第23話 宙の封印

 境界無き真白の空間。

 空の果てのどこか。


「一度向こうへ送れた部分は、パスが繋げた。ふふっ、ほぼ解除といっても問題ない。もう少し、もう少しで……」


「こっこ、こけこ、こ、ここは?」


 夜見月子は目を覚ます。

 町に火の粉が降り注ぎ、騒ぎになっていた……そんなところで記憶は途切れていた。

 辺りを見回しても、一面は白。

 背を向けた男らしき人物と、級友の二ヶ崎双葉が隣で横たわっていた。


「に、二ヶ崎ちゃん?だ、大丈夫か?」


 軽く揺すると、小さく声が聞こえたため、ひとまず安心する。


「ご苦労だった。短い間だったが、見知らぬ世界は楽しかったかい?」


 男が背を向けたまま話しかけてくる。

 その言葉、その声から、この純白の空間に心当たり一つ。


「い、異世界に送ってくれた、か、神様か?い、いや、ちがう、神様ですか?」


「アイザック・ファースト」


「は?へ?ほ?」


「協力者には、名前の一つ名乗らないと失礼だと思ってね。ありがとう夜見月子、そして二ヶ崎双葉」


「そ、そーれは、期限が終わって、元の世界に戻るという話でいいんでしょうか?」


 男が振り向いたような気配があったが、人の顔を見て話すのことが苦手な夜見は、俯いたままだった。

 

「いいや、君達は、そうだね……。容姿は悪くない、姿を記憶コピーしておこうかな。あと、皮は僕の皮膚の修復にでも使おうか」


「……は?」


 夜見はそいつの放った言葉が理解できなかった。

 横で二ヶ崎の声がする。


「月子さん、月子さん!顔が、顔が……」


 夜見が恐る恐る顔を上げるとそこには……。

 白いマントを羽織った白銀の鎧姿。

 更に、視線を上げると顔には……口しかなかった。


「っ!?」


 息を呑む。

 

「仮の姿で、失礼したかな?精神の安定のためとはいえ、体に石ころなんて取り込んでしまったからねぇ。気にしなくても、耳と目は目の前にあるから」

 

 アイザックは指を鳴らす。


「ななな、何が!?真っ暗に!な、な、何の魔法だ!」


「え?つ、月子さん!な、何が!?」


 自分の姿を完全に再現できず、とりあえず顔以外は、少し前に戦った相手を模した姿をしていたアイザックに、目と耳が追加される。

 その代償として、夜見が持っていた未来視の能力が視力ごと、二ヶ崎が持っていた心聞く耳の能力が聴力ごと奪われ、彼女達は心乱す。

 

「目が!目がぁ!に、二ヶ崎ちゃん、ぶ、無事か!?」


 言葉が聞こえない二ヶ崎は夜見の手を強く握る。

 自分の顔を撫でたアイザックは、軽く溜め息を吐き、


「鼻かぁ……。ここまでくれば、もういいでしょう。我慢できない。適当に鼻を作ろうかな。そして!」



 軽く顔を撫で、鼻が現れる。

 そして、手を振り上げる。

 ここまで高揚したのは、いつ以来か。


「神は蘇った。ガーランサスを、シエルを我が手に」


「あ、あんた……あなた様は、何をしやがる……何をなさるつもりでございましょうか?」


 夜見の問いに、アイザックは鼻を鳴らし嘲笑する。


「愚問だね。答え合わせだよ。幸せとは何かってね」


 神を名乗る男は上を見る。

 果てしない白、ただそれだけ。


「一度目は忘れない。彼女にもらった言葉、幸せに生きる権利、それが人のできそこないである僕にもあると。……分からなかった、幸せなんて言葉。だが、僕は彼女の提示した問いに解を用意したかった。僕の送った溢れんばかりのふみには考察を、思考を込めた贈り物には幸福につながりそうな物を」


