第40話 魔人と魔天使は、再度フランケンを訪れる。

 俺たちが拠点を置く、要衝地の森と、ヴォルスンド北東端の町であるフランケンは一般的な馬車で数十日はかかる距離にある。


 元々、森自体が要衝地の南西に位置しているからであり、他の国であるオルディニアや帝国と呼ばれる国、または魔族が支配している国に赴くにはこの数倍から十倍以上はかかると思われる。


 とは言え、それは一般的な馬車の話で、知り合いの商人であるモンドリオが使う馬車は、特殊な魔獣らしく、以前フランケンを訪れた際には既に彼が帰国していた。


 アルドスの一件からの時間軸を考えると、数日で戻っていた事になる。


「まー、盗賊に襲われたばっかりで早く帰りたかったというのもあるんだろうけど」


「?」


 俺の声に、ゼルシアが振り向いた。


 場所は、フランケン中心部から少し離れた宿屋。前回も泊まったフルムだ。


 昼前にジンタロウたちに別れを告げ、飛行魔法による高速移動で来たので、数時間で北東門に到着。今回は持っていたギルドカードで正式に入国できた。


 間もなく日は暮れ、宿をどうするという話になり、ここになった。他の宿に泊まってみる、という事も考えはしたのだが、ゼルシアと話し合った結果、やはりここが良い、という結論になったのだ。


 質が良い、という点が決め手のポイントなのだが、人が少ない、というのも大きい。特に、容姿で人の目を引くゼルシアに加え、俺は前回のフランケンでの一件で顔が広まった可能性がある。


 宿の主夫妻であるモデルトとリンネルには悪いが、そういったことを考慮しての選択だった。


「否、ごめん。ただの独り言」


「ならばよろしいのですが」


 言って、ゼルシアは両の掌をパンッと合わせた。瞬間、凛とした空気が部屋全体を包み込んだ。


「―――防音結界、展開が完了しました」


「お疲れ。……って、なんか多重結界になってないか?」


 俺とゼルシアが通常使用する結界は、盗聴防止、透視防止、物理障壁、魔法障壁などを一つにした複合型の障壁結界だ。これは、どちらかといえば、オーディア、もしくはそれに連なる者への対策で、人が多い場所などの感知対象が多い場所では、念のために展開しているわけだが、今この部屋に展開されているものは、


(通常のそれに加えて、高度の防音結界?)


 防御系の魔法はゼルシアのほうが得意なため、いつもまかせているのだが、これははっきり言って過剰な結界だ。それがわからないゼルシアじゃないし、彼女が無駄なことをするのは珍しい。


 そんな俺の思考を読んでか、ゼルシアは簡潔な言葉を作る。


「念のため、です。他意はありません、ええ」


「……そっかー」


 なんとなく、察してそれ以上は追求しないようにする。後が怖くなるからだ。俺は視線を戻して、元の作業に戻る。それを見たゼルシアが首を傾げて近づいてきた。


「ところで、サキト様は何をされているのですか?」


  問われ、俺は自分の姿を確認する。ベッドの上、枕付近に腰を置き、楽な姿勢だ。そして、手は空中に伸ばしている。その先には、どのようにして、何の媒体に、そして何が描かれているのか、一般人にはわからない図面があった。


 スキル:《絵描き人ドローイング》の行使による、図面作成。そこに描かれているものは、俺が数日前から考え始めた、とある機械端末の設計図。


 何かしらの設計図なのはゼルシアでもわかるが、それがなんなのかは説明していないのでわからないだろう。これの設計を始めてからゼルシアにはまだ見せてもいない。


「んー、魔導ライフルヴィンセント・ゼロを造ってた時に少し思いついてさ」


 俺は設計図のフレームを横にスライドさせ、新たな白紙フレームを生成する。そのまま二つの線を描いた。


「ジンタロウの魔法とか見ててわかることだけど、俺たちとジンタロウの魔法体系ってぜんぜん違うじゃん?」


「はい、過ごしてきた世界が異なるので、当然といえば当然ですが」


「そう。そんでもって、ここに新たな要素―――まあ、この世界の魔法体系が入ってくる」


 俺は新たな線を付け足した。


「フラウたちを傘下においてから考えてたんだ。を身につけさせるか」


「それは……単純に考えて、サキト様や私が使うもので良いのでは?」


「そうなんだけど、戦闘教官のジンタロウと毛色が違うと、あいつが困る事出てくるだろうし、なにより、何体かはこの世界の魔法が使えてるだろ?」


 既に調べがついているのだが、魔物たちの中には、元からこの世界の魔法が使えている個体がいた。元々、魔族の地で魔王軍に従軍していた、という者もいて、ある程度の実用レベルには達しているようだった。


「そんなやつらに途中から違う魔法体系なんて教えたら、こんがらがって駄目になる。

 だから、しようと思う」


 三本の線を一つに纏めなおす。


「―――統合、ですか?」


「統合だと語弊があるか。この三つの魔法体系の中で、俺が習得できた魔法を簡易的に皆が使えるようにしようと思うんだ」


「―――」


 俺の言葉に、ゼルシアが言葉を失う。


 そのようなこと、主と眷属の間でも不可能なはずだ。では、どうするのか。


「そこで必要になるのが、これだ」


 言ってから、先程横に投げたフレームを目の前に戻す。ただし、向きをゼルシアに良く見えるようにして、


「アル、カナム?」


「そう、コードネーム:アルカナム。ゼルと出会う前に居た世界の言葉の一つで、意味は秘奥とかそんなのかな。オートマチック・レファレ……まあ、いいか、無理に当てはめなくても。

