第27話 本の値段

 一か月と半ほど、平坦な日常の中にパートが入って、静かに、それも私の日常になっていった。

 私は毎日夫と私のお弁当を作って、音楽を食べながら時間が流れていく。今の若い女性の声は誰だろう?これはあのバンドだ、あぁ、耳が幸せだ。音楽でお腹いっぱいにはなれないけれど、色んな味の飴の袋を開けたみたいに、色んな味がして、しかも店内放送が無いかぎり最後までちゃんと一曲聞けるなんて。

 お昼休みには小野さんと原塚さんがすっかりお馴染みになった。若い人と話すなんてそれだけで刺激的で、二人はとても仲が良く、健一さんが言うことなんかありえなくても幸せだ。

「あ、第二外国語お前中国だったっけ?」

「ドイツ」

こんな素朴な小野さんの問いに原塚さんは訳もなく答えた。

「まじかよ使えねーな、あぁ中国なんか行くわけないってのに」

「いやドイツもたいがいだけど」

控室には高田さんが本の束を持って入った。

「おいこれ、休憩終わったら100円にするぞ」

「え」

店長の持ってきた本はまだ真新しく、そこそこランキングの上位にいたはずだったけれど……。

「売れ過ぎた」

店長は、その本に殆どここで値段のつかないことを私たちにぼやくと、この知名度のある作家の本はあまり本棚に置かないように、と付け加えてここから去った。

 なんでも、この新古書店ではあまり売れないらしい。

「いやすげぇショック」

「それはちゃんとノートとってないお前が悪い」

原塚さんはコーヒーを飲みながら言うと、

「ばか、ノートじゃなく、どんだけ面白い小説書いても100円で売られるのかなぁって思って」

小野さんはちょっと怒ったようになってそう呟きながら、混ぜご飯だけだというお弁当をかき回した。

「あ、お前って作家志望だっけ」

「うん、まぁまだ完結できないけれど」

原塚さんは小野さんをからかうように言った。

「それはせめて書き終えられようよ」

「う~ん、社会経験かなぁ……でも同い年ぐらいでもすごい人はいるし……」

小野さんは珍しく考え込んでしまった、

「あら小野さん小説書くの?」

私は体型からすっかり体育会系だと思っていた小野さんの意外な一面を見た気になって言った。

「あ、はい」

「どんなの?」

小野さんは流行りとはほど遠い、もっぱら古い本が100円になっている老作家の名前を言った。

「あの人ぐらいになれたらいいなぁとは思う」

「あら、じゃあ中国語ぐらいできなくちゃ、ね」

私はちょっといたずらっぽく言った。

「大平さんまで~!」

「いや、俺もそう思うよ」

原塚さんは途端に威張りだした、健一さんの若いころを思い出す。この空間に混じってしまうと、私まで若くなったみたいだ。

「さぁ、食べましょう、今日は蓮根を鶏肉に入れて肉団子を作ったのよ」

「あ、いただいていですか」

小野さんは箸を動かしている。

「勿論よ」

私は笑った、小野さんにあげる分、余計に作って来たからだ。

 それに、そんなに食べない。

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