喰らえクソビッチ!

 足元にいる俺を、見下すようにして立つ鮫島さめじま

 鮫島の顎先から垂れ落ちた汗が、俺が見つめる先の地面に水滴を作る。


「うっざ。ちょこまか逃げんなよ日陰ひかげ。諦めたら?」

「諦めたらって……なら、鮫島。俺が負けてくれって頼んだらお前負けてくれんのか?」

「はあ? そういうとこが童貞っぽいんだよ!」


 鮫島はわりかしガチめに俺を睨んでくる。

 くそう……やるじゃねえか。ビッチ鮫島とは言ってもクラス内の序列はトップクラス。おいそれと俺のような人間が抵抗できるわけがないし、反抗しても勝ち目なし。


 と、鮫島はなにを確かめるようにして、長剣のを何度か握り直す。そして剣先を俺のあごに当てがった。


「じゃあね日陰。てか、あんた。もっと女慣れしたほうが――」

「――ならよ、教えてくれねぇかな」


 ピタリ、と鮫島の身体の動きが止まる。それから怪訝けげんそうな顔を俺に向けてきた。


「……あ?なに言っての?」

「だから教えてくれねぇかな。俺、女慣れしてねぇから、女心とか分からねえんだ。だから鮫島、恋愛経験豊富なら俺の恋愛相談に答えてくれよ」


 俺は不適さを意識して、笑みを作る。すると鮫島は気味の悪そうな顔をした。

 これでいい。状況は最悪。だが、ここからだ。

 日ノ陰ひのかげえにしの真骨頂はここからだ。


「なあ、鮫島さめじま。俺、実は好きなヤツがいるんだわ。でもなー、そいつ俺の関係が複雑で……そう、例えるならそれは」


 と、そこで俺はわざとらしく、審判を務めている二階堂にかいどうに視線を送った。送ってから、鮫島に視線を戻す。意図的に、嘲笑ちょうしょうの色をはらんだ眼を作って。

「例えるなら、鮫島さめじま二階堂にかいどうみたいな関係だな。ああ、そうだ鮫島。そういう関係なら、どうすりゃいいんだ?」


 鮫島の顔が一瞬だけ、強張こわばった。


「だから日陰。あんたさっきからなにを――」

「例えばの話だ。鮫島が二階堂のこと好きなら、どうやってアプローチするよ? なあ、鮫島?」


 瞬間、鮫島の顔がゆがむ。その眼は恥辱ちじょくにまみれたような眼の色であるようだった。自分の心の内を、見透かされてしまったことを恥じるように。


 ふと、周囲を見れば、近くにいる二階堂含め、この場にいる人間全員が不思議そうな顔をしている。まあそうだろう。いまの言葉は、鮫島だけにその真意が届くように加工したものだ。


「あ、あんた。それ以上言ったら――」

「そうだ。二階堂。お前にも聞きたい」


 鮫島の言葉を無視して二階堂に顔を向ける。すると彼は、審判としての立場がそうさせるのか、口を開くことをためらう素振りを見せる。が、それでもイケメンの彼は応えてくれた。


「……なんだい、日陰くん?」


 そして俺は何気なさと装って聞いてやった。鮫島がこんな大立ち回りを演じて、成し遂げたかったであろうことを。


「鮫島のこと、どう思ってる?」


 すると二階堂は「なんだい突然」と言いながらも、答えてくれたのだ。


「ただの、友達だよ」

「……ふぅん、そうか。だとよ、


 そして鮫島に顔を向ければ、彼女は俺を殺しそうな勢いで睨んでいた。


「アンタっ! ほんと……っ、ホントにっ!」

「あ、そうだ。二階堂。知ってるか? 鮫島って本当のとこ別に好きな奴がいて、そいつは――」

「日陰! テメェえええええええ!!!!」


 鮫島がキレた。俺がキレさせた。長剣を高らかに振り上げる。怒りに任せ、俺の頭に、真上から長剣を叩き込むつもりなのだろう。


 ――だが、甘い。俺がなんのさくも持たず、隙だらけの膝立ちの姿勢を取ると思うか?

