第95話 銀の雪と朱の夢魔Ⅱ


 昨夜、目覚めてから一連の事を思い出していたローラは、目の前のユキに言葉を投げた。


「…………ユキ、貴方に訊きたいことがあります」


「何です? けっこうアウロラこれの制御が面倒なので、簡単な質問だと嬉しいんですけど」


「簡単かどうかわからないですが…………ユキ、貴方は『ルーン』の使い手なのですか?」


 問うた先、ユキは一度大きく息を吐いた。


「――――リーベ、自動操縦にします。ちょっとお願いしますね。というか、どうせなら姿勢制御も最適化しておいてください」


『はあ? 私、魔力調整で忙し――あっ、もう手を離してる!?』


 一度アウロラが揺らぎ、すぐに姿勢が制御される。


「で、えーと……ルーン、ですか。逆に問いますが、何故、私がそうだと?」


 首を少し動かして横目で、後ろのこちらを見た彼女に問われた。


「昨夜の拘束魔法と探査魔法、この鉄の塊、アウロラと言うようですが……いずれも私の知らないものです」


 自分の力はそれほど大きくはない、と自覚している。決して弱くは無いが、他の魔物種と比べるとどうしても火力等で劣るのだ。姫の侍女兼護衛としてどうなのか、というところもあるが、直接的な戦闘では夢魔サキュバス自体が力の無い魔物である事が前提にある以上、仕方が無い。


 だが、その分、知識はある。


 魔物はその性質上、本能のままに生きる個体や種族が多い。だが、夢魔サキュバスは人間や他の種を参考に文化を発展させ、人間と変わりないレベルの生活水準を得ている。


(……まあ、吸血鬼も同じように文化を発展させ、かつ力を持っているという事実はありますが……)


 悔しいが事実は事実だ。それを認め、対策を講ずることでまたこちらも高みに昇る。


 だからというわけではないが、自分は様々なものを知っていると思っていた。


 しかし、ユキの扱うものは、未知のものだった。AIと自称する声だけの存在、ドラグーン・リベルタやこのアウロラ。人間の装備や技術についての情報は、以前相対した人間のものや人間狩りを生業とする夢魔サキュバスからの伝聞等で自身でも得ているが、まったく当てはまらない。


 それに、昨日自分を拘束した捕縛魔法。無論、魔法は同じ効果のものでも違う種類という事が多いが、捕縛魔法は夢魔サキュバスとしても多用する技であり、粗方は習得している。というよりも、


「こう言ってはなんですが、私は、使える使えないという話を無しにすれば、大概の魔法は知っていると自負しています」


 これは事実だ。


 力で劣るならば知で。己の限界を認め、可能性を広げる事が生き残る事への秘訣だ。


 そんな自分が知らない魔法技術体系にルーンというものが存在する。理由としては、既に失われた体系だからなのだが、ユキのようなイレギュラーな存在はそのような『未分類・未知』のようなものに当てはめるしかなくなるのだ。


 結論として、このユキという人間の雌については不明な事の方が多い状態ではあるので、何の解決にもなってはいないのだが。


「失われた?」


「これはあくまで伝聞――いえ、通説ではありますが、ルーンとは大昔、神々が使っていた強力な魔法体系だと言われています」


「……神、ですか。魔物も神を信じている、という事実に若干驚きました」


「信じている、というのは少し違いますね。人間の社会ではあくまで信仰なのでしょうが、魔物の間ではと捉えられています」


「……ほう?」


 ユキが興味を示すような声をあげる。


「詳しく話すと長くなるので割愛しますが、当時の魔物や人間たちは神々からルーンを学び、戦闘はもちろんの事、日常生活にすら応用していたそうです」


「しかし、失われたと。日常生活レベルで浸透していたとなれば、そのような事態になるとは考えにくいですが」


 それこそ、天変地異でも起きない限り。しかし、それは起きた。


「巨人と呼ばれる、地底に住まう怪物。それらが地上に侵攻し、神々と交戦したと言われています。その結果、世界には大きな傷跡が残り、人間はもちろん、様々な種が滅びる寸前までいったと」


