第26話 演目はどうでしたか?
その後、おそらくは団員の宿舎であろう、初日に僕が寝かされていた部屋に戻る。
僕の足取りは軽くなかった。もちろん、腹に一物抱えているのもあるけれど、今はあくまでサーカスのメンバーとしての問題を抱えている。
つまり、ぽっと出の僕が
実際は団長が全てを行ったので、僕の責任は皆無といってもいいのだけれど、そんなことは関係ない、と思う。色々と動きづらくなるので、メンバー内での立ち位置が悪くなるのは避けたかったけど、今となっては後の祭りか。
少し重い、観音開きの扉を引く。
けれど、耳に入ってきたのは、
「すごいじゃないか!」
「あれどうやったの?」
「魔法かなんか?」
「痛くないの?」
僕の予想に大きく反して、歓迎の言葉だった。
なんだか、そう、あれだ。慣れない。不意打ちだからか、打って変わって面映ゆいような気持ちになってしまう。
方々からとんでくる言葉に戸惑いながらも、僕はちゃんとそれらに答えていく。もちろん、全部を包み隠さず言っても信用されないだろうから、その辺りは上手くはぐらかしつつも。
思えば、歓迎会なんて初めてだった。
入れ替わり立ち替わり様々な団員がこぞって僕に挨拶していく。死体の人形師に、ナイフ投げ師、足が五本ある魔獣と芸をしていた猛獣使いなど、様々な面々がここにはいた。
一気に来たので名前を覚え切れたか不安だ。
「亜斗さんすごいのね! 私驚いてしまったわ」
最後にやってきたのは、ユノスとアンディーだった。
アンディーの方は少しわかりづらいが、両名とも目がきらきらと輝いている。
非難を受けないにしたって気味悪がられたり、引かれたりすると思っていた。けれど、あれだけやってこんなに好意的に見られたのは初めてだった。
「私達にもあんなにすごいことは出来ないもの。すごい。尊敬してしまうわ!」
「それに、気味悪いのはきっと僕らも同じ」
おお、アンディーが長文を喋ったので少しびっくりしてしまった。
と言うかなるほど、そうか。
物珍しさがトップクラスとはいえ、ここにいる常軌を逸した個性を持つ団員の中で、いまさら死なない程度では引かれないということか。
僕は大きく深呼吸する。歓迎ムードを吸い込んで、腹にあった重いものを吐き出した。
――改めて思った。居心地だけは良いのに。
ここでなら、妹も、まといも、有理も、そのままで生きていけそうな気がするのに。
そんな考えを、どうにか頭から除外する。
窮屈だろうと、疎外感を覚えようと、排除されようと、僕がいるべきは外なんだ。
それに、いくらここがよくても、やはりあの観客達に見られるのだけは勘弁願いたい。今思い出しても虫唾が走ってしまう。あんな観客達に、細胞一つでも妹が見られるというのは我慢ならない。
うん、やっぱり明日にはここを出よう。人質扱いの妹やこの団員達のためにも、なんとか円満な方法で。
「いやあ、楽しかったなあ! それじゃあ、不死身のあんちゃん、明日も頑張ろうなあ」
ナイフ投げ師の一言で歓迎会は終わり、明日の舞台のため、僕らは眠ることになった。
景色だけを見れば昨日とあまり変わらない。違うのは僕の姿勢と、団員達の顔が一人一人ちゃんとわかるということだ。なんだったら名前も。
窓から僅かに入る月明かりに、ユノスの金髪が光っている。
「どうだったかしら、初公演は」
「まあ、途中からは記憶が無いんだけど」
アンディが眠っているので、二人とも囁き声で話している。
昨夜と違い僕は座っているので、今日はユノス達よりも視線が高い。
「すごかったと思うよ。あれだけ歓声に包まれたのも初めてだし」
ユノスと楽しく談笑しながらも、頭の中では別のことを考えている。
さて、どうやってここを出たものか。
当初考えていた一番手っ取り早い方法は、観客含め全員に死んでもらうことだったんだけど――情が湧いてしまった。それに、その方法は初めから使うわけにはいかないものだった。
それに、一番の問題は妹を人質に取っている人間――つまり運営と僕の拉致に関わった人間だ。
彼らを残してしまうと、妹に危険が及んでしまう。一度街で会ったくらいで家を特定してさらっていってしまうのだから、ちょっと逃げたくらいじゃまた捕まってしまうのが関の山だろう。
団長自ら僕を送り出してくれるようなシナリオが望ましいのだけど。
「ねえ」
考えの途中に割り込むように、ふと思いついたことを聞いてみる。
「ここから出てみたいとか、思ったことはないの?」
死ねない僕が死にたいと思っているように、日常にいる人間が非日常を覗いてしまうように、非日常にいるユノスは、日常を夢見たりしないのだろうか。
虚を突かれたかのようにぽかんとしてしまうユノス。
けれど彼女は、少し考えた後に「無いわ」と答えた。
「そもそも見たことがないもの。どんなところだろう、と思ったことはあるけれど、行ってみたいと思ったことはないの」
それに、と少し自嘲気味に彼女は続ける。
