女なしじゃ生きられない心と身体にしてやるよ!

 歩くたび、床がギイギイと嫌な音をたてる。

 窓が少ない旧館内は薄暗く、どこかひんやとした空気に包まれていた。


 ここ、旧館は我が高の中でもダントツに古い建物であり、聞いた話では大正の頃よりそこに鎮座ちんざしているらしい。まあ、建物のデザインは和洋折衷わようせっちゅうっほいし、未だに木造校舎だし、信じられない話ではない。


 俺は廊下を突き当りまで進んでから階段を昇る。


 昔の建築物の特徴なのかは知らないが、この旧館には階段が一つしかなく、通常校舎のように建物両端に階段が設置されていない。

 歩くたびうぐいす張りの如く床がギイギイと鳴るため、この建物の耐震強度に不安を覚えてしまう。それでも階段を昇りきり、ホヘトに指定された場所にやって来た。


 旧館、2階。旧準備室である。


 しかし、ホヘトか。どんな奴なのだろう。まあ童貞&非モテであることは確定。同じ性質を持つ人間は惹かれ合う運命にあるのだ。なれば俺とホヘトが出会ってしまったのは運命である。


 と、そのとき。視界の端に動くモノがあった。


 顔を横に動かしてみれば、隣の教室の扉前に男子生徒立っている。ソイツはキョロキョロと周囲を窺い、そのまま教室の中に入って行く。


 たしか、あの部屋は旧教室だったはずだ。

 というか、偽ラブレターに指定されていた場所があの旧教室だ。てことは、あの教室の中には恋愛至上主義者共が手ぐすねを引いて待っているのだろう。つまりあの男も仕掛け人であり、クズ中のクズ野郎――――


 そのとき、首筋にジリっと嫌な感覚が走った。


 いや、おかしくないか?

 これから人をハメようとしている人間が、ああも迂闊うかつに誰かに見られるような行動をとるだろうか。普通、ドッキリを仕掛けるなら怪しまれないことが前提条件だろう。


 俺はスマホを取り出し、時間を確認する。現在、16時ジャスト。偽ラブレターが指定した時間だ。なれば指定した時間に仕掛け人がウロつくなど、愚の骨頂。ターゲットと鉢合わせになる可能性が高い。


 そんなことを考えてしまったからだろうか、胸のざわめきが大きくなってくる。

 そして、どういう因果いんが関係を感じ取ったのか自分でも分からないが、懐に入っているホヘトの手紙を取り出し、読み直す。




「童帝さまへ

 突然の申し出をおゆるしください。どうか一度お会いしてみたく思っています。もし可能でしたら、今日の16時、旧館2階の旧準備室にお越しください。The King in the Cherry!

                                ホヘト」



 ……この手紙は、おかしい。

 偽ラブレターとホヘトからの手紙。指定された場所の類似、指定された時間の被り。偶然にしては出来過ぎている、が、それでも起こり得ないことではない。 

 だからこそそれ以上に、確実に、ホヘトからの手紙でおかしな部分があった。


 なぜホヘトは『16』という文面を使っている?


  ホヘトの手紙は新聞部の「八咫やた」を介して俺の元へ届くことになっている。

  それはつまり、ホヘトが手紙を出した日と、俺がその手紙を受け取る日には、日にちのラグが生じる可能性がある。だから正しくは『今日の16時』なんて文面ではなく、『○月の○日の16時』と書くべきだ。というより、まずは「○月〇日に逢いませんか?」と予定調整をするのが普通ではないだろうか。


 なのに、なぜ『16』なんて書き方をしたのか。


 これじゃまるで、ホヘトはこの手紙を直接俺の下駄箱に入れたようなものだ。

 だが、それはありえない。なぜなら俺とホヘトには面識がない。そのため、新聞部の「八咫」を介してでしか俺に手紙を出すことができない。もし仮にそんなことができるとしたら、それはホヘトが童帝である俺の顔と名前を―――