 その言葉に、ユキがなるほどと頷いた。


「確かに絶滅寸前まで追い込まれるとなれば、文明が衰退する可能性もありますね。神々の教えルーンを全ての種族、個体が享受していたわけでもないでしょうし」


「その通りです。ですから、魔物側では昔話、人間側では神話としてしか残っていない話なのですよ。しかし、ユキの力は初めて見るものばかりです。こうなってくると――」


「『ルーン』という未知の力に当てはめる他無い、という訳ですね?」


 恥ずかしい事だがその通りだ、と声にした。


 そんなこちらに、いえいえと言ったユキは、しかし、否定を返してきた。


「残念ながら、私が扱うものはルーンではないですよ」


 それは、


「直接的な関係は無いです。私が扱う魔法はルーンという魔法体系ではありませんし。

 ……しかし、完全に関係が無いとも言い切れません」


 どういう事だと首を傾げたこちらが見えたのだろう。ユキがそのまま続ける。


「私の故郷では、様々な信仰がありまして。いずれもその信仰に結び付けた魔法が存在するんですが、そのせいで魔法体系も数多くあって面倒なんですよね。でも、神々から賜った力という意味では、ルーンと似たようなものであるかもしれません」


「人間が持つ神話は一つではないのですか?」


 問いに、ユキはうーんと唸ってから言葉を作る。


「場所、国によって様々だと思いますよ。例えば、ヴォルスンドなんかは信仰自体が薄い国で明確に宗教が存在してはいないようですし、反対にその隣国であるオルディニアは神勇宗国なんて言われる位、信仰が厚い国ですしね」


「ふむ、人間も様々なのですね……」


「はい。十人十色という私の故郷の言葉があります。人間一人ひとり、性格も好みも違うよ、ということなんですが……これは魔物でも言えるんじゃないですか?」


 言われ、どうだろうか、と思う。本音を言うなれば、


「個人的には、人間と一緒扱いされるというのはあまり良い気はしませんが」


 ユキについては、完全に信用するのは危険だが、こちらの事を単なる魔物の一体ではなく、として接してくれている。救助、治療、そして今という流れに至るまで、彼女はこちらを支援してくれているのだ。


(おそらく、何か裏があるのでしょうが……)


 本人は否定しているが、それは確実だろう。ユキの実力の一端を見た身としては、油断しなければいい、などと楽観できないのも現実だが、今それを考えても仕方がない。


 だが、あくまでユキ個人に対しての見解だ。未だ自分の中では人間という種族相手は他の魔物種と変わらず敵対種族の一つに過ぎないのだ。


「それならそれでいいと思いますよ」


 まるでこちらの心の内を読んだかのような言葉をユキが作った。


「それもまた、考えの一つでしょうから」


「…………間違っている、とは言わないのですね」


 自分が持っている人間についての知識から、今の自分の答えは否定される可能性が高い種別のものだったはずだ。


「それこそ、十人十色ですよ。思想も、常識も、正義も、人それぞれです。もちろん、和を作るのに同調という妥協などは必要だと思いますし、考えを他に変えることもアリですが」


「言っていることが滅茶苦茶ではありませんか」


 こちらの指摘に、ユキが笑う。


「仰る通りです。でも、それが人間です」


『不合理で不条理。本当、人間ってよくわからないわ。そういう点では、私の観点は魔物に近いのかもね?』


「よくそんな種族がここまで繁栄しているものです」


 こちらの言葉に、もっともだという風にユキが言う。


「不思議ですよねえ。人間の良い面でも悪い面でもあり、それが面白いのですが」


『まあ、そんな人間との付き合いをとことん味わうといいわ。私の苦もわかるってものよ』


 リベルタの言葉に、ため息一つついてから口を開く。


「現在進行形でそれを味わっていますが」


「これからもっと味わえるかもしれませんよ?」


 目線を後ろのこちらから前方に直したユキが、続けて言った。


「さて、そろそろ件の森です。この辺りからは歩いていきましょうか」


 アウロラに減速をかけながら、ユキはローラにそう告げた。

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