第11話 走馬灯は誰にも平等に


 あれは、研究所にいた日の中のどれか。


 死なない僕が走馬灯を見られる日が来るのだろうか、と思っていたけれど、今見ているのがそうなのだろうか。


 研究所にいたモルモットは、僕が知っている限り五人。そのうち今も生きている事が確認できるのが僕ら四人。


 研究所にいる間は、僕ら個人間での接触はほとんど無かった。


 常にだし、白い検査着のようなものを着させられて、薄暗い真四角の部屋に閉じ込められる。


 外の世界どころか、内の世界の情報すらほとんど得ることも出来ず、今日が何日なのか、今が何時なのか、自分が生きているのかもあいまいになっていった。


 毎日が同じ事の繰り返し。変わっていると言えば、行われる実験内容くらい。


 失血死ののち復活した場合、抜き取られた血はどうなるのか。


 酸によって溶けた場合、どの部分から再生するのか。


 今思えば、結果の見えない意味の無い実験だったように思う。自分がどのくらいで死ぬのか、ボーダーラインのような物は見えるようになったけれど、魔法による実験は不思議なくらい全く行われなかったため、呪いなんかに対する不死性は全く証明されていないからだ。


 ブザーに起こされて、小窓から差し込まれる食事を摂り、それからいつ終わるともわからない実験が行われる。それが終わると直線だけで構成された廊下を歩き、また自分の部屋で次になるブザーを待つ。

 


 いつだっただろうか、その繰り返しが崩れたのは。


 

 ブザーの音に目を覚ます。けれどすぐ後に、これはいつも聞いているブザーとは違う音だと気づいた。


 扉が開いていた。いつもはそこに立っている厳重な装備をした職員も、今はいない。


 ――ここにいるべきか、けれどこんな時はもう二度と来ないんじゃないか。


 

 気づけば僕は、自室の外にいた。


 ここがどこだかわからない。ただでさえ同じ通路しか行き来したことがない上、建物の構造が似通ったところばかりだからだ。


 ぺたぺたと響く足音が不安をつのらせる。今のところ人の気配はない。ここの職員が一体何人いるかは知らないけれど、かなりの長時間歩いてきている気がするのに、ここまで誰とも会わないのはおかしいんじゃないか。そう思い始めたときだった。


 何処かから泣き声が聞こえる。


 すん、すん、としゃくり上げる声が、小さいながらも確かに聞こえている。


 僕は走っていた。


 毎日が実験、実験、実験だったために枯れ木のように細くなった足で、懸命に走った。


 息も絶え絶えにたどり着いたのが、まだ幼かったなゆたの部屋だ。


 ぜえ、ぜえ、という僕の声の他に、彼女の小さな泣き声が聞こえる。


 けれど、確実にその部屋から泣き声が聞こえているのに、その姿は見えなかった。


 聞き間違いかと思い、別の部屋へ行こうとする。


 けれど、聞こえた。


 今度は確実に聞こえた。


 物々しい雰囲気の中現れた突然の来訪者に、思わず漏らしてしまった、


「ひっ」


 という声が。


 僕と同じ裸足だから、一歩後ずさった音が靴よりも良く響く。


 姿は相変わらず見えない、けれどそこに何者かがいることは、もう疑いようのない事実だった。


「いや、ちょっと待って」


 辺りを見回しながら、なだめるように僕は言う。


「僕は、その、悪いことをしに来たわけじゃない。ほら、見えないけど、君と同じ服をきてるだろう?」


 ほとんどやまかんだ。


 なんとなく、同じ実験対象の誰かなんじゃないかと思って、誰かが来るかもしれないと怯えて、何処かに隠れてるんじゃないかと思った。


「そう、僕は――」


 本当に勘、というより、口をついて出た言葉。なんでだかわからない、けれど安心させたくて言った言葉。



 今思えば無責任な言葉だ。


 助けに来たも何も、自分だって逃げてきたのに。


 言葉に出してから、もしかしてここを襲撃した人たちなのかもしれない、と万が一のことに怯えていたというのに。


 そんな、紙よりも簡単に飛んでいってしまいそうな軽い言葉だったけれど、向こうへは確かに届いた。


 声のしていた方を見ていると、徐々にそこへ輪郭が浮かび上がった。


 瞬きをしている間に、そこへ姿を現したのは年端もいかない女の子だった。


 僕と同じ高い声で彼女は言う。


「ほんとう……? たすけに来てくれたの?」


 目元は腫れぼったく、少し荒れてしまっていた。


 今このときだけ泣いていた訳ではないだろう。僕は彼女も僕と同じくひどい実験を受けている事を直感した。


 ここで引くことは出来ない。たとえ嘘をついてでも、彼女をもう一度泣かせることはしたくなかった。


「そう、そうだよ。君をいつか助けに来ようとしてたんだ」


 そういうと、彼女は少し呆けた後、ぽろぽろと泣き出してしまった。今度は泣きじゃくるという感じじゃない、必死にこらえようとしても、こぼれてしまうみたいだ。


 その表情に、胸が締め付けられるようだった。彼女がどんな実験を受けているかは知らないけれど、何度も死ぬような実験を繰り返されている自分の事はもうなんとも思わないのに、この子を何とかして助けたいと思った。