 と、そのとき。

 ブーッと、手に持っていたスマホが震えた。

 反射的に画面を見てみればメッセージが届いている。差し人は……「八咫」

 俺は「八咫」からのメッセージを読んで……背筋に寒気が走った。


「今日は体調不良で学校を休んでいます。だから、ホヘトさんの手紙は入れてませよ?」


 手にしていた手紙がカサッと音を立てた。

 この手紙はホヘトからのものではない。

 誰かがホヘトを装って、俺の下駄箱に入れた偽のファンレター。

 つまり、誰が偽のファンレターを使って俺をここに呼び出した。

 いや、そんなことより俺が童帝であることが誰かにバレている。まさか―――


「―――《たこしま》ぁ)、ホントにあの童帝はここにいるんだろうなぁ!」


 その声に、ビクっと俺の肩が震えた。

 声は先ほど昇ってきた階段の、下から聞こえて来ているようだった。

 瞬間、すぐさま階段の踊り場まで引き返し、手すりから身を乗り出して一階を覗き込む。


「ああ、噂になってたんだよ。童帝は放課後をここで過ごすって。なあ、蜜葉みつば

「うんうん、私も聞いたからたぶんあってる。でもホントキモイよねー。あのコラム。ね? さーちゃん」

「うるさい蜂谷はちたに。サーちゃんやめろし。あたしは鮫島だっつーの」


 身体がスッと血の気が引くのを感じた。

 ――鮫島、だと。

 俺の所属するクラス2年H組で、いや、この学校でその名を知らない者はいない。


 鮫島さめじまほたる。黒髪ボブの女子生徒、極度の恋愛至上主義者と知られている。そして噂によるとヤツはとんでもねぇビッチであり、やつに弄ばれ純情を奪われた男は数知れず。そのためヤツはこう呼ばれている。童貞狩りの王、 と。つまり……俺の敵だ。


「こっ、これはもしや……俺を……童帝の俺を狩り出すための……罠ッッ!」


 と、覗き込んでいた視界に鮫島と、蛸島、蜂谷蜜葉が映った。皆平等にビッチであり、ビッチーズ。またの名をDTK童貞キラー。3人は横並びになり階段を上ってきたのだ。


 足は勝手に動いていた。手すりから離れ足早に廊下を歩く。

 これはまずい。校舎外に逃げようにもこの建物には階段が一つしかない。あの階段を下りればDTKと鉢合わせになってしまう。


 考えろ考えろ考えろ。DTKの口調からして俺が童帝であることをヤツらは知らない? なぜ? いや、それは後だ。なら何気ない顔で素通りして……いやダメだ。リスクが高すぎる。鮫島なら「童貞か非童貞かヤッてみりゃわかるよなぁ!」とか言って俺に襲い掛かってくるに違いない。しかも俺が書いているあのコラムはこの学校の校風に対するテロリズムだぞ?! 恋愛至上主義者の筆頭である鮫島に捕まってみろ。どんな仕打ちを喰らうかわからない。


 旧準備室の前で、俺の脚が止まる。


 あきらめるな。童帝の武器はその類まれなる妄想力。妄想と思考の融和は人間の思考速度限界を超越し、果ては論理的思考よりも先に天啓てんけいに似た形で答えを導き出すことができる。だが‥‥‥だが! 肝心な時に限って何も思い浮かばない! このままでは俺は……俺は!


「どいつもこいつも狂ってやがる! 恋愛至上主義のクソったれ共め!」


 そんな俺の叫びをかき消すかのように、処刑を知らせるDTKの声が遠く聞こえてきた。


「あははは! 捕まえたら女なしじゃ生きれない心と身体にがしてやるよ!」

「うっわ、鮫島えっろ。なにするつもりなんだよ」

「さーちゃんの激しいからなー。童帝くんもつかな?」


 ……ダメか。ああ、童貞の王は死ぬ。王座から引き釣り下され、貞操ていそうという王冠を奪われる。

 俺は、旧準備室の扉の前で、膝を着いた。

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