 そもそもこの左手の盾。なんで裏側をテメエに見せなかったか、わかるか鮫島。


 なんて、答えは簡単だ。


 俺は盾の裏側から――そろり、と短剣を抜き出す。さきほど、花咲と雛坂も使用していた短剣だ。それを盾の後ろに隠し持っていたのだ。

 こんなもの普通に使えばリーチで負ける。だが、不意打ちならどうだろうか。例えば『好きな人に自分の好意をバラされそうになり、冷静さを失っている』鮫島ほたる、とか。


 正直、この答えに辿り着いたとき、俺は信じられなかった。あのビッチ&恋愛経験豊富そうな鮫島が、そんな理由でこの騒動を起こしたという可能性に。

 好きな人の気を引くために、他の男になびくふりをして、好意を寄せる男の真意を確かめるべく、こんな騒動を起こしたという可能性に。

 それこそ非モテの『好きな人の気を引くために奇行に走る』と同じような行動を鮫島がとったということに。


 だが、これまでの鮫島の二階堂に対する態度を思い出し、俺はそれを信じた。

 恐らく『あの鮫島がそんなことをするわけがない』という思い込みによって、ここにいる全員、この真実に辿り着いてないのだろう。恋愛賛美の校風に当てられているが故に、皆鮫島の真意に気が付けないのだ。

 だからこそ、童帝である俺だからこそ、鮫島の真意に気が付けたのだ。

 だからこそ俺は恋中に頼み、二階堂を審判に仕立て上げ、一本勝負に持ち込み、激怒させ、隙を作らせたのだ。童貞狩りの王を倒すために!


「喰らえクソビッチ! 王殺しの短剣は、いつも最底辺の人間が持つ、反逆の武器なんだよ!」


 瞬間、俺は鮫島に向かって短剣を突き上げた。膝立ちの状態から斜め上へ突き上げた。足を延ばす勢いそのままに短剣を突き上げた。


 一瞬、鮫島の顔が強張るのを見た。だが、関係ない。


 俺が右手に持った短剣が、防具を付けた鮫島の頭に突き刺さる! ――と思いきや。ドムッ、という音がして短剣が突き刺さったのは鮫島の、みぞおち。深々と突き刺さっていた。


「―――おげぇええええええ」


 けもののような声が鮫島の口から漏れた。彼女はストン崩れ落ち、膝をつく姿勢になる。

 対して俺は、鮫島が落とした長剣を拾い上げ、完全に鮫島さめじまを無力化する。


 ……ふと周囲を見渡せば、シンと静まり返っていることに気が付く。

 雛坂ひなさかと雛坂騎士団も。花咲はなさきと花咲私兵隊も。鬼武と二階堂も。鮫島の取り巻き、野球部の連中、薙刀部の連中も。そして恋中こいなかすらも。みーんな俺を見て「やりすぎじゃね?」みたいな顔をしている。そして終いには「うっわ……最低」なんて声まで聞こえてきた。


 ……違う。狙ったわけじゃない。防具のある顔面を狙ったつもりが、手元が狂って、みぞおちに短剣をぶっ刺すことになっちまったんだ。


 いや、まて。ここで鮫島が激怒すれば俺に対する非難の目はいくらか緩むはず。こと集団における処罰しょばる感情は、被害者の態度によって大きく変化する。鮫島がピンピンしているのであれば俺に対する非難の色も薄れるというもの。それに、あの超強気で傲慢ごうまんなクソビッチ女が、そう簡単に被害者面を……。


「ひっく……な、なんで……なんでここまですんの……ねぇなんで……二階、堂に……見ていて…‥‥欲しか…‥‥だけなのに! なんで邪魔するの!」


 そして「うわーん」と泣き出す鮫島。まるで子供みたいな泣きっぷりだった。

 瞬間、頭皮から汗が噴き出すのを感じる。

 学校という場で人を泣かした人間はどうなるか。学生歴12年もあればわかる。大抵の場合、泣いた時点でそいつは100%被害者になるし、泣かせた時点でそいつは100%加害者になる。つまりこれから俺の身に起こることは、石投げ。

 ――トントンと肩を叩かれた。俺は恐る恐る、振り返る。するとそこには、


「……し、新海しんかい


 奴が清々しい顔をして立っていた。俺の肩をポンポンと叩き、ねぎらいの言葉をかけてくる。


「よくやった日ノ陰。貴様のお陰で俺の貞操ていそうは守られたのだ。礼を言う。それに最後の一撃は素晴らしい策であった…………だが、日ノ陰」


 突如、新海の顔が一変する。眼をスッと細め、瞳の奥を酷く濁らせた。


「まだ、決着はいておらぬ。そこのビッチは、まだ負けてはおらんぞ」

「――は? どういう意味……」

「どうもこうも……このクソビッチは頭を叩かれてはおらぬ。ほれ、さっさとトドメを刺すのだ。こいつは恋愛至上主義者の筆頭。ここで積年の恨みを晴らそうではないか」

「――なっ、お前」


 新海が言いたいのは「まだ勝負決まってないから、とっととケリを付けろ」ということ。この状況でそんなことを言えるとは、とんでもねぇクズ野郎だった。


 たしかに鮫島は憎い。しかし、だからと言ってそんなことをしてもいいのか。恋愛至上主義者だからと言って、俺や新海のような人間を散々馬鹿にしてきた人間だからと言って、そんなことをしてもいいのか。