 アイザックは、自分の右腕を懐かしそうに見つめる。


 あれは、強力な怪物にアンデットの属性を付加する実験に成功した次の日だったか。

 早速、自分に試したそれは失敗し……暴走することとなった。

 暴れるだけの獣と化していた僕を止めたのは、シオンだった。

 当時の雑魚だった僕は、とどめを刺されることもなく、彼女には見逃された。

 あの金色の瞳とあの言葉は今でも忘れられない。

 後で念入りに始末しにくる部下もいたが、この体は死ぬことはなかった。


「こちらからのアプローチは虚しく、彼女からの解答アンサーを得られることはなかった。だから会いに行った。そこで僕が見たものは何だと思う?」


 シオンを中心とした、人の笑顔。

 そして、彼女の隣に……。


「魔物だ、怪物だ、化け物だ。薄汚い吸血鬼が彼女と共にいたんだ。僕と同じ日陰者であるはずの、ゴミクズが!」


 アイザックは拳を強く握る。


「彼女は、違うんだ!そうじゃない、そうであってはならない!解が汚れる……美しき数式が。だが、今ならまだ間に合う……間に合うんだ!」



 男が熱く語るそれを夜見は理解できなかったが、一言で表せられる単純なものだとも思った。

 ただ、口にはしなかった。

 言えば間違いなく、殺される。


「やはり、待てない。落陽など待っていられるか。……なんだい、お嬢さんその目は?」


「ヒッ」


 その視線は怯える夜見ではなく、凛とした二ヶ崎と向かい合う。


「ほほう、聴力を完全に失っていないか。そこの、体だけが取り柄の女と違ってやはり君と一ノ宮は優秀だったね」


 優しく微笑んだ彼女の口から、出た言葉は。


「答え、ずっと合わないし分からない思いますよ、あなたがそのままなら。あと、」


「ちょっと、見苦しいかなって」


 挑発的な笑みを浮かべた瞬間。


 二ヶ崎の腹部に、風穴が開く。

 それは、武器や魔法による攻撃ではなく、崩壊だった。

 ただ、男に指を差されただけで。


「止めだ。気が変わった。鼻を新調しよう。材料も目の前にあるからね」


 声も出せない二ヶ崎はうずくまり、状況を把握できない夜見は震え、頭を抱えしゃがみ込む。

 アイザックは二ヶ崎の首根っこを掴み、持ち上げる。


「君の一番大切な部分ってどこかな?頭?顔?手?足?……それで僕の鼻作ろうと思うんだけど」


 アイザックは自分の鼻を取り外し、目の前で握りつぶす。

 理解不能な行動に二ヶ崎の顔に恐怖が浮かぶ。


「決めた。心臓にしよう。この空間では全てが僕の思うがまま。君の首だけ取り外してあげよう。体が解体される様子をしっかり見るといい。これはサービスだ」


 二ヶ崎の首にかかる圧力が上がる。

 思考が厳しくなり、視界がぼやける。


 ふと、思い出す。

 死の淵に見るこれは走馬灯だろうか?


 教室で机に突っ伏して眠っていた彼。

 誰にも何も言わずに、私のミスをフォローしてくれたあの人。

 ただそれは、普通の人には不可能としか思えなかったものを、可能とするものだった。

 何も聞かなかったけど、知りたかった。

 不思議な力のことではなく……。

 その日から私の心は……。



 

 ――雷鳴轟く。

 雲一つ存在しないこの空間に。

 落雷は火花を散らし、白き地面を削る。


 アイザックは自分の鼻が再生することに驚き、手を離すが瞬時に理解する。

 あれが来たことを。



「今頃、贈り物を返品しに来て、その上、呼んでもいないのに便乗してやって来るなんて、性質たちが悪すぎないかい?」



「国坂景護」



 純白の空間に現れた男は、無言で神に刃を向ける。

 その男、この異世界の摂理に反逆するのみ。

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