第91話 川辺の女たちⅠ
時間は遡り。
サキトたちが、魔物たちやマリアを保護した夜――――その少し前に当たる、サキトたちがアルカ・ディアス定例会議一回目が開かれた頃に、別の場所でも縁を結ぶ者たちが居た。
●●●
とある川岸にある洞窟。
夢魔のローラは唐突に目を覚ました。
「――――姫様!?」
叫びと共に上体を起こした彼女は、自分が生きている事に気付くまで数秒を要した。
「私、生きて……いえ、それよりもここは……?」
確か自分は川に落ちたはずだ。それがどうしてこんな洞窟で寝ているのか。状況を確認しようと思った時だ。
「おや、目覚めましたか」
「――――!?」
ローラは、ほぼ反射で声の反対側に跳んだ。空中で身体を翻し、着地と同時に声の主を見る。
女だ。左の目を眼帯で覆った銀髪赤目の女が、この自然の洞窟には似合わない椅子に座り、片手で本を広げてこちらを見ていた。
「あら、元気そうですねー。でも、あまり動かない方が良いと思いますよ? 傷は治療しましたが、体力は削られているはずですので」
「……!」
ローラは、己の身体を確かめる。確かに傷が無い。記憶では、川に落ちる直前の先頭で魔法による攻撃で身体の前面を中心に火傷などを負ったはずだ。それが、まったく無い。
「何の傷かわかりませんが、けっこう重傷だった上に川水に浸かってたものですからそれはもう酷い有様でした。傷などが残らないように施しましたが、もし残っていてもあまり怒らないでくださいね?」
「……何故、私を助けたのです?」
女に問う。
問われた方、本をぽすんと閉じて、んー、と少し考えるような仕草を取る。
どのような答えを返してくるかと思えば、
「何故と言われても困るんですが。
……そうですね。たまたま通りがかった川辺で、綺麗なお姉さんが倒れているではありませんか。よく見れば身体はぼろぼろ。死んでいるものかと思えば、呼吸はありましたので助けた次第です」
「それはここまでの過程であって、私を助けた理由ではないでしょう。目的は何ですか?」
睨み問うた先、女は閉じた本を膝の上に置いて言う。
「いえ、だから特に無いですよ」
「……は?」
けろっとした表情の女に、ローラは困惑した。
「そんな訳ないでしょう。意味無く他者を助けるなどありえません」
「別に他者を助けるのにいちいち理由付けはしませんよ。理由が先に発生したなら損得勘定で動きもしますが、今回に関しては別に。
まあ、無理にでも理由を得るなら、
ローラは女の言葉に反応する。
「そういう貴方は人間ですか」
人間。初めて相対した訳ではない。過去、冒険者を名乗る人間の雄と戦った経験も、
そして、その記憶から解る事もある。
「人間は魔物である私たちを敵視しているはずです。裏が無いと思う方がおかしい」
これは何も人間と魔物だけの関係性ではない。魔物とて、異種族相手では利害が一致しない限りは敵として認識する。何かしらの理由が無ければ保護するという行為には至らないのだ。
「そうです? 私、けっこう魔物の友人知り合いもいますので、明確に敵対されたり害意を感じなければ排除したりはしませんがねー」
女の言に、ローラは鼻で笑う。
「人間と魔物が共生するなど、よくもそんな戯言を口に出来ますね」
「えー、本当ですよー? 私の師なども
意味が解らない。この女の本心が見えないと、ローラは思う。
(話が進みません)
そもそも、相手は無防備と言っていいぐらい隙を見せている。ならば、
同姓の相手だろうと心理を操り、自分の虜にする。それが、
「もう面倒です。貴方の心を奪い、魔力も根こそぎ貰っておきましょうか。迂闊に
未だ魔力の回復はほとんどできていないが、人間程度にたいした技は必要ないだろう。
そう思った時だった。
『それはやめておいた方が良いと思うわ』
新たな声が、洞窟内で発生した。
●●●
「なっ!? 誰です!?」
ローラが周囲の警戒をさらに上げたのを見て、女は小さくため息をついた。そして、魔力通信で先の声の主に言葉を投げた。
『ちょっとリーベ。余計な問題が発生したんですが』
『余計な惨劇が増えるよりは良いじゃない。だいたい、問題数カンストしてるようなものだから、一つ増えたところであまり変わらないと思うわ。
それとマスター? 説明しないとあの魔物、襲い掛かってくるわよ?』
最早自分以外にも聞こえてしまう設定で話す己の相棒に、文句を言った。
「誰のせいですかー」
『マスター』
正直な答えに、女は大きくため息を付いてからローラに声の主について説明をする。
「えーとですね……あれです。天の声的な」
『そのネタ通じる?』
「……、――!」
無言でローラが襲い掛かってきた。距離にして数メートル。数秒も無く詰められてしまう。
だというのに。
女が動かしたのは右手の親指と中指、そして口だけだった。
「――――ヴァルベルズバインド」
