ってはダイブし、檻にいた魔獣達を連れてきてもらってその腹を満たしてやり、唐突に断頭しては観客席へ首を飛ばしてみるなど、普通の人生を歩んでいたら到底見られないであろう、またここに入り浸っていようが決してのぞき込めないであろう死に様を見せつけてやった。


 道具が揃っていればもっとバリエーション豊富だったろうに、プレス機とか、大鍋とか、劇薬でもいい。


 とっくに楽しいショーは終わりだ。


 何人か観客を選び取って死んでもらうのも考えてはいたけれど、観客の方に死人を出してしまえば、公演自体がなくなってしまうかもしれない。それは避けたかった。彼らの場所を奪うのは、また話が違う。


 僕が小道具の中からナイフを持ち出して、僕を教材とした解剖学教室を始めようと自分の皮を剥ぎだしたときだった。


 ――唐突に舞台の照明が落ちた。


 ガタガタと慌ただしく足音が近づいてくるのを感じる。


 まあ、当然の幕引きだよなあ。


 受けないどころか観客を引かせ、それに留まらず帰らせてしまうような芸なんて続けさせるわけにはいかないだろう。


 何者かに連れられ舞台の裏に引っ込む。痛い痛い、まだ皮膚はむき出しなんだから、もうちょっと優しく扱ってほしい。


 暗くてよく見えないが、どうやら僕をサーカスへ連れてきた黒服の男達みたいだ。


 ああ、やっぱりユノス達にちゃんと別れを告げてきて良かった。

 団長室まで連れられながら、僕は安堵した。

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