「それじゃあ」


 ようやく話せるようになった彼女から出た言葉は、より一層僕の心をえぐるようだった。


「あなたが、私のお兄ちゃんなんだね」


 このときから、僕はなゆたの兄だ。


 そしてそれは今も変わらない。



 僕はもうほとんど覚えていないけれど、彼女は今でも家族のことを覚えているらしい。


 辛いときには何度も家族の事を思い出しては、それに耐えてきたみたいだ。


 お兄ちゃんの顔も、お母さんの顔も、今では思い出せないけれど、いつかは迎えに来てくれると信じてた。と言われた。


 本当は僕も実験対象だし、逃げたいのに逃げられない、という状況は同じだけれど、きっと僕がそれを否定すれば――今度こそ彼女は折れてしまうだろう。


 僕なんかよりもか細く、骨張ってごつごつとした腕を思わず握ってしまう。こんな小さな体で今までどうやって生きてこられたのだろう。


 ここから無闇に動いても仕方が無い。それに、逃げるよりも今は彼女の支えになる方が重要な気がした。


 そうしているうちに、二つの足音が聞こえてくる。


 初めは職員の誰かなんじゃないかと身構えてしまったけれど、足音の主が裸足な事に気づき、僕は部屋の外の様子を見に行くことにしたのだ。


 そこで、まといと有理に会った。



 彼女たちも何が起こったかはわからなかったみたいだ。けれど、大きな音と、それに続いて職員達の騒ぐ声が聞こえたらしい。


 何かトラブルがあったみたいだ。こちらがまだ野放しにされていると言うことは、よほど苦戦しているらしい。


 まといは今と変わらず気丈に振る舞っていた。けれど涙の跡は僕らと変わらない。有理は……今と比べると大分暗かったように思う。髪はぼさぼさで目もよどみ、隈もできていた。


 そんな四人が、その時に集まれたのは奇跡だったと思う。その時に改めて、僕らは自分たちの状況がいかにおかしいかに気づいたのだ。



 僕らで脱出しよう。そんなことを約束したのもこのときだった。


 僕らは普段話せないようなことをたくさん話した。


 というより、普段誰とも話せない僕たちだ。話題の種はいくらでもあった。自分と同じ状況の他人がいることが嬉しくて、それが共有できることが慰めになり、初めて自分を実験動物じゃなく人間だと思った。


 けれどそれも、慌ただしい足音によってかき消される。


 僕らの顔にみるみる怯えが浮かぶ。


「ここにいたか!」


 向けられる銃口で反抗の意思は摘み取られ、いつも見ている顔に恐怖が嫌でも呼び起こされる。


「やだ、やだ――おにいちゃん」


 袖を握る手はぎゅっと力が込められ、震えている。


 僕らは暴れることも出来ず、作業のように回収されていく。


 また、いつもの日常が始まる。


 昨日までならそうやって諦められていた。


 けれど、今は違う。


 僕には、


「ぜったい」


 反抗すればどうなるかわからない。


 けれど、僕は伝えないといけない。


「絶対、迎えに来るから!」


 振り返りは出来なかったけれど、なゆたの顔から怯えが消えた気がした。


 直後、頭に衝撃。


 銃床で殴られたようだ。余計なことは言うなということらしい。


 けれど、普段から致命傷を受け続けている僕にとってはこのくらいなんともない。額から血を流そうが、彼女に安息が与えられるならそれでいい。


 僕は彼女を、妹を絶対に助ける。


 

 結局、あの騒動で研究所に何が起き、どう収束したのか、僕たちはまだ知らない。


 けれど、大きなダメージを受けたのは確かなようで、あれから何度も研究所内で僕たち四人は会うことが出来た。


 そんな降って湧いたような奇跡によって、僕らは後に脱出を果たす。


 研究所の残党はまだ何処かにいるという。


 いつか全員を打ち倒し、終わりが来ることもあるのだろうか。


 僕たちはそんな今日を生きている。

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