第10話 【現代文】文系と向上心
「『精神的に向上心の無いものは馬鹿だ』」
「文面だとどっちが言ってるか分からないから俺みたいな口調はやめてくれ」
「次の現代文のテストは夏目漱石の『こころ』なの。この台詞がきっかけで先生とKの関係はどんどん歪んでいくんだわ」
「確か以前のKの発言を反復したものだったな。同じ言葉でも、文脈を変えれば大きく意味は変わるという分かりやすい例だ」
「ところで貴方にとっての向上心って何なの?」
「向上心か...これといって思い当たらないな。今の生活にある程度満足しているからだろうか」
「『精神的に向上心の無いものは馬鹿だ』」
「なんで今繰り返した。明らかに俺に向けて言っただろ」
「でも、貴方が将来どういう道に進みたいのかは気になるわね」
「じゃあ当ててみるか?」
「まあ一番予想通りで当たり障りのない回答としては、科学者かな」
「不正解だが正解だったら微妙な雰囲気になるような物言いをしないでくれ」
「じゃあ教授!」
「違うな。両者とも当たらずとも遠からずといったところだが」
「趣向を変えて社長とか?」
「そんな昇進願望はないぞ」
「分かりそうで分からない...でも学者っぽいのよね。なんか小難しいこと考えて楽しんでそう」
「そう考えると結構絞れてくるんじゃないか?」
「い、医者?」
「正解だ。意外と早かったな」
「へえ!そうなんだ。世のため人のためというよりは、自分の研究のためとかに時間を費やす人かと思ってた」
「まあそういう人生もなかなか魅力的だが、中学の頃からの夢だからな」
「もしかしてそれにも例の友人が絡んでる?」
「そうと言えなくもない」
「その人貴方に影響与えすぎよ!貴方の人格形成要因の八割は占めてるんじゃないかしら」
「そこまではさすがにいかないと思うぞ。第一自分のやりたいことなんて最初は他から影響を受けなきゃ見つからないだろう。君は誰から影響を受けたんだ」
「私はお兄ちゃんかな!」
「君にも兄弟が居たとは初めて知ったよ。二人兄妹か?」
「いや、実は一杯いるの。今は別々に暮らしてるけど」
「どういうことだ?」
彼女には親がいる。それは家出の話で明らかだった。兄や姉が成人して別居しているだけなら、こんな言い方をするだろうか。
「私は今まで里親に育てられてきたの。今は養子になってお父さんもお母さんもいるけどね」
「そ、そうなのか...」
少し反応に困った。このような境遇の人に出会ったのはおそらく初めてだ。本人はどういう気持ちで俺に告白してきたのか。
「そんな困った顔しないで。私は今も昔も幸せだし、貴方には知っておいて欲しいと思っただけだから」
「ああ、そうだな。君はなんだか今を全力で生きてる気がするよ。それになんというか...」
首を軽く傾げる彼女に向けて、言葉を探す。そういえば、同じフレーズでも使いどころ次第では、相手の心に響かせられるのだったな。
「精神的に向上心がある」
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