第2話 【倫理】文系は読解力
「二科目同時に勉強とは器用なことだな」
「まあ、世界史と倫理ってかなり繋がりがあるからね。貴方は文系の教科には興味ないの?」
「そういうわけではないのだが、どうも暗記は苦手のようでな」
「理系よりは覚える量が多いかもしれないけど、記憶力以外にも大切なものはあるのよ?」
「じゃあ他に何が必要なんだ?」
「読解力よ」
出た、読解力。その三文字を前に俺は何度辟易したことだろうか。
「すごい分かりやすくうんざりするのね...」
「実際うんざりしているよ。なんだその何の具体性もない能力は」
「具体性なんていらないってこと。読解力の定義なんて人それぞれだと思うけど、私は自分の受け取りやすいように物事を噛み砕く力って考えてる」
「そうか、ならその読解力とやらで微分積分や電磁気学をぜひ噛み千切ってくれ」
もうー、と彼女が俺の額を軽く突いた。図星だったみたいだ。
「例えば...ほら、デカルトなら貴方も知ってるでしょ?」
「デカルト座標を考えた数学者だったな」
「それもそうだけど、彼は哲学者でもあるの。『我思う故に我あり』って言葉も有名だわ」
「それが果たして読解力と何の関係があるんだ?」
「ふふ、今から説明してあげるから」
彼女は軽いステップで教壇に上がり、胸ポケットから取り出した黒縁のメガネを掛けた。そして腕を捲り、置いて合ったチョークを一回転させて手に取る。気合い十分なようだ。
「デカルトよりずっと昔、アリストテレスは目的論的世界観っていう考えを広めたの。どの物事も、その本質に近づいていくことが目的という思想ね。一般に本質っていうのは神の栄光とか、宗教的なものを表してたみたい」
「うーん。いまいちしっくりこない思想だが...」
「そう思ったのはデカルトも同じだったみたい。彼は感覚的なものじゃなくて理性を重んじるために、あらゆるものを疑ったわ。『物は見える通りに存在しないかもしれない』、『1+1=2も全能の神が我々を欺いているからそうなるのかも』、『というか私はいないかも』とか色々ね」
「リテラシーは結構だが、そのうちなにも信じられなくなるんじゃないのか?」
「でもね、一つだけ確実に存在するのは『考える私』ってことに気づいたの。だから『我思う故に我あり』なのよ!」
「なるほどな...」
「こういう風に感覚に頼らず論理的に真理を得ようっていう考えを合理論って言って、自然は無味無臭の量、人間の身体は因果法則に従う機械だと、合理論を元に世界を捉え直したのが機械論的自然観なんだ」
少し話は難しく感じたが、彼女の丁寧な説明と綺麗な板書が理解を促してくれる。
「自然は測定可能な量、つまり延長なんだから、座標軸を立てて延長の程度を考えれば全て済むだろうって」
「それでデカルト座標が考案されたのか!」
「ふふ、よく出来ました」
「なるほどこうやって歴史と思想を噛み砕いていくんだな」
「読解って、バラバラの内容を無理矢理でも繋げて解釈する作業なの。考古学者みたいで意外と面白いでしょ?」
「ああ面白かった、君の授業もな。日本の将来は安泰だな」
彼女は掛けていた眼鏡を胸ポケットに再びしまい、下を向いて少し黙っていた。
「どうしたんだ?」
「実は、教師になろうか迷ってる。勉強教えるのは好きだけど、大勢の前で教える自信なくてね」
「それなら問題ない」
「きっぱりと断言してくれるのね」
「当然だ。俺一人のために時間と労力と身振り手振りとそれに、」
ここは少し溜める。彼女の強張った顔を緩ませるための演出とでも言おうか。俺もすこし頰の力を抜いて笑いかけてみせた。
「読解力を費やしてくれるような人が、教師に相応しくない訳がないだろう」
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