第7話 月が見ているこんな夜に 1


 僕は天井を見ていた。


 脳内ではくるくると今日の出来事が回る。


 僕の予定では今頃、四人で楽しく遊んだ記憶をひたすらに噛みしめ、幸せな時間を過ごしているはずだったのに。


 隣ではなゆたが眠っている。疲れていたようで、風呂に入るとすぐに眠ってしまった。


 さて、と。僕は今日会った、馴染間細雪という人物についてもう一度考える。


 たしかに、僕には血の繋がっている妹がいた――気がする。けれど、物心つく頃には研究所でモルモットをしていた僕の記憶は確かでは無い。あれが夢だったんだと言われても、僕には反論するすべがない。


 もう一度なゆたの寝顔を確認する。どうやらぐっすりと眠っているみたいだ。


 


 時刻は午前零時の少し前。


 音を立てないようにこっそりと布団から這い出て、身支度を調える。


 外の空気はとても澄んでいた。


 真っ黒な夜空に穴を開けたように浮かんでいる月には、人間の顔のようなものが浮かび上がっている。


 天文学に明るくない僕は知らないけれど、一ヶ月の内に何度か、ああやって人の顔が浮かび上がる夜があるのだ。


 あれが地上の人間によるものなのか、あるいは月の精霊みたいなものがいるのか、あるいはただの自然現象なのか、はっきりと解明されていないという。


 月に見られている感じ、というのは常にあるけれど、今日みたいな日には特にそれを感じる。別に悪いことをしているわけではないのに、なんだかやましい気持ちになってしまう。


 これから僕は、もう一度あの子に会いに行く。こんな時間を指定された事に違和感を覚えるけれど、なにか事情はあるのだろう。


 彼女はずっと僕を探していたのだと言った。


「夢みたいです、兄さん。あなたのことを聞くと、父さんも母さんも途端に口を閉ざしてしまって……あなたを探しに行こうとして怒られた事も幾度となくありました。けれど、どうしてもあなたに会いたくて」


 目を伏せながら話す彼女に、僕は何を思っていたのだろうか。未だにぼんやりとしていて、もやがかかったように現実感を失ってしまっている。


「それで、その二人は今?」


「はい、父さん母さんは……その、亡くなりました」


 だからこそ、あなたをこうして探しに来られたんですけど。彼女はそう付け加えた。


 ……そうか、亡くなったのか。僕にはもう記憶が無いのだけれど、果たして僕は二人のことを父さん母さんと呼んだことがあったのだろうか。


 今ではもう呼べそうにない。


「両親が亡くなってから、私はある施設に預けられました。そこでも、あなたのことを忘れたことはありません」


 施設。


 まあ、僕の想像するようなものではないんだろう。なにせ元になるものがあの研究所だし。普通の暮らしをしてきたのだろう。


 そのあとも彼女は、「その」とか「あの」とか、口ごもっては言うのをやめ、僕もそれにどう返したらいいかわからず、しばらく無言の時間が続いた。


 家族ってそういうものなのだろうか。いや、多分違うな。


「あの、すみません。突然のことで上手くまとまって無くて……今日の夜、またお会いできますか?」


 と、言った具合に決まった待ち合わせ場所に、僕は今向かっている。


 夜の街というのは意外と賑やかで、様々な音に包まれながら僕は歩いていた。


 指定されたのは住宅街から少し離れ、なだらかな坂を上ったところにある展望台だった。人気ひとけも少なく、静かに話をするにはもってこいの場所だろう。


 じゃり、じゃり、と砂の混ざった足音を鳴らしながら、僕は坂を上っていく。


 僕がたどり着く頃には、彼女はもうそこに立っていた。


 月の光に照らし出され、得も言われない雰囲気を醸し出している。


 そこに割って入るのは、なんだか憚られるようだった。


「お待たせしました」


 僕がそう声をかけると、彼女は振り返った。


 その表情は、僕の顔を見つけた瞬間ぱっと明るくなる。


「いえ、待ってませんよ。兄さん」


 そう言うなり、そっちに行きましょう。と、彼女は展望台の中でも特に見晴らしのいい場所へ僕を連れて行った。


 昼に会ったときよりも彼女の表情や動きは柔らかく見える。緊張していたというのは本当みたいだ。


 そしてどうやら僕の方も、彼女を見る視線に少し優しさというか、体温を感じていた。彼女を身内として認識し始めていると言うことだろうか。なゆたに感じるものには到底敵わないとしても、同じような種類であると思う。


「やっぱり、記憶の中の兄さんとは違うところもありますね」


 きょろきょろと、様々な角度から僕を見ながら彼女は言った。


「僕の方は――ごめん、あんまり記憶が無くって」


「いえいえ、兄さんがどんなところに連れて行かれたかは調べている内にわかりました。そんな境遇の兄さんに、私達のことを忘れるなだなんて、とても言えません」


「ありがとう、そう言ってもらえると助かるよ」


 フィクションの世界で、「家族なんだ、会えばわかる」なんて台詞を聞いたことがあるけれど、それが本当かどうか、僕にはわからなかった。


 そもそも家族に会えたときの感覚を知らないんだ、これが家族に会えたときに感じるものですよ。と説明してもらわなければ、今こうして感じているものがそうであったとしても、僕は真に理解出来ない。


 少なくとも、赤の他人に感じているような拒否感や、居心地の悪さは感じていないけれど。


 家族か――なゆたに感じているものが家族愛なんだと思っていたけれど、いまいちここでピンときていない以上、それも少し違ったものなのかもしれない。


 妹は僕との思い出話をしてくれた。


 もちろん全く身に覚えがないストーリーばかりだったが、楽しそうに話す彼女の話を聞いているだけで、自分の事のように楽しめた――まあ実際自分の事なんだけど。


 兄さんはどんな暮らしをしていたのですか? その台詞を皮切りに、僕はなゆたやまとい達との暮らしを話し始めた。


「この間はね、猫探しの依頼を受けたんだ」


「猫ですか」


 にゃー、と握った手を顔の近くにやりながら、細雪は言った。


 そんなおどけた彼女に少し笑いながらも、僕はそれを否定する。


「けど、実際は全然猫なんかじゃなくてね。いや、形だけは猫だったかな。多分」


 猫探しと言われ、僕はまず猫の外見の特徴を聞いた。


 曰く、黒くて瞳は美しい金色、写真なんかはないけど一目見たらすぐにわかる。


「見たらわかるんですか?」


「はい、すぐに」


「はあ、本当に?」


「ええ、私でなくてもすぐにわかると思いますよ」


 あいびょうの写真がないことと、聞いている限りただの黒猫なのに見たらわかる、と言い張る所に疑問を抱いたけれど、僕は受けることにした。


 理由は簡単、単純に依頼料が高かったのだ。

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