第12話 探偵の推理中はお静かに 1

 音が鳴る。


 電話だ。


 頭が痛くなる。


 徐々に意識がはっきりしてくる。


 音のした方に顔を向けると、ほこり臭さが鼻についた。


 久々に聞いた音だからか、着信音も随分大きく聞こえる。


 手を伸ばそうとするも、油が切れたゼンマイ人形のように体が動かない。この様子だと、もしかすると一度餓死しているかもしれない。


 今は何月何日だろう。


 眠っているようだった。けれど、夢を見たのはほんの一瞬だった。


 なゆたが帰ってきた。


 そんな夢を見た。


 眠っている僕の顔を覗き込むように、なゆたがそこにいた。


 けれど彼女は僕と目が合うなり、確認を終えたようにまた姿を消してしまった。


 あんな夢なら悪夢と同じだ。


 また着信音が鳴る。1度目はそのまま切れてしまっていたみたいだ。


 なんとか気力を振り絞り、電話を取る。


「あ、兄さんですか?」


 聞こえてきたのは、我が妹の声だった。


 話を終え電話を切ると、僕は身支度を始める。


 胃の中は見事に空っぽなため、固形物が食べられず、栄養ドリンクでまかなった。


 妹が待っている。


 行かなくちゃ。


 


 

 ドーナツは美味しい。


 これは後世まで語り継がれるべき食べ物なのです。


 はあ、油で揚げた炭水化物に砂糖をかけるなんて、なんとぼうとく的な食べ物なのでしょうか。一口毎にカロリーが摂取される音がするのです。


 して、何故我々が街のお洒落めなドーナツ屋さんにいるかというと、


「いや、あんたが来たいって言ったんでしょうが」


「まあ、そういうことですね」


 先ほど「ワールドイズマイン!」などと啖呵をきった時に、ちょうど良く有理のお腹が鳴ってしまったのです。


 なんと不幸にもかりんとうを最後にお菓子の貯蔵が切れてしまっていたので、こうして街へ繰り出してきたというわけです。


「あんた、いつも思うけどよくそんなに食べられるわね」


 胃の辺りに手を当てながら、まといさんは言います。


「はい、なんならもっと食べられますけど、あまり食べ過ぎると多幸感のあまり頭が働かなくなってしまうのです」


「ああ、そう」


 化け物を見るかのような目が向けられているのは気のせいでしょうか。


 ドーナツ七個は少ない方だと思うのですが……。


「ああ、無理。胃もたれしてきた」


 そういってまといさんはコーヒーを注文しに行きました。


 まといさんはすらっとした美人さんですが、身長はそこまで高くないので人の中に紛れてしまうと何処に行ったかわからなくなります。


 いままでもそれで何度かはぐれた事があるのです――それも、今の亜斗さんとなゆちゃんの状況と比べればかわいいものなのですけれど。


 アイスコーヒーにシロップとフレッシュを入れたまといさんが帰ってきます。


 さて、もう一度振り出しに戻って考え直そう。そう思ったときなのです。


「え、あいつ」


 まといさんが席に着くなり立ち上がり、窓の外を指さします。その先には――


「亜斗さん?」


 有理は荷物を持って走り出します。まといさんもコーヒーを置いてそれに続きます。


「亜斗さん!」


 大声でそう叫ぶと、それに気づいた亜斗さんが振り返りました。


「ああ、二人とも。どうしたの?」


「どうしたのはこっちの台詞なのです」


「あんた大丈夫なの? そんなにやつれて、あたしが持ってったご飯食べてないの?」


 矢継ぎ早にされる詰問に、亜斗さんは飄々と答えます。


「ああ、あれは……たしか、食欲がなくて食べられなかった」


 見ると確かに、前よりも随分痩せて見えます。


「なゆちゃんは――なゆちゃんは帰ってきてましたか?」


 亜斗さんはうん、とかええと、とかはっきりしない言葉を漏らしたあと、つっかえながらも話し始めました。


 その内容に有理たちは驚きを隠せません。なゆちゃんが一度帰ってきたなんて。


「けれど、あれは夢なんじゃないかな。僕にもわからないけれど」


 虚空に目をやりながら、亜斗さんは言います。


「で、あんたはじゃあ今から、そんな風貌で何処へ行くつもりなの」


 確かに、足取りも不安定ですし、何がきっかけで復活したのかはわかりませんが、まだ家で大人しくしていた方が良いと思うのです。


 それにも亜斗さんは、ああうん、と言ってから言いました。


「電話があったんだ。僕の妹から」


「妹って――なゆちゃんからですか!」


 なゆちゃんは携帯をもっていないと聞いたのですが、だとしたら誰かに保護されているとか、もしや誘拐されているとか。


「いいや、そうじゃないよ。細雪の方からだ」


「へ」


「なに」


 何を言ってるんだか、といった顔で言った亜斗さんの言葉に、言い様のない不安が掻き立てられます。


 細雪、とはこの間出会った血の繋がりがある方の妹さん……ですが、けれど、だって。


 服の下を無数の手が這い回っているみたいな生理的嫌悪を感じます。


「ん? どうかした?」


 けれどその原因となった言葉を発した亜斗さんは気づいていないみたいです。自分がどんな事を言ったのか。


「あ――ああ、そう、それで? なんて言われたの」


 まといさんは何もなかったかのように尋ねます。よく見ると、さすっている腕に鳥肌が立っています。


「なんかね、用があるから来てくれって言われたんだ」


 亜斗さんが待ち合わせ場所に指定されたのは、ここから歩いて二十分ほどの所です。


「用?」


「いや、僕も何があるかは知らないけれど……ああ、もしかすると、いつか一緒に暮らそうって言っていたから、その話なのかもしれない」


 それはまた初耳なのです。


 新しい情報が多すぎて、目が回りそうになります。


「そう、また急な話ね。上手くいきそうなの?」


「どうかな。その辺りはまだわからない。けれど、少なくとも僕のことを怖がらないでいてくれたんだ」


 それに僕のことを、最高の魔法に祝福された者だ、と言ってくれたんだ。


 有理はそんな会話を聞きながら、妙な違和感を覚えています。非現実的というか、そう、亜斗さんから生気を感じないというか――もちろん、その痩せ細った風貌もあるのでしょうけれど、妙な感覚はいつまでも消えません。


 まといさんと目配せし合い、お互いの息を合わせます。


「良かったじゃない。そうね、あたし達がなゆたを探しておくから、安心してそっちに行きなさいな」


「そうです。そんな痩せ細ったおにいちゃんが出て来たら、せっかく帰ってきたなゆちゃんもびっくりしてしまうのです」


「うん、ありがとう。行ってくるよ」


 そう言って亜斗さんは笑い、人混みの中へ消えていきました。


 その背中をただ見送っても良いのか、答えは出そうにありません。


「戻るわよ」


 しばらくぼーっとしてしまっていた有理に、まといさんが鋭く声をかけます。


 ぽん、と背中を叩かれてから、やっと有理は我に返りました。


「ちょっとこれは、ちゃんと考えないとうかうかしてらんないかもしれない」


 まといさんは足早に店内へ戻っていきました。

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