言葉と共に指を鳴らした瞬間、それは発動した。
「なっ――」
ローラの周辺の空間、そこから多数の黒の鎖が発生し、彼女の身体に巻きついたのだ。
「ぐっ……、これは……!?」
女の目の前、手を伸ばせば身体に触れることが出来る距離で、ローラが縛り上げられた。
脱出しようと身体を動かすが、びくともしない。
女はそんなローラの胸に手を伸ばし、肌に触れる。
「……はあ、なるほど。
不敵に笑った女に対し、ローラがびくりと身体を震わせる。
「っ! 殺すなら殺しなさい。人間に弄ばれるぐらいなら死んだ方がマシです」
そんな事を言われるが、言われた女の方は、
「助けたのに殺すというのも無駄骨感が……」
『というか、人間を弄ぶ側に言われてもって感じよねー』
「まあ、そうですねえ」
とりあえず、と続けた女が笑ったまま言う。
「解って頂いたと思いますけど、お姉さんをどうにかしようと思ったらこちらはすぐに出来たんですよ」
「それをしないから、ただ助けたという言葉を信じろと?」
「はい」
断言する。正直、女の方としても助けた理由は本当に見かけただけというのが事実だ。彼女を使ってどうこうという考えは無かった。
「こちらを縛り上げておいて、よく言うものです」
皮肉交じりに言われる。しかし、こちらも言い分はある。
「それはお姉さんが襲ってくるからなので、こちらは悪くないですよ? 正当防衛は魔物間でも成立するでしょう」
そんな返しにローラが黙るのは、正論だからだろうか。
「ところで、あれですね。お姉さん、服着ません? ここもけっこう夜とか冷えると思うのですが」
提案した正面、ローラは全裸だった。服は既に乾いている為、着れば良いだけなのだが、ローラがその表情を複雑なものにさせて言ってくる。
「……現在進行形で私の乳房を揉んでいる者が言う台詞ですか」
『あ、それはマジで思うわマスター、何やってんの?』
二人に非難を向けられ、女がいやあ……と言い訳を開始する。
「目の前に巨乳があったら揉みたいと思うのが人の性ですって。ほら、縛られて強調されているので余計すごいですよこれ」
『第三者から言わせて貰うとマスターの方が大きいし、マスターの知り合いはそんなのばかりだから巨乳には困らないでしょ。……否、そういう事言いたいんじゃないの、この状況下で乳を揉むなって言ってるのよ。拘束もそろそろ解いてあげたら?』
「ああ、すみません。つい。
……ほいっ、と」
ローラの胸から手を離した女がもう一度指を鳴らすと、黒の鎖がその姿を無に還していく。その結果、自由を得たローラは、しかし、急に動いた反動からか、地面に座り込んでしまう。
「…………ふう。随分簡単に解放するのですね。私はまだ貴方から言われた事に対して答えを出していませんが」
「そうなんですよね、困りました」
女が苦笑しながら立ち上がり、乾かしていたローラの服を手に取ると、それをそのままローラに手渡す。
『でもあれよ? マスターってば、こんな顔してるけど、また同じ事をしてどうなるかわからない程度の存在なら、即斬り捨てるタイプだから気をつけなさい?』
「えー、それは風評被害ですよー」
「得体の知れない声の方が言っている事が正しいように感じるのは何故でしょうね」
「うぅ、お姉さんまで。酷いです」
嘘泣きを始めた女に、ローラが観念したように息を吐いた。
「…………わかりました。底の知れぬ相手に弱った身体で歯向かう程、私も愚かではありません。助けてくださった事は事実のようですし。
――それとお姉さんではなく、ローラと呼んでください」
「あ、ローラさんというのですね。えーと、私はユキです」
そして、もう一人の声の主。
『マスターの実務補佐AIにして、ジェネシス・ノヴァのシステム統括を司るドラグーン・リベルタよ。リベルタだけでいいわ。マスターに話しかければ私も大体話は聞いてるから。まあ、よろしくね』
「え、えーあい……? しすてむ……? また意味の解らない言葉なのですが……」
返された言葉にリベルタが数秒時間を置いてから言葉を作った。
『こういうの、実際自分の身に起こると面倒なの実感したわー……』
そんな彼女のやりとりにユキが困ったように言う。
「あー、まあ……使い魔だと思っていただければ」
「使い魔、ですか。それならば解り易いですが……」
渋々納得したようなローラがユキから渡された自らの服を身に着け始める。
その様子を見ながら、ユキは右の人差し指を立てて言った。
「とりあえず、あれですね。ローラさんが良ければ、ご飯でも食べながら情報交換といきませんか? お互い、話せるところまででも良いので」
そう言ったユキの左手には、先程まで読んでいた本ではなく、何処から取り出したのかフライパンがいつの間に握られていた。
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