下心はあります。でも恋心はありません

 放課後の図書室は静かなもので、勉強に取り組む生徒か、暇を持て余し時間を潰している生徒ぐらいしかいない。


 そして図書室の書庫というものはさらに静かなもので、ズラリと並んだ本棚の本に音が吸収されているのか、自分の衣擦れの音くらいしか聞こえない。


 ただ、いま座っている椅子はガタが来ているのか座り心地が悪く、何度も座り直すたびにギイギィ音がする。辺りが静かなだけに酷く耳障りだ。


 なんとなく鼻がむずむずする。それにこの書庫はすこし埃っぽい。

 だってこの机、ホコリが溜まってるぜ。ぜって掃除してねえだろ図書委員会。まあでもわかるぜ。見えない場所の掃除ってマジ面倒。机の下とか、椅子の足の下とか、カーペットの下とかの掃除って超面倒。どれどれ。どのくらい掃除をサボっているの確かめてやろう。


 そんな婆心もといい姑を気取って、机の上のほこりを人差し指でツツーっとなぞっていると、ドゴン! という音と共にでっかい段ボールが俺の指に被さった。


「何してくれとんじゃテメェ!」


 ガバっと顔を上げてみれば、ちょっとだけ驚いた顔の恋中こいなかがいた。


「ああ、日ノ陰ひのかげ。まさか小姑みたいなことしてるとは思ってなかったから」


 恋中は特に謝る素振りも見せず、段ボールの中から冊子やら分厚い本やらを取り出し机に並べ始めた。


 いやいや謝れよ。俺の指が折れちゃったらどうするの? てかおい、ちょっと爪の中が微妙に青いんだけど。これ内出血してんじゃん。くっそ、とんでもねえ女だ。


 俺は自分の人差し指をなでながら、チラリと恋中を見た。

 ここ、図書館の書庫に俺を連れてきたのはこの女である。

 あの一件の後「取り合えず着いてきて」と言われ、半ば強引に連れて来られたのだ。


 しかし先ほど言った「この学校の恋愛至上主義をぶっ潰す」とはどういうことなのだろうか。俺にとってその言葉は非常に魅力的であり、だからこそノコノコと恋中についてきたわけだが、普通に考えれば狂気きょうき沙汰さたであろう。

 というかこの学校で『恋愛至上主義マジ反対。だからぶっ壊す』なんて言えばどんな目に合うか分かったものではない。まあこの学校に限らず、世間的にも『恋愛はクソ』なんて言えば人間扱いされない。


 と、そんな事を考えながら俺は、本や冊子を広げ続けている恋中の横顔まじまじと見る。

 ……美人だ。学校一の美少女というのも頷ける。もう肌が綺麗なんだ。頬っぺたあたりの肌が特にきめ細かい。あとあれだ、うなじや首筋が恐ろしく綺麗な線を描いている。


「なに、私のこと好きになっちゃった?」


 突然言われドキリとする。見れば恋中、俺にチラリと視線を送ってきている。


「いやいや。まったく。ぜんぜん。綺麗な顔だとは思うが、好きじゃない」

「ふうん。でも男の子が『綺麗だね』っていうときって絶対下心があるでしょ」


 ジト目で俺を見てくる恋中。

 くそう、分かってるじゃねえか。男が女の子を褒める時、それ即ち下心がある。というか下心なしに女の子の容姿を褒める男っているの? まあ童貞だからそのあたりのことは知らん。というか女心も知らん。


「ああ、わかった。わかりました。下心はあります。でも恋心はありません。端的に言って恋中さんを見てムラムラしてました」

「へえ、どの辺に発情はつじょうした?」

「うなじとか首筋とかですね。スゴい綺麗。もう欲情。だからこれは恋ではなく欲です」

「あっそ。恋愛感情じゃないならいいわ」


 ……ええ、いいのか。俺なかなかひでぇこと言った気がするけど……いいならいいわ。存分に恋中でムラムラしておこう。

 うわあ。すげぇムラムラする。なんだろ。心臓もドキドキしてきた。脈拍も早くなってきたぞ。うわあ、これが恋なのだろうか。いや、ぜってぇ違う。


 そうこうしていると、本や冊子を並び終えたのだろう。恋中は空になった段ボールを机の床に下ろし、腰に手を当てがった。


「それで日ノ陰。どうやって恋愛至上主義をぶっ壊すかって話だけど――」

「ちょ、ちょっと待て恋中。それ……マジで言ってんのか?」

「本気よ。私、恋愛脳なこの学校の雰囲気が嫌いなの。だからぶっ壊す。だから日ノ陰も協力しなさい」


 ……うん。なんだろ。自分が気に入らねえからぶっ壊す、ということなのだろう。それはわかった。わかったのだが、なんで俺が協力することになってんの? てか、んなことより……


「なあ、恋中。お前ってこの学校で一番の美人じゃん?」

「そうね」

「で、勉強もできるらしいな。学年3位だっけか?」

「そうね」

「あとスポーツも結構できるらしいな」

「そうね」

「んでお前ってさモテるじゃん?」

「そうね。週2で告白されるわ」


 恋中はコピペのような返事を繰り出してきた。こいつは謙遜というものを知らないらしい。つか、週2で告白されるってなにそれ? 一年で100人近く告白される計算になるんだが?