「ここから出ても、私が生きていけるところなんてないもの。こんな体の私達が」
ユノスは自らの体を見下ろす。
残酷だけど、確かにそうだ。彼女がたとえまっとうな人間だったとしても、外見で謂われのない
他の団員もそうだろう。ここでしか生きていけない、ここでなら生きていける。
ここはここで、団員にとっての居場所なのだ。
それをおいそれと否定は出来なかった。
「僕は綺麗だと思うよ」
彼女の金髪を見ながら僕は言った。月の光を集めたような色をしている。
「ふふ、ありがとう。あなたも格好いいわ」
僕の手にくすぐったそうに身をよじりながらも、ユノスは言った。
「光栄でございます。お嬢様」
少し間が空いて、くすくすと二人だけの小さな笑い声が響いた。
鳥かごの外を夢見るのは、外の世界を知っているものだけだ。
それを知らないものが夢想することも、ましてやその世界で生きるだなんて到底思えないのだろう。
僕たちでさえ疎外感に
それでも唯一見つけた細雪という存在。
ユノスにもそんな存在が見つかれば良い。なんてことを考えた。
「眠くなってしまったわ。ごめんなさい、先に休むわね」
そういうと、ユノスは安らかな寝息を立て始めた。
同情かもしれない。
けれど、彼らを傷つけるようなシナリオは、僕にはもう書けそうになかった。
しかしこうなると、僕が思いつく限りで、ここから出る方法は一つだ。
僕の想いとは裏腹に、小さな窓から見える月はひどく綺麗だった。
まるで、僕がこれから描き出す世界をあざ笑うかのように。
翌朝、部屋が慌ただしくなるその前に、僕は団長の部屋へ向かった。
途中、何度か行き止まり、変なところの扉を開けてしまったり、得体の知れない生物に飲まれかかったりしたけれど、なんとか団長のところへたどり着いた。
全く、僕の人生みたいだぜ。
……笑ってくれるとありがたい。
ノックを三回。少し震えている手を見て、久しぶりに緊張してしまっていることに気づいた。
「誰かな?」
中からくぐもった声が聞こえる。こちらを不審に思ってそうな声色だ。けれどそれも、僕の声を聞くと途端に明るいものになる。
「いやあ! すみません、すみません。団員がこの時間に尋ねてくることはありませんもので。来るとすれば何かトラブルでも起きたのか、と」
ささ、中へ。と団長はその大きな体を寄せるように室内へ促す。
窓の外には、昨日とは打って変わって静かなテント内が見えた。
観客さえいなければ、あんなに静かで穏やかな空間なのに。
もちろん、観客のいないサーカスなんて、団員にとっても楽しくないだろう。そんな単純なことはこれでもかっていうくらいわかっているんだけど。
「紛らわしいことをしてすみません。少し、お願いがございまして」
「なるほど、お願い」
そう言って、団長は白いものの混じったあごひげを撫でる。
あくまでも丁寧に。一番の新人が組織の
「ええ、と言いますのも、今日の私の出番、演目を私に考えさせて欲しいのです――というより、私が既に考えているものがありまして、それをさせて欲しいのです」
さて、どう出る。
正直、ここで却下されてしまえば、僕の考えは
団長は少しそのまま考え込んだ後、ぽん、と手を叩き言った。
「ふむ、良いでしょう。私どももあなたの魅力を
――やった。
「ですが、困りますな。すでにあなたも客人とはいえない身。演目の変更は、出来れば当日までにお願いしますよ」
喜びが表に出すぎないように、あくまでわがままを通してもらった、という仮面を被る。
「はい、すみませんでした。では、よろしくお願いします」
「ええ、こちらこそ。して、どんな演目をお考えで?」
ウシロは高揚感を隠しきれない様子で尋ねてくる。
まあ、それを言うわけにはいかない。間違いなく止められるだろうし。
「その辺りは、失礼ながら秘密と言うことで。なにせ、私も手探りな状態なのです。ウシロ団長にも観客として見ていただいて、どう
その言葉に、団長は喜色満面に答える。
「ええ、ええ! 私で良ければ、ええ! しかし見上げた向上心でございますな! やはり、私の目に狂いはなかった」
いや、最近の団員は己の位置にこだわりすぎていて、あまり新しいものを得ようとしない。そう、飢餓感と言いますか、ハングリー精神と言いますか――などと、ウシロは立て板に水のごとくぺらぺらと、団員の心構えについて語り始めた。
そこまで喜んでもらえるとは思っていなかった。
さて、それを裏切ってしまうのがほんの少し心苦しい、なんて思ってみてから、僕は舞台に向かう。
今日は昨日と違い、演目の始めから僕も顔を出すらしい。
会場内はもう観客でいっぱいなようで、ざわざわとどよめきが聞こえる。
さあ、僕も気合いを入れて、最大限自分の可能性って奴を試してみようじゃないか。
ブザーが鳴り響き、僕の最後の舞台が始まった。
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