#284(6週目土曜日・番外編・????)

「柏木さん、お疲れ様。今、機械を外しますね」

「あ、はい。お願いします」


 ログアウトすると、絶妙なタイミングで看護師さんが声をかけてきた。


 いや、まぁいつもの時間にログアウトしたんだからタイミングが完璧なのは当たり前なんだけど…、この、ファンタジー世界から現実世界に引き戻されるときの感覚は未だになれない。


「少し足を持ち上げますね。痛くなったら言ってください」

「はい」


 体に取り付けられた電極を外していく。作業としては簡単なことだが、それでも細心の注意をはらい、ゆっくり作業が進められる。


 見ての通り、私は怪我人だ。見た目は特に変化はない。一応、背中や腰に何ヶ所か手術や怪我の痕があるけど、それは視界に入らないし見せる相手もいないので気にしていない。問題は神経の方。


 私は仕事の帰り、飛び出してきた猫を避けようとして盛大に事故った。幸い、猫は無事だったし、単独事故なので乗っていたバイクがお釈迦になった事以外が目立った被害は出なかった。無かったと思ったんだが…、後に病院で、私の下半身が一生動かせない可能性があることを伝えられた。


「お手洗いはよかったですか?」

「えっと、すいません。お願いします」

「はい、大丈夫ですよ」


 実のところそれほど尿意は感じていないのだが、それでも看護師さんがいる時でないとトイレで用を済ませることも出来ない。動かないのは足だけなので、頑張れば1人でも出来ないことは無いのだが、力がかけられないだけでなく、素早く動かすだけでも激痛が走る。そんな状態で、もし転倒でもしたら一大事。そんなわけで、上半身や精神面は全くの健常者なのだが、何をするにも看護師さんに補助を頼む生活となった。


「その、いつもすいません」

「ふふ、そんなに毎回謝らなくても大丈夫ですから。それに足が動かないと尿瓶でするのも結構危ないですからね」


 笑われてしまった。たしかに、毎回のように謝っていたので無理もない。いや、むしろ場を和ませようとしてくれているのかな?


 話がそれたが、私は事故で神経を傷つけてしまい足が動かせなくなった。本来ならリハビリを重ねて少しずつ良くしていくところなんだろうけど、私の場合はちょっと酷すぎたのでリハビリで負担をかけるのもNGとなり、年単位、最悪一生、療養生活をおくる事となった。


 そうなると、まず最初にあがる問題は、やはり治療費だ。幸い、大した趣味もなかったので給料は殆ど貯金していた。まぁそれでも期間が短いので大した額ではないが、それでも手術代くらいなら余裕で払えるはずだ。もちろん、親も『お金のことは気にするな』と言ってくれている。しかし、それが一生となると話は別だ。それこそ私が早死にでもすれば金銭的にはなんとかなるだろうが、上半身は健康そのもので、定期検診も漏れなく受けられる今の環境では、私が親よりも早く死ぬことは無いだろう。と言うか、死ぬとか以前に親が引退(退職)したらアウトだ。


「終わりました。お願いします」

「は~ぃ。ちょうど食事が来たので、カウンセリングは食べながら済ませちゃいましょっか」

「はい、じゃあそれで」


 また、亀かナメクジかってほど、ゆっくりとした動きで体を移し替えていく。


 しかし、幸運と言うものはいつどこから湧き出してくるか、本当に予想できない。絶望しかけていた私に、とつじょ救いは舞い降りた。なんと、新しいリハビリ補助システムのモニターに選ばれたのだ。しかもタダ。そう、上手くいく保証が無いかわりに、治療費が無料になるのだ。もともと完治する保証もなかった私は、当然二つ返事で話を受けることにした。


「急がなくていいから、ゆっくり食べてくださいね」

「あ、はい。いつもすいません」


 因みに、カウンセリングと言っても、鬱とかヒステリーとかそういう話ではない。あくまで形式的なもので、長い入院生活でモニターが精神を病んでしまわないようにする、検診と言って差し支えないものだ。従って、話の内容は取り留めもない日常会話が殆どとなる。


「もう、そんなに謝らなくてもいいのに。ここだけの話だけど、実は私、柏木さんに凄く感謝しているのよ?」

「そうなんですか?」

「えぇ、不謹慎な話だけど、私が柏木さんの専属に選ばれたおかげで、仕事がすごくラクになったのよ。看護師の仕事って、ほんとに大変なんだから」

「そうですよね。見えないところでも色々してるみたいですし」

「そうそう、それでいて、アッチの方は増えてるからね~」

「そうなんですか…」


 アッチってのは、やはり給料のことなんだろう。この看護師さんは、私の担当としてモニター試験に協力している。もちろん、この仕事だって記録を纏めて報告書を作ったり、私の定期検診やカウンセリングなどやることは沢山ある。


「ん~、そうだ! L&Cだっけ? しばらくしたらオフライン版が出るんだけど、希望があれば引っ越ししてもいいんだけど、どうする?」


 私の鈍い表情を見て、話を変える看護師さん。顔に出したつもりは無いが、やはり興味のなさが顔に出ていたのだろう。いや、逆か。ありもしない関心が顔に出ていなかったのだろう。