 が、そこで止めに入るやつが現れた。二階堂にかいどうだ。


「え、えっと……新海くんと日陰くん。鮫島もこんな状態だし、今日はこのあたりで……」

「――うっぐ。に、二階、堂。だ、黙ってて」


 その声が、二階堂の言葉を遮った。

 声の主は鮫島さめじま。鮫島は制するようにして、二階堂に右手を掲げている。

 そんな鮫島の行動に固まる俺と新海、そして二階堂。

 すると鮫島はガッと俺の脚にすがりつき、泣き顔で見上げてた。


「勝たないといけないの‥‥‥じゃないと……振り向いて……ううっ……。だから、お願いだから……負けてよ日陰ひかげ。この試合負けて!」

「いや、鮫島。そもそもお前。こんなことして本当に振り向いてもらえると思――」

「お願い負けて! じゃないと、じゃないとあたし!」


 が、そこで鮫島は「あ」と声を発し、突如として泣き顔を引っ込めた。そしていつもの、高飛車たかびしゃな鮫島が顔を覗かせた。

 そして彼女は、俺だけに聞こえる小さな声で、こう言ったのだ。


「もし負けてくれたら‥‥‥ヤらせてあげる」

「――なッ」


 ヤらせて……くれるだと。ヤらせてとは、あのあのあれか。プロレスごっこのことか。


「日陰。いま彼女居ないでしょ? だったらムラついてんじゃない? だからさ、負けてくれるなら、させてあげるって言ってんの。どうせアンタもヤリたいだけなんでしょ!?」


 そう言われ、俺の中の何かが崩れ落ちるような音がした。それは理性とか、倫理とか、道徳とかそういうものかもしれない。まったく。この鮫島という女は……。


「ほら、想像しなよ。すっごい気持ちいいから。それに日陰もしたくて仕方ないんでしょ? 男って身体目当てヤツばっかだもんね! だからアンタも――」

「――なあ、鮫島」


 あえて語勢を強めて、俺は言う。すると鮫島は嬉しそうな顔をした。大方、俺が要求を飲むと思ったのだろう。


「鮫島。酸っぱいブドウの例え話を知ってるか?」

「は、はあ? あんたなに言って――」

「だから酸っぱいブドウだ。恋愛至上主義者が非モテによく言うだろう。『経験したこともないのに偉そうに語るな』っていうアレだよ。俺、あれ大嫌いなんだ。世の中には、テメェらが言う『酸っぱいブドウ』の『ブドウ』の存在をそもそも知らないヤツがいるんだよ! 一度も食べたことがない奴に、そんな言葉は意味がねぇんだよ! 知らねえんだよ! 恋も! 愛も!」


 俺が鮫島を睨みつければ、フルフルと震え出した。


「う、嘘。冗談でしょ? 日陰……あんた。この学校に通ってて、彼女いたことも、ヤッたこともないなんて……ネタとかじゃないなら……アンタまさか本当に!」


 はっ、と俺は笑ってやる。


 やはり、鮫島は嫌いだ。俺や新海のような人間を見下してくる辺りが大嫌いだ。


 この学校の恋愛賛美れんあいさんびの校風が嫌いだ。恋愛を絶対正義とする奴らが大嫌いだ。


 非モテを絶対悪とし、恋愛弱者をしいたげるこの風潮が俺は大嫌いだ。


 だから俺は、自分の信念を貫かせもらおう。貴様ら恋愛至上主義者が嫌いさげすむ信念を。


 鮫島、テメエは間違ってやがる。確かにそこら辺の男ならその誘いに負けていただろう。だが俺に、そんな安っぽい色仕掛けは通用しない。なぜなら俺は――


「悪いが鮫島。俺、童貞なんだよ。俺の純潔じゅんけつ、テメェにくれてやるわけにはいかねぇな!!」


 俺は右手に持っていた長剣を、バットのように構える。


「くたばれ! 恋愛至上主義のクソたれぇぇぇぇぇぇぇぇぇ!」


 そして全身全霊ぜんしんぜんれいを込めた俺のフルスイングが鮫島の頭部を打ち抜き、勝負はけっした。綺麗な一本だった。

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