おそらくこれは、ラブレターという類のものだろう

 出雲いずも先生と別れた後、一般棟の階段を下りきり昇降口に辿たどり着いた。


 先ほどの教室の一件のために時間を食ってしまったこともあり、放課後の下校ラッシュで下駄箱周辺が生徒で埋め尽くされているということはない。なのでスルスルと自分の靴が入る下駄箱に向かうことができたのだが、ここで問題が発生した。


「ずっと前から好きでした! 付き合ってください!」


 ややかたむけた夕日が、昇降口のガラス扉から差し込む下駄箱。

 夕日に照らされたホコリがキラキラと煌めき、ブラスバンド部が奏でる楽器の音と、運動部の練習音が遠く聞こえる青春的シュチュエーション。

 だが、その言葉の受け取り手は、断じて俺などではない。


「去年の入学式で見た頃から好きでした! だからどうか!」


 そんな言葉を耳にして、下駄箱の側面越しにひょいと顔を覗かせてみれば、スノコの上に男子生徒と女子生徒が立っていた。男性生徒は握手を求めるようにして右手を差し出し頭を深々と下げている。対して手を差し出された女子生徒は……あの、恋中こいなかいろはであった。


 恋中は苦笑いを浮かべ、困った顔をしている。


「えっと……断わったんですけど。あの、話聞いてま――」

「いや。だから! OKしてもらえるまでここを動きませんから! 恋中さんと付き合って、それで……一緒に……卒業のときプロムに出たいです!」


 なるほど。あの男子生徒は恋中に告白をして断られたが、OKをもらうまでその場から動かないつもりらしい。 


 しかしどうだろうか。今時あんなに一途に、諦め悪く、真摯しんしに自分の気持ちを相手に伝える男がいるだろうか。それになにより、ああやって勇気を出すというのは、世間的に言えば素晴らしいことで、賛美さんびされるべきことなのであろう。特にこの恋愛至上主義な風潮があるこの学校であるならば。

 だが、一つ問題がある。

 あの野郎はあろうことか、俺の靴が入る下駄箱の前で告白をしやがっているということだ。


 それさ、テメェの告白とやらが成功しないとそこに居座り続けるってことだよな。てことは俺帰れねえってことだよな。なんで人の恋路のために俺がご迷惑を被らないといけないの? 恋とか愛の前ではどんなことも負けちゃうの? まあ最後に愛は勝つって歌ってるあたり、そうかもしれないけどよ。いやダメだ。許さねえ。


 自然と足を踏み出していた。

 この雰囲気がぶち壊れようが知ったことではないわ。堂々と、真正面から、あの二人の丁度真ん中にある俺の靴を、取り出してやる。


 2人の元までずんずんと歩いて行くと、恋中と眼が合った。彼女は一瞬だけぎょっとした表情になったが、すぐに苦笑いを浮かべた顔に戻る。そんな恋中の表情の変化と、ついでに俺の気配に気が付いたのであろう。男子生徒は俺に顔を向け、眉間にシワを寄せた。


「……あ? なんだよ」


 なぜ、そんな言われ方をされなきゃいけないのか分からない。コイツみてぇなヤツはデートの時に店員さんに横暴な態度を取って彼女に嫌われるヤツだ。ちげねぇ。まあデートしたことないから知らんけど。


「あー……すまんけど。そこに俺の靴があってよ。ちょっとどいてくれ」

「はあ? 終わるまで待ってりゃいいだろ。邪魔すんなや」

「いや、邪魔する気はねぇんだけどさ。ここ二年H組の下駄箱前だろ。で、ウチのクラスのヤツがもう少ししたら大量に来るんだ。ちょっとワケあって教室に全員残ってるからな。さすがに一クラス全員に迷惑をかけるのは……マズいだろ。ま、俺だけなら我慢するけどさ」


 するとその男性生徒は少し考える素振りを見せたのち、「クソっ」と言葉を吐き捨て、恋中に「また今度ね」と言い残し去って行く。むろん、去り際に俺をギロリと睨みつけてから。


 大きく息を吐く。下駄箱にある靴を取るのに、こんなに苦労した経験が今まであっただろうか。いや、ない。と、そのとき。


「ありがとう、日ノ陰ひのかげくん。助けてくれて」


 突如そう言われ、顔を横に向ければ恋中いろはがいる。当たり前だ。さっきまであの男性生徒が立っていた場所に俺がいるのだから。

 ただ、恋中との距離が思ったよりも近かったためにか、彼女の顔をまじまじと見てしまう。


 ぱっちりと開かれた眼に、桜色めいた唇。肩下まで伸ばした髪は後ろでまとめられ、顎先から鎖骨にかけてのラインが良く見える。その美しい首筋からなる身体のラインはまるで、雪原に佇むタンチョウのようだった。


 俺は自ら意識を引き戻し、下駄箱の扉に伸ばしかけていた手を降ろす。


「いや、靴を取りたかっただけなんだよ」

「ううん。それでも助かった。どうしようかと思ってたの。しつこかったからあの


 言って恋中は微笑むが、俺は恋中の言葉にひっかかりを覚える。先輩?