 てか、つまり。俺が聞きたいのはその辺りのことなのだ。


「恋中。お前ってリア充とか陽キャとか、トップカーストみたいなヤツだろ。言ってみりゃ全力で恋愛を賛美している連中だ。そんなヤツが、なんで恋愛を嫌うんだよ」


 そう俺が問うと、恋中は小さく溜息を付いた。


「日ノ陰、今日の放課後のこと覚えてる? ほら、私が教室を出て行こうとしたときのこと」

「ん? ああ、あれか。なんかやたらと感謝されてたやつ」

「そうそれ。で、そのとき私、なんて呼ばれてた?」

 思い出せない。目だけで恋中に話の続きを促した。

「恋愛マスター、なんて呼ばれたわ」

「……恋愛マスターね。ふうん。でもそれって本当だろ。恋中ってモテるんだろ? それに恋愛経験も豊富そうに―――」

「そう、それ。それが問題」


 恋中はビシッと俺を指差してくる。


「恋愛マスター、恋愛経験豊富そう、恋中さんに相談すれば恋が叶いやすい、恋中神なんて呼ばれてる」


 そう言って恋中は肩をすくめて苦笑する。

 いや……恋中神って。生きながらにして神様になっちゃてんの? てか生きた人間を神様にしちゃうとか恋愛至上主義者共はやべえな。人柱かよ。


「つか、別にいいだろ。それくらい。てか、モテるのことの何が悪いんだ?」


 そう言ってやると、恋中が不機嫌そうな顔になる。


「だから私、恋愛が嫌いなのよ。できれば恋愛の相談なんかされたくないし、告白が原因で起きるいざこざとか、妬み僻みが面倒でしかたない。恋だの愛だの大嫌いなの。だから、この学校の恋愛至上主義をぶっ潰して、ちょっとでも自分が生きやすい環境を作り上げる。それだけ」

「お、おう……」


 想像していたよりもずっと過激なアンチ恋愛主義だ。童帝の俺も引いちゃうレベルだぞ。目障りだから全て潰すって今時の悪役でも言わねえ。

 ただどうも釈然としない。恋中が恋愛を嫌っているのは分かった。だが、それでも恋中は俺の質問に答えてない。


「恋愛が嫌いで、そんな環境が嫌いでぶっ潰したいってのはわかった。でも恋中。そもそもなんで恋愛を嫌う。嫌いになった理由はなんだ? そこが見えてこない」


 すると恋中は、ジッと俺を見据えてきた。

 ただそれだけなのに、俺の背筋に寒気が走った。

 恋中のその眼が、気持ち悪かった。瞳の奥に、厚い鉄のカーテンでも掛かっているかのようだった。その奥に何があるのか、覗き込むことも、想像することもできない。

 恋中は、左手で自分の胸元あたりをそっと押さえた。


「日ノ陰、人間が産れて初めて眼にする男と女の形ってなにか知ってる?」

「は? はあ? 男女の形?」


 なぜそんな質問をするのかわからない。ただ、答えはわかる。


「そりゃ夫婦ってやつだろ。それがどうしたよ」

 すると恋中はフッと笑みを零し、あの気味の悪い目がスッと引っ込んだ。

「ま、この質問をしても意図がわからないのなら、日ノ陰。アナタに私のことは絶対に理解できない。それに、アナタも恋愛が嫌いになった理由、話したい?」


 そんなことを恋中に言われ、俺は眼を細める。まあ、そうか。たしかに言いたくないことは誰にだってある。

 それに恋中くらいの美人だ。きっとコイツは昔彼氏がいて、でも手痛い失恋をして、だからこそ恋愛を恨むようにでもなったんだろ。童帝の妄想力がそう告げている。間違いない。


「わかったよ。俺も言いたくないことはある。山ほどな。だから、もう聞かねぇよ」

「助かるわ。あの部屋に来てくれたのが日ノ陰でよかった。さすが童帝ね」


 そう言って恋中は少しだけ笑った。


「で、日ノ陰。勝手な言い分だけど、これから私が喋ること信じてくれるなら、私と一緒に組んで、この学校の恋愛至上主義をぶっ壊しましょう」

「……話を聞いてみないことにはなんとも。でも実際どうすんだ。何か具体的な方法でもあるのか?」


 すると恋中は返事の代わりにファイルから一枚の用紙を引き抜き、それを俺に見せて来た。


「この机にある本や冊子をまとめたものよ。出典が心配なら後で確認して」


 ひとまず俺は、恋中から受け取った用紙に目を通す。

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