第22話 【生物】ホメオスタシスと朦朧
「理乃、大丈夫か?」
「...ん」
「あまり無理するな。丁度季節も変わってきたし、秋の涼しさに身体が追いつかなかったんだろう。理乃はゆっくり風邪を治してくれ」
「んーあたま...すごくいたいぃ...」
「人間の身体には恒常性があるんだろう?なら、血流をさかんにして脳の神経が刺激されるのは、理乃の身体が頑張ってくれている証拠だ」
「...じゃあ、やっぱりがんばり...すぎないで...あたまいたいから」
「理乃、そこは我慢だ...」
理乃が熱を出した。今が9月の中旬で、丁度気温が変化する時期であることが主な原因であろうが、俺は彼女の精神的なストレスからきているのではないかと密かに考えている。
ーーーだから俺に出来ることは、目の前の理乃を安心させること。それはきっと、彼女の傍で理乃と呼んであげるだけで事足りるのだろう。
「...
「ああ、理乃が教えてくれた甲斐があって、かなり身についたと思うぞ」
「凄いよね。...ヒトの身体に住んでる細胞とか...液とかが自動的に環境を調節してくれるって」
「寒い時は身体を震わせ、暑い時は汗をかくことで体温を一定に保つ。免疫の場合だって、共生する生物を殺さないように細胞が他の細胞を抑制する。よく考えたら本当に複雑なシステムだな」
「...ホルモンだって実は同じなんだよ。脳下垂体が目的のホルモンを分泌する器官に、命令用のホルモンを出すんだけど、目的のホルモンが多いって脳が認識すると、命令用のホルモンの分泌を抑えるんだ。...えっと、この作用はなんていうでしょうか?」
「フード...」
「はいざんねーん」
食い気味に正誤を告げた彼女はうふふと楽しげに微笑む。熱で気分が高揚しているのだろう。楽しむのは結構だが、はしゃぎ過ぎないように注意しようとしたところで
「フィードバックだよ。惜しいっ!半分くらいしか身についてないんじゃ、いつまでたっても私には勝てないよ」
これまた一人で小悪魔のような高笑いをし、俺の肩を小突いてきた。いつもなら悔しく思い、理乃に対抗しつつも自分の不勉強を反省するだろう。
しかし、今日はいつになく嫌な予感がした。その感覚は、『いつも通りの歯車がずれた』あの日抱いたものと酷く似ている。温度のない寒気と言うべきか、調和した違和感と言うべきか。恒常性ーーー生物の外に広がる空間でそんな便利な機能は、当たり前だが、あるわけがないのだ。
俺は二つ恐れた。一つは、この先に待っているものは絶望ではないかということを。
そしてもう一つは...
「カケル君...」
理乃が俺の手を強く握った。
顔を上げると、理乃は心配そうに...というよりは、辛そうに俺の様子を見ていた。
ふと全身に汗が滲んでいることに気づく。まるで悪夢から覚めたような心地で、気分はすこぶる悪いが、理乃をこれ以上心配させてはいけない。
俺は正気に戻ったことを伝えるように理乃の目を見つめると、彼女の表情も少し和らいだ。すると、もう片方の手も俺の手の上に重ねて、彼女は優しく諭す。
「大丈夫だよ。私はどこにもいかない。...ただ、今はちょっと眠いから寝かせてね」
お得意のにっこり笑顔はいつもと違って、大人びて見えた。俺はゆっくりと頷き、理乃の肩まで布団を掛けた。
「おやすみ、理乃」
そう言ってしばらくすると、安らかな寝息が聞こえてきたので、俺は席を立った。そして祈るような思いで病室を後にする。
...そう、俺の恐れていたことはもう一つあった。それは、悪い予感は八割くらいの確率で当たるということだ。
事実、翌日になると理乃の人格は詩織のものに取って代わっていた。
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