「……もしかして三年生だったのか」

「うん、そうだよ。怖めの先輩だったから、勇気あるなってーって関心しちゃった」


 おいおい、マジかよ。体育館裏に呼び出されてボコボコにされたりしない? まあ、ウチの学校に真正の不良なんていないけど。てか、そこその進学校だしおらんわな、そんなヤツ。


 「でも、さっきの日ノ陰くん、ちょっとカッコよかった」


 などと言って、やや上目遣い気味に俺を見てくる恋中。

 おっと。おっとっと。危ねぇ。危ねぇ。

 ふむ、そう来たか。恐らく俺以外の童貞であれば、今の恋中の言葉を鵜呑うのみにして絶対的に意識していただろう。だが、俺は伊達に童帝どうていを名乗っていない。訓練された童貞はこんなチョロい言葉に心揺れ動かされたりしないのである。


 だが、だからと言って、こんなときにどんな言葉を返せばいいのかまでは分からない。だからこそ無言を貫く。男は背中で語るって言うじゃねえか。まあ恋中には背中を向けてないから実質マジでなにも伝わってないと思う。

 すると恋中は、急に黙り込んだ俺が面白かったのかクスクスと笑い始めた。


「ぜんぜん話変わるけどさ、日ノ陰くんって恋愛とか興味なさそうだよね。それってなんで?」

「うえっ?!」


 おいおい、この女。やべえな。そういう質問に勘違いする男がどれだけいると思っているのだ。そういう迂闊うかつな言葉は使ってはいけない。だがしかし。俺は童帝である。童貞の中の王である。KINGなのだ。そんな口先の言葉に惑わされるわけがない。


「あー、興味ないから。いや、全く全然興味ないから。恋愛とかめんどくさくね? コスパ悪くね? てかそもそも彼女とか欲しくないし」

「へぇ。この学校の生徒とは思えない言葉だね。『恋なき青春は死に等しい』、裏校風とは真逆を行ってる」


 恋中は「ふふっ」笑い、そしてあろうことか、右手で俺の肩をポーンと叩いてきた。


 ちょおおおおおおッッ! コイツなんてことしてくれとるんじゃああ! ぶっ殺すぞこのアマ! テメエが叩いた肩の部分の布だけ切り取って、ジップロックに入れて保存する変態がいたらどうするんだ! 色々と迂闊なんだよ!

 いや、もういい。いつまでもこの童貞殺しの女と仲良く話している必要はない。


「ま、そういう人間もいるんだよ」


 俺は締めくくるように言って、手を下駄箱の扉に伸ばし掛けたのだが、


「あ、そう言えばさ。去年のプロムって参加した?」

 まるで、俺の行動を遮るような言い方だった。この女。突然なにを言い出したのか。


 しかしプロムとは、あのプロムのことだろう。

 ここ浜ノ浦高校には異国文化であるはずのプロムと呼ばれる行事が存在している。

 簡単に言えば卒業パーティーのようなものであり、当日は体育館に煌びやかな装飾で施され、ドレスアップした生徒達が軽食やダンスを楽しむことになっている。もっと簡単に言ってしまえば、海外ドラマや洋画のティーン向け作品なんかでよく見る、アレである。


 ただ我が校のプロムは色々とローカライズされており、本場のように卒業生に招待された人間しか参加できないというわけではなく、むしろなぜか全校生徒全員参加になっている。


 だが一方で本場のプロムがそうであるように、浜ノ浦高校のプロムもその際に起りうる恋愛絡みの事件は壮絶なものであり、毎年のように血で血を争う闘いが繰り広げているのである。ある意味この学校における恋愛至上主義の象徴と言ってもいいだろう。


「いや、参加したかって……あれ全校生徒強制参加だったろ」

「そうなんだけどね。日ノ陰くんならサボってそうだなーってたのよ」

「はっ……サボれるならサボりてぇよ。あんな恋愛の押し売りみたいな場所にいたら死んじまいそうになるわ」

「ふぅん……ならさ」


 と、その声にパッと顔を向けてしまう。なぜならその声質に、不気味さを感じさせるものがあったからだ。事実、その感覚を裏付けるかのように、恋中はなぜか薄い笑みを浮かべていた。


「……王様になれるかもね。日ノ陰くんなら」


 恋中の言葉に、俺は眼を細めてしまう。いったい、なにを言っているのだろうか。


「なあ恋中。それってどういう意味――」

「おつかれー、恋中さん。用事終わった感じ?」


 俺の言葉が遮られた。

 肩越しに後方を確認すれば、先の一件で仲人気取りを務めていた女子生徒が歩いて来る。そして彼女に続くようにして、我が2年H組の連中がゾロゾロと下駄箱に流れ込んできた。どうやら、あの一件が終わったらしい。

