喰らえクソビッチ!
足元にいる俺を、見下すようにして立つ
鮫島の顎先から垂れ落ちた汗が、俺が見つめる先の地面に水滴を作る。
「うっざ。ちょこまか逃げんなよ
「諦めたらって……なら、鮫島。俺が負けてくれって頼んだらお前負けてくれんのか?」
「はあ? そういうとこが童貞っぽいんだよ!」
鮫島はわりかしガチめに俺を睨んでくる。
くそう……やるじゃねえか。ビッチ鮫島とは言ってもクラス内の序列はトップクラス。おいそれと俺のような人間が抵抗できるわけがないし、反抗しても勝ち目なし。
と、鮫島はなにを確かめるようにして、長剣の
「じゃあね日陰。てか、あんた。もっと女慣れしたほうが――」
「――ならよ、教えてくれねぇかな」
ピタリ、と鮫島の身体の動きが止まる。それから
「……あ?なに言っての?」
「だから教えてくれねぇかな。俺、女慣れしてねぇから、女心とか分からねえんだ。だから鮫島、恋愛経験豊富なら俺の恋愛相談に答えてくれよ」
俺は不適さを意識して、笑みを作る。すると鮫島は気味の悪そうな顔をした。
これでいい。状況は最悪。だが、ここからだ。
「なあ、
と、そこで俺はわざとらしく、審判を務めている
「例えるなら、
鮫島の顔が一瞬だけ、
「だから日陰。あんたさっきからなにを――」
「例えばの話だ。鮫島が二階堂のこと好きなら、どうやってアプローチするよ? なあ、鮫島?」
瞬間、鮫島の顔がゆがむ。その眼は
ふと、周囲を見れば、近くにいる二階堂含め、この場にいる人間全員が不思議そうな顔をしている。まあそうだろう。いまの言葉は、鮫島だけにその真意が届くように加工したものだ。
「あ、あんた。それ以上言ったら――」
「そうだ。二階堂。お前にも聞きたい」
鮫島の言葉を無視して二階堂に顔を向ける。すると彼は、審判としての立場がそうさせるのか、口を開くことをためらう素振りを見せる。が、それでもイケメンの彼は応えてくれた。
「……なんだい、日陰くん?」
そして俺は何気なさと装って聞いてやった。鮫島がこんな大立ち回りを演じて、成し遂げたかったであろうことを。
「鮫島のこと、どう思ってる?」
すると二階堂は「なんだい突然」と言いながらも、答えてくれたのだ。
「ただの、友達だよ」
「……ふぅん、そうか。だとよ、鮫島」
そして鮫島に顔を向ければ、彼女は俺を殺しそうな勢いで睨んでいた。
「アンタっ! ほんと……っ、ホントにっ!」
「あ、そうだ。二階堂。知ってるか? 鮫島って本当のとこ別に好きな奴がいて、そいつは――」
「日陰! テメェえええええええ!!!!」
鮫島がキレた。俺がキレさせた。長剣を高らかに振り上げる。怒りに任せ、俺の頭に、真上から長剣を叩き込むつもりなのだろう。
――だが、甘い。俺がなんの
そもそもこの左手の盾。なんで裏側をテメエに見せなかったか、わかるか鮫島。
なんて、答えは簡単だ。
俺は盾の裏側から――そろり、と短剣を抜き出す。さきほど、花咲と雛坂も使用していた短剣だ。それを盾の後ろに隠し持っていたのだ。
こんなもの普通に使えばリーチで負ける。だが、不意打ちならどうだろうか。例えば『好きな人に自分の好意をバラされそうになり、冷静さを失っている』鮫島ほたる、とか。
正直、この答えに辿り着いたとき、俺は信じられなかった。あのビッチ&恋愛経験豊富そうな鮫島が、そんな理由でこの騒動を起こしたという可能性に。
好きな人の気を引くために、他の男になびくふりをして、好意を寄せる男の真意を確かめるべく、こんな騒動を起こしたという可能性に。
それこそ非モテの『好きな人の気を引くために奇行に走る』と同じような行動を鮫島がとったということに。
だが、これまでの鮫島の二階堂に対する態度を思い出し、俺はそれを信じた。
恐らく『あの鮫島がそんなことをするわけがない』という思い込みによって、ここにいる全員、この真実に辿り着いてないのだろう。恋愛賛美の校風に当てられているが故に、皆鮫島の真意に気が付けないのだ。
だからこそ、童帝である俺だからこそ、鮫島の真意に気が付けたのだ。
だからこそ俺は恋中に頼み、二階堂を審判に仕立て上げ、一本勝負に持ち込み、激怒させ、隙を作らせたのだ。童貞狩りの王を倒すために!