 コンセプトは片手で持てるぐらいの携帯型端末に、魔法術式を記憶させた魔石を入れておいて、魔力を流す事で各魔法を発動させるんだ。あとは、魔力通信の補助機能とかいろいろあるけど、まだ計画段階だなー」


 俺とゼルシアだけ考えるなら、こんなものはいらないのだ。しかし、あの要衝地の周囲の不安定さ、そしてオーディアという不確定事項を考えると、魔物たちを含め、戦力強化は可能な限りしたいのが本音だ。


「魔石自体の確保手段が確立してないから、実用段階にはまだ持っていけないけど、準備くらいならできるしな。だから、少しの間、ゼルたちには皆の世話とかまかせちゃう感じになるのはほんとごめん」


 この一週間も、フラウの教導とヴィンセント・ゼロの調整以外はほぼこの作業しかしていない。魔物たちの管理などはゼルシアやミドガルズオルム、ジンタロウにまかせっきりだ。


「……事情は把握しました」


 頷くゼルシアを見て、俺は一息つく。


 帝国から奪取した、魔導飛行艦の扱いも本格的に考えていかなくてはならないし、魔物たちが飢えないように、森一帯の環境整備も急がなければならない。


 ただ、そこまで切迫しているというわけでもない。だからこうして、ゼルシアとフランケンまで数日の遠征に来ているわけだ。もちろん、情報や物資の仕入れが目的だが、休む事も重要だ。


(のんびり、でもきっちりと進めていかないとなー)


 焦るとよくない。それは、、俺もゼルシアも。


 思い、設計図の続きをしようと手を伸ばした時だ。


 ふと、無言になっていたゼルシアが、俺のそば、ベッドに乗ってきた。そのままどうするかと思えば、ぐいっと近づき、作業中の俺と強引に唇を合わせてくる。


「―――ん……珍しいなー、ゼルから来るなんて」


 言うと、顔を離したゼルシアは視線を横にずらして少し頬を赤らめた。


「……今回は初めての眷属化など、少々疲れました。たまには、褒美など求めたいと思案しただけです。ご迷惑だったでしょうか?」


「否、全然? むしろ、ゼルってあんまり欲出さないからさ。いつも俺主体になっちゃってどうしたもんかなーって思ってるし」


 普段から必要な事は言ってきてくれるが、その他の、自分が必要以上にしたいことは言い出してきてくれない。魂で繋がっている分、近くにいるとゼルシアの感情はそれとなく伝わってくるので、いつもこちらから察して行動する。


 だから、このパターンは俺にとっても割と新鮮。


 それに先程の過剰な結界も、彼女の心理をある程度反映していると判断できる。恥ずかしい、と。


(昔のゼルだとあんまり考えられないなー。うーん、に幅が出そう)


「よくわかりませんがよろしくない事を考えていらっしゃいませんか?」


 じとっと見下ろされたので、肩をすくめて誤魔化す。


「いやいや、今後の生活の潤いを増やす重大なことを考えてただけだって」


「潤い、ですか……」


 と、真顔で返された。


「えーと……ゼルシアさん、なんか怒ってる?」


 何かゼルシアを怒らせるようなことをしただろうか。まったく覚えがないので、素直に訊いてみるが、


「怒るなど。私がサキト様に諫言をすることはあれど、怒りの感情を持つなど有り得ない事です」


 ゼルシアはそう言って、俺の腰の上に跨った。マウントを取られたこの状態で、彼女はさらに、今まで隠していた翼を展開する。その行動は普段のゼルシアが取らないようなもので、


「いややっぱり怒ってるんじゃ」


 俺の言葉に、ゼルシアは首を横に振った。


「―――この気持ちが、いまいちわからないのです。サキト様が私よりもフラウと話す事が多かったり、違う事をされている時にわきあがった感情が何なのか」


(それは……)


 つまり、ゼルシアはヤキモチを焼いていたのだ。


 思い返してみれば、ここ最近は本当にゼルシアと触れ合う時間は少なかった。その間、ゼルシアはその想いをずっと募らせてきたのだろう。その想いが苦しいものとわからない俺ではない。


「ごめん、そこまで配慮できてなかった」


 俺としては、ゼルシアがそこまで感情を育てていた事に驚きを感じている。これは、会ったばかりの彼女を知る俺だからこそだろうか。


「サキト様が謝罪する事ではありません。この想いも、きっと大切なものだと私は理解しています」


 ですが、それとは別に、と。


「ずっと、私から求める事はご迷惑になると、遠慮していました。ですが、サキト様は迷惑ではないと、仰っていただいたので」


 一息ついて、ゼルシアは表情を緩めた。


 彼女の、すごく珍しい表情に俺の心もドキッとするが、なんだろうか。獲物を獲ることを許されたみたいな感じが……。


「約二週間でしょうか、この溜まった想いは。明日からまた忙しいでしょうから、今は許される限り全力でいこうかと。

 ―――ええ、心構えとしては、女神オーディアと対峙した時くらいに」


「……おやすみは?」


「無いです」


 ニッコリとした笑顔と共に、不眠不休が約束された。

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