第8話 月が見ているこんな夜に 2
お金が欲しかったというわけではない。金銭面で言えば、研究所からかっぱらったお金で一生暮らしていけるくらいは持っている。
ほとんど道楽でやっているような商売なので、決まった依頼料というのは存在しない。
もちろん相場もあるし、一定の
よほど難しいのか、他では断られたのか。
失礼ながら、たかが猫探しにかける費用ではないことが僕の興味を引いた。
そこまでして見つけたいのか。それともその猫が大切なのか。
僕はすぐさま探しに出掛けたのだった。
「それで、どうしてそんな高額の依頼だったんですか?」
身を乗り出すようにして、彼女は聞いた。
「まあ、簡単な話だったんだよ」
例として挙げた二つの例がそのままだったって言うことで。
つまりは難しく、誰も受けなかったということだ。
探し始めて何日か後、その猫による被害者が出たことで僕はその猫を確保した。
「なるほど、だから猫みたいなモノなんですね」
ふんふん、と彼女は深く頷いた。
「そう、目と頭が悪かったら猫に見えるかもしれない」
口は四つくらい開いていたけど。
あと立ち上がったら一.五メートルくらいあったけど。
「見ればわかる、ってそういうことですか」
彼女は苦笑する。
「そう、確かにわかったけど、猫を探してあれにはたどり着けないよ」
迷子の猫探し、って言うよりは魔獣の生け捕りみたいになったけど、なんとか捕まえて持ち主のところへ返してあげた。
「結構な大立ち回りだったからそれなりに目立ったと思うよ」
目立ったせいか、一時期爆発的に依頼が増えたんだけど、今はそれも落ち着いている。
まあ、土手っ腹に穴を開けても笑顔で立っている奴がいたら、目立って仕方ないとは思う。
「そうなんですか。私は、ごめんなさい。それで見つけることは出来ませんでした」
目を伏せるようにして彼女は言う。
まあ、目立ったと言っても一部のコミュニティだけだろうし、普通に調べていて耳に入るような情報でもないだろうし。
「いいえ、兄さんを探している私には入ってもおかしくないような話でした」
自分を責めるような口調だ。
「いいんだよ。時期はずれてしまったけど、こうして会うことが出来たんだから」
この言葉は慰めでもあるけど本心だった。
「はい……はい、兄さん」
細雪は顔を上げる。
この時、初めて細雪と目が合った気がした。
血を分けた兄妹というのももちろんあるだろうけれど、僕が死なないと言うことをわかっていて、それでも普通に接してくれるのがとても嬉しかった。
考えてみると、仕事を依頼する人間や有理たちを除けば、彼女は研究所を出てから初めて知り合った人間かもしれなかった。
まあ、正しくは時系列が前後しているのだけれど。
死なないことはもちろん、やろうと思えばいつでも死なせることが出来るこの体は、利用されこそすれ、こうして対話をしてくれる人間なんていなかった。
話していくうちに、僕は無意識のうちに安らぎを感じていた。これが家族の絆なのだろうか。
悪くない。
見上げると、人面をした月も笑いかけてくれているような気になってくる。大口を開けて、幸せそうな表情だ。
月にうさぎを投影するのはこの国特有の文化らしい。海外では蟹だったり、女性の横顔だったり、あるいは荷馬車をひく人間だったり――なら、今のように人面の月にもまたなにか別の表情を見る人だっているのだろう。
笑っている? 怒っている? 大泣きしている? 大口を開けているからと言って、その表情が一つとは限らない事に今気づいた。
「今は何処で暮らしているの?」
ふと思いついたその質問に、彼女は少し表情を曇らせた。何かまずいことを聞いてしまっただろうか。
けれど彼女はその表情から一転、一度唇をきゅっと結び僕を見据えて言った。
「あの、私達また――」
また一緒に暮らせませんか?