「喰らえクソビッチ! 王殺しの短剣は、いつも最底辺の人間が持つ、反逆の武器なんだよ!」
瞬間、俺は鮫島に向かって短剣を突き上げた。膝立ちの状態から斜め上へ突き上げた。足を延ばす勢いそのままに短剣を突き上げた。
一瞬、鮫島の顔が強張るのを見た。だが、関係ない。
俺が右手に持った短剣が、防具を付けた鮫島の頭に突き刺さる! ――と思いきや。ドムッ、という音がして短剣が突き刺さったのは鮫島の、みぞおち。深々と突き刺さっていた。
「―――おげぇええええええ」
対して俺は、鮫島が落とした長剣を拾い上げ、完全に
……ふと周囲を見渡せば、シンと静まり返っていることに気が付く。
……違う。狙ったわけじゃない。防具のある顔面を狙ったつもりが、手元が狂って、みぞおちに短剣をぶっ刺すことになっちまったんだ。
いや、まて。ここで鮫島が激怒すれば俺に対する非難の目はいくらか緩むはず。こと集団における
「ひっく……な、なんで……なんでここまですんの……ねぇなんで……二階、堂に……見ていて…‥‥欲しか…‥‥だけなのに! なんで邪魔するの!」
そして「うわーん」と泣き出す鮫島。まるで子供みたいな泣きっぷりだった。
瞬間、頭皮から汗が噴き出すのを感じる。
学校という場で人を泣かした人間はどうなるか。学生歴12年もあればわかる。大抵の場合、泣いた時点でそいつは100%被害者になるし、泣かせた時点でそいつは100%加害者になる。つまりこれから俺の身に起こることは、石投げ。
――トントンと肩を叩かれた。俺は恐る恐る、振り返る。するとそこには、
「……し、
奴が清々しい顔をして立っていた。俺の肩をポンポンと叩き、ねぎらいの言葉をかけてくる。
「よくやった日ノ陰。貴様のお陰で俺の
突如、新海の顔が一変する。眼をスッと細め、瞳の奥を酷く濁らせた。
「まだ、決着はいておらぬ。そこのビッチは、まだ負けてはおらんぞ」
「――は? どういう意味……」
「どうもこうも……このクソビッチは頭を叩かれてはおらぬ。ほれ、さっさとトドメを刺すのだ。こいつは恋愛至上主義者の筆頭。ここで積年の恨みを晴らそうではないか」
「――なっ、お前」
新海が言いたいのは「まだ勝負決まってないから、とっととケリを付けろ」ということ。この状況でそんなことを言えるとは、とんでもねぇクズ野郎だった。
たしかに鮫島は憎い。しかし、だからと言ってそんなことをしてもいいのか。恋愛至上主義者だからと言って、俺や新海のような人間を散々馬鹿にしてきた人間だからと言って、そんなことをしてもいいのか。
が、そこで止めに入るやつが現れた。
「え、えっと……新海くんと日陰くん。鮫島もこんな状態だし、今日はこのあたりで……」
「――うっぐ。に、二階、堂。だ、黙ってて」
その声が、二階堂の言葉を遮った。
声の主は
そんな鮫島の行動に固まる俺と新海、そして二階堂。
すると鮫島はガッと俺の脚にすがりつき、泣き顔で見上げてた。
「勝たないといけないの‥‥‥じゃないと……振り向いて……ううっ……。だから、お願いだから……負けてよ
「いや、鮫島。そもそもお前。こんなことして本当に振り向いてもらえると思――」
「お願い負けて! じゃないと、じゃないとあたし!」
が、そこで鮫島は「あ」と声を発し、突如として泣き顔を引っ込めた。そしていつもの、
そして彼女は、俺だけに聞こえる小さな声で、こう言ったのだ。
「もし負けてくれたら‥‥‥ヤらせてあげる」
「――なッ」
ヤらせて……くれるだと。ヤらせてとは、あのあのあれか。プロレスごっこのことか。
「日陰。いま彼女居ないでしょ? だったらムラついてんじゃない? だからさ、負けてくれるなら、させてあげるって言ってんの。どうせアンタもヤリたいだけなんでしょ!?」
そう言われ、俺の中の何かが崩れ落ちるような音がした。それは理性とか、倫理とか、道徳とかそういうものかもしれない。まったく。この鮫島という女は……。
「ほら、想像しなよ。すっごい気持ちいいから。それに日陰もしたくて仕方ないんでしょ? 男って身体目当てヤツばっかだもんね! だからアンタも――」
「――なあ、鮫島」
あえて語勢を強めて、俺は言う。すると鮫島は嬉しそうな顔をした。大方、俺が要求を飲むと思ったのだろう。
「鮫島。酸っぱいブドウの例え話を知ってるか?」
「は、はあ? あんたなに言って――」
「だから酸っぱいブドウだ。恋愛至上主義者が非モテによく言うだろう。『経験したこともないのに偉そうに語るな』っていうアレだよ。俺、あれ大嫌いなんだ。世の中には、テメェらが言う『酸っぱいブドウ』の『ブドウ』の存在をそもそも知らないヤツがいるんだよ! 一度も食べたことがない奴に、そんな言葉は意味がねぇんだよ! 知らねえんだよ! 恋も! 愛も!」
俺が鮫島を睨みつければ、フルフルと震え出した。
「う、嘘。冗談でしょ? 日陰……あんた。この学校に通ってて、彼女いたことも、ヤッたこともないなんて……ネタとかじゃないなら……アンタまさか本当に!」
はっ、と俺は笑ってやる。
やはり、鮫島は嫌いだ。俺や新海のような人間を見下してくる辺りが大嫌いだ。
この学校の
非モテを絶対悪とし、恋愛弱者を
だから俺は、自分の信念を貫かせもらおう。貴様ら恋愛至上主義者が嫌い
鮫島、テメエは間違ってやがる。確かにそこら辺の男ならその誘いに負けていただろう。だが俺に、そんな安っぽい色仕掛けは通用しない。なぜなら俺は――
「悪いが鮫島。俺、童貞なんだよ。俺の
俺は右手に持っていた長剣を、バットのように構える。
「くたばれ! 恋愛至上主義のクソたれぇぇぇぇぇぇぇぇぇ!」
そして
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