「すいません。前にもお断りしましたけど、やっぱりオンライン版の方でお願いします」

「そっか。正直なところ、病院で人殺しのゲームは、ちょっとアレなんだけどね…」


 溜め息交じりにこたえる看護師さん。


 モニター試験で使われるVRゲームは10個くらいの中から気分で好きなのをプレイできる。しかし私は、わき目もふらずに毎日L&Cをプレイしている。正直、陸上とか登山とか、退屈過ぎてとてもやっていられない。病院でやるのは不謹慎極まりないゲームだけど、やっぱり私はL&Cオンリーでいかせてもらう。


「えっと、オフライン版って、結局ストーリーが変わっちゃうんですよね?」

「私も詳しくは知らないけど、ちゃんと倫理問題に配慮された内容にかわる、とは聞いているわね」


 そう、オフライン版ではCルートが廃止され、タイトルも変更される。そう、オフライン版はL&ではないのだ。医療機関で使っても問題ないように、人が殺し合う事のない、まっとうなファンタジー作品に生まれ変わる、らしい。そして…。


「その、リハビリシステムの正式運用がはじまったら、L&Cって出来なくなっちゃうですか?」


 オンライン版L&Cは、あくまで情報収集のために既存のオンラインゲームを流用する形で作られたもので(医療機関からの反対も相まって)対応タイトルから除外されるそうだ。


「それなんだけど、どうも開発で問題になってるみたいね。オフライン版の正式発表が遅れに遅れているのも、それが問題みたい」

「どういうことですか?」

「なんでも、オンライン版だけ突出してリハビリ効果が高いらしいのよ。不思議よね~。それで、少しでもオフライン版も改良できないかって話になってね」

「なるほど…」


 正直なところ、私に疑問の感情はない。L&Cは10万人の『思い』が交差し、時には支え合い、時には激しくぶつかり合う、自由で、なにより理不尽なゲームだ。だから、時には不快な思いもするし、大きすぎる時間や実力の壁に、幾度となく打ちのめされる。でも、そこには感情をむき出しにしている自分がいて、自分にも野性的で荒々しい本能が備わっている事をしっかり教えてくれる。それは『綺麗な景色を見る』とか『自己ベストを更新する』ことでは到底得られない体験だ。


「まぁ、そのあたりはサンプルが増えていけば、どんどん改善されていくと思うけどね」

「そうですね。私も、そのためにモニターをしてますし」

「そうそう。あとは開発におまかせって事で。あ、そういえば…」

「?」

「直接会ったことは無いんだけど、開発にも柏木さんみたいに凄く強い人がいるらしいのよね」

「いえ、私は別に…」


 私を『強い』と言うのはやめてほしい。それは確かに、最初は自分でもそうなんじゃないかと思ったけど…、10万人の壁は思っていたよりも遥かに高かった。それこそ大気圏を飛び出す勢いで。そして、その壁の上には『ランカー』と呼ばれる、別次元の強さを持った宇宙人たちが暮らす世界がある。ほんと、なんなんだろ…。


「謙遜しないの! それでね、柏木さんと同じ理由でモニターに参加して、そのまま開発部のスタッフになっちゃったらしいのよ」

「はぁ…」

「その人、柏木さんよりも酷い状態だったらしいんだけど、オンライン版のL&Cで、奇跡と言えるような回復を見せたらしいのよね」

「あ、あぁ、そうなんですか」


 一瞬、どう返していいか悩んでしまった。回復した実例があるのは嬉しいが、正直なところ、私は今の生活はわりと気に入っている。もちろん、L&Cは退院しても続けられるけど、働きながらでは今のペースでログインするのは不可能。むしろ、あの、徐々に感情が死滅していく労働生活に戻ると思うと、背筋に薄ら寒いものが駆け抜ける。真面目に働いている人には悪いが、私は、仕事に情熱を注げない、ダメな人間なのだ。


「まぁ私も、研修中にPVで見ただけなんだけど…、結構なイケメンで、お姉さん、生唾ものでしたよ~」


 因みに私の担当看護師は、爽やかイケメンが大好物だ。


「へ、へぇ~。因みにその人は、どれくらいで完治したんですか?」

「あぁ、詳しくは知らないけど、まだ完全完治はしていないはずよ? たしか車イスありなら普通に生活できるレベルまで治っているって話だから、あとは時間の問題でしょうけど」

「あぁ、そうなんですね」

「でも、凄いわよね~」

「?」

「いや、だって、イケメンで、おまけに一流企業の開発部勤務なんでしょ?」

「はぁ…」

「間違いなく、そうとう貰っているはずよ。そんな人と結婚出来たら、一生安泰だと思わない!?」

「はぁ…」


 ちょっとだけ修正しよう。私の担当看護師は、爽やかイケメンが大好物で、玉のこしに憧れる、ごく普通の女の子だ。


 しかし、強くて、おまけに生活も安定しているのは、たしかに魅力的だ。正直に言って、お金や恋愛には関心を持てずに今までやって来たけど、事故をきっかけに、お金や家族の大切さは嫌と言うほど実感できた。イケメンはともかく、私ももう少し、異性に興味を持った方がいいのだろう。




 そんな事を考えながら、再度、私はL&Cにログインする。

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