 一瞬、自分が抜け出したことについて問い詰められるかと思ったが、俺に対して誰も何も言ってこない。恐らく俺が消えたことなど知らないのだろう。


「日ノ陰くん。それじゃ、またね」


 恋中は俺に向かって小さく手を振り、仲人気取りの女子生徒の元へと歩いて行く。

 その場に残された俺の口から、溜息がれた。女の子の長時間話すのは疲れる。いかにも童貞らしいが仕方ないだろう。実際、童貞なんだから。まあいい。とっとと家に帰ろう。

 下駄箱の扉に手をかけ、開く。ギギッと金属がこすれる音がして、俺の靴が……ん? と、思わず首を傾げてしまった。なぜなら下駄箱の中に、入っていたからだ。

 別にに驚いたのではない。に疑問を抱いたのだ。


 ひとまず二通の手紙を下駄箱から取り出し、周囲の人間の邪魔にならぬ場所まで移動する。


 一通目の手紙。差出人は、ホヘト。言ってしまえばコイツは童帝である俺のファンであり、新聞部の『非モテの嘆き』に投稿した記事の感想を毎度のように送ってくれる。そして俺も、ホヘトにお返しの手紙を送ったりしている。

 と言っても俺とホヘトは面識がない。そのため手紙のやり取りは、俺が童帝であると知る唯一の人物、新聞部の「八咫やた」を介して行われている。童帝宛てとして新聞部に届いたホヘトの手紙を、こうして俺の下駄箱に入れてくれているのだ。そして、その逆もしかりである。

 飾り気のない手紙を開くと、飾り気のない便箋が入っていた。


「童帝さまへ

 突然の申し出をお赦しください。どうか一度お会いしてみたく思っています。もし可能でしたら、今日の16時、旧館2階の旧準備室にお越しください。The King in the Cherry!

                                ホヘト」


 なるほど。たしかに最近、ホヘトとの手紙のやり取りで『ちょっと会いませんか?』みたいな話をしていた。

 俺は携帯電話を取り出し『手紙は受け取った。ありがとう』と「八咫」にメールを送る。確認のため、毎度こうやって律儀に連絡を入れている。

 まあ、ホヘトの件は一旦置いておこう。

 つまりは、だ。下駄箱に手紙が一通だけ入っていたのなら驚く必要はない。だからこそ、入っていたことが問題なのだ。


 俺はもう一通の手紙を、眺める。薄いピンク色をした無地の手紙。そして、くるりと裏返してみれば、封をする部分にハート型のシールが張ってあった。

 瞬間「ふひっ」と口から息が漏れた。

 さすがに俺でも気が付く。恐らくこれはラブレターという類のものだろう。というかここまでベタなラブレターが存在することに感動してしまった。さらに下駄箱にラブレターを入れるという習慣が未だにあることにも。

 しかし一番の問題は、誰がこんな手紙をよこしたのかということだ。俺はペリペリッとハートのシールをはがし便箋を取り出す。するとそこには、


日ノ陰ひのかげえにしくんへ 

 お話したいことがあります。今日の16時、旧館2階の旧教室に来てください。

                               恋中いろは」


 あれあれあれあれ? おいおいおいおい? ちょっと待って。一旦整理しよう。つまりは、だ。恋中いろはが、俺の下駄箱に、ラブレターを入れた。以上。いや、整理するまでもねえ。超簡単。つまり、あの恋中いろはが、俺に好意を寄せているということだ。

 その事実に、心臓が跳ねた。胸の内に生温かいモノが湧いてくる。そう、この言い表しようのない感情と感覚。これは正に……嫌な予感だった。


 やれやれ、やーれやれ。こんな手に童帝が引っかかると思っているか。

 恐らくこれは、恋愛至上主義者共がときどきやっている、罰ゲーム告白or告白ドッキリだ。

 ジャンケンなりなんなりに負けた奴が、モテなさそうなヤツに対して告白をするというものである。主な楽しみ方としては、告白されたモテなさそうな男の反応を周りに隠れた恋愛至上主義者共が楽しむというものだ。

 そして最後は恋愛至上主義者共が飛び出してきて「ケイコちゃんお疲れー」「もーマジ無理。こいつキョドりすぎー」、「でも超ウケたんだけどー」などと小粋な言葉を交わし合い去っていく。そしてその場に残された野郎は絶望と恥辱に打ちひしがれることになるという遊びだ。クッソ。中学の頃のビッチ共め。ぜってぇに許さねえ。


 ま、大方。恋中の名前を勝手に拝借はいしゃくしたどこぞの馬鹿が、俺をハメようとしているのだろう。俺がターゲットにされた理由は謎だが、男は敷居を跨げば七人の敵ありとも言うし、知らず知らずのうちにが敵を作っているなんてよくある話。

 で、こうときはどうするか。なんて答えは決まっている。


 俺はきびつを返し、移動を開始する。

 そして恋中らしき人物から受け取ったラブレター(笑)をビリビリに破り捨ててやった。破れた手紙の破片が、はらはらと地面に落ちてゆく。

 これでいい。ホヘトが待つ、旧館2階の旧準備室に向かうことにしよう。ホヘトに、今しがたあったことを話してみたくなったのだ。


 ただ、後々考えれば、どうにもこれが運命の分かれ道であったようであり、後の高校生活がガラリと変わる分岐点、月並みな例えだが、少年少女に出会う、というお話だったらしい。

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