意を決して言われたその言葉に、僕の時は一瞬止まる。
――家族とは一緒に暮らしているものだ。
それはさすがに僕でもわかる。けれど僕の場合、もともと家族でなかったものが一緒に住むために、僕となゆたは家族だと確認し合っていたに過ぎない。
そして今、血の繋がった家族がいる今、そんな話になるのは当然と言えば当然だった。
もしも僕一人なら、二つ返事とは言わないまでも、一緒に住むことについて肯定的に考えられたと思うのだけれど、今の僕にはなゆたがいる。
一番いいのは、三人で仲良く暮らすと言うことなんだけど。
「そ、れは……」
まあ、そう上手くはいかないだろう。
なゆたの方もどう考えているかわからないけれど、そうすんなり受け入れられるものでもないし。
けれど彼女は考えを振り払うように首を振ってから言う。
「い、いえ。まだどうなるかわかりませんけれど、大丈夫だと思います。家族が一緒に住むんですから、なんでも乗り越えられますし、その、頑張ります!」
細雪はそうやって拳を握り、ガッツポーズをとった。
細く華奢で小さなその体は、けれどとても頼もしく写った。
「三人で住むには少し狭いですけど、なんとか暮らしていけるはずです」
「いや、僕の家もあるし、いざとなったら三人で住めるだけの家に引っ越せばいいよ」
それくらいの出費なら全然問題ない。
「いいえ、兄さんにそこまでしてもらう訳には――」
「いや、いいよ」
半ば喰い気味にその言葉を制してから、僕はこう言う。
「兄に任せておいてくださいな」
なゆた以外に向けて、自分の口からこんな言葉が出るとは、さっきまで思いもしなかった。
細雪は少し呆けてこちらを見ていた。
少ししてその目から涙が落ちる。
えーっと、どうしよう。
いや、どうして泣いているかはなんとなく察しがつくけれど、だからと言ってそれをどうにか出来るほど、対人経験に慣れていないし。
誰か! 誰か! 女性にモテそうな人! 誰かこういうときどうしたらいいか教えてくれませんか!
「どうしたの?」いや、違う、「泣き止んで」これも違う、「……」どうしよう。
「あ、ごめんなさい。その、嬉しくて」
そうでしょうね。それはわかったんだけど、そもそもこのまま泣かせてていいものか、それよりも泣き止ませる方がいいのか、それすらもわからない。
「そうですよね、兄さんですもんね。やっぱり記憶の中にいた兄さんと変わらない。優しい兄さんのままです」
僕が慣れていないのをいいことに、話が勝手にどんどん進んでいく。
けれどそうか――こんな僕を優しいと言ってくれるのか。
僕はいつの間にかその体を抱きしめてしまっていた。慣れない行動に心臓が早鐘のように打ち続ける。
きっと、あまりのぎこちなさに月も笑っているのだろう。
「にいさん」
それは、目の前の大人びた少女がするにはあまりにも
しばらくの間、僕は妹を泣かせた。これが多分、一番いい方法だったから。
――少しして。
彼女は泣き止むと、そそくさと離れた。
「えへへ、少し恥ずかしいところをお見せしてしまいました」
少しはにかむようにして言う細雪。
いつもは透き通るように白いその頬は、少し赤く染まっている。
「けど、これからはもっと兄さんにこうしてしまうかもしれません」
細雪は覗き込むようにそう言った。
「いや、気にしないでいいよ。兄に頼るのは妹の特権だ」
少し胸を張るようにして僕は言う。
言ってて少し気恥ずかしくなってくる。ただでさえなんだか面はゆい感じがするのに。
心臓は疲れ切って、徐々に脈を落ち着けてきた。
「はい、えへへ」
にいさん、ともう一度確認するように細雪は呟いた。
夜の空気は温かく、見知らぬ人の喜びまで伝わってくるようだった
細雪は別れ際まで手を振り続けた。見送りは必要か聞いたけれど、それはいらないらしい。
兄としては少し心配だったけれど、本人の意志も尊重すべきだろう。
寄り道せずに帰宅すると、なゆたは変わらずぐっすりと寝ていた。
今日、こうして細雪に会うことで、僕の中でなゆたに対して何か変化があるのかもしれない、と思っていたけれど、杞憂だった。
相も変わらず、僕にとってなゆたは大切な存在だ。
それが変わっていないだけで、僕の生活もずっと揺るがずに過ごしていける。
なんとなく顔を眺めていると、なゆたは起きてしまった。といっても、寝ぼけているようで意識ははっきりとしていない。
僕は顔にかかる髪を避けて、その頭を優しく撫でる。ぼんやりとしていた表情はにわかに緩み、くすぐったそうにしている。
「……おかえり」
なゆたは微かにそう言った。出掛けていたのはばれていたみたいだ。
「ただいま」
少し前までなら、姿が見えないだけで取り乱していたけれど――なんだか成長を実感できたみたいで、こちらの表情まで緩んでしまう。
同時に、いつか独り立ちしてしまう事まで予感して、不安もよぎるけれど。
兄心もなかなかに複雑である。多分。
僕の顔を確認して目標は達成したようで、なゆたはもう一度寝息を立て始めた。
思わず湧き上がってしまった衝動に従って、僕はなゆたの頬をつつく。
顔をしかめ、少し寝苦しそうにする様子に、愉快な気持ちがこみ上げてくる。
ふっ、と一息つき部屋を見渡した。
僕も眠ろう。
なゆたの様子をもう一度見てから、僕はその隣で眠った。細雪と同じく、その表情は年齢に不相応なほど幼く見えた。
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