第9話 リザードマンの少女Ⅰ

「……ミドはまだ戻ってきてないか。まだ昼過ぎだしな」


 拠点がある大木の下、辺りを見渡しながら俺は言った。


 横にはいつもどおり、ゼルシアが並び立っている。


 難民の町 アルドスを立ち去り、人目がなくなった途中から魔法による飛翔でここまで戻ってきたわけだが、


「この子、ここまで来る内には起きなかったな」


 俺の腕の中にはリザードマンの少女が抱かれていた。


「やはり、眠っているようです。湖の水温は計っていませんが、水深の深いところならば、温度は急激に下がっているでしょうから―――」


「そこで体温を奪われて休眠した、って感じか? ただなぁ、リザードマンだろー? そんなヘマするかなぁ……」


「……」


 そこまではなんとも、と言いたげに沈黙するゼルシアに、俺も肩をすくめるしかない。


「とりあえず、この子を起こそう。体温上げれば、目は覚ますだろう。出て来い、機工人形!」


 間もなく、数十体の機工人形が出現する。


「燃えそうな木の枝と大量の枯葉を集めてきてくれ」


 指令と共に散った人形たちは物の数分で周囲から目的のものを集め始めてきた。


 そして、ゼルシアが集められた木の枝に魔法で火を、俺は枯葉のベッドに少女をそっと降ろした。


「これでだいぶ暖かくなるだろ、後は待つだけだ」



●●●



「―――んっ、あた、たかい……」


 少女は、目を覚ますと共に、己の体温が上がってきていることを自覚した。


 視界はまだぼやけたままだが、近くからパチパチと音が聞こえる。火があるのだろう。暖かい。


(……あれ。あたし、どうしたんだっけ……?)


 記憶があいまいだ。今日は兄が漁に出るというから、何気なくついていったのだ。泳げないというのに。


 そして、見ているのにも飽き、何か手伝えることがないかと立ち上がったときに体勢を崩し、そのまま……、


「そうだ! あたし……!」


 溺れた。ちょうど、兄がこちらから目を離していたタイミングだというのも最悪だった。おかげで助けなど来るはずも無く、あたしは水底に沈んで……。


(……じゃあ、ここって死後の世界!?)


 ばっと、少女は上体を起こした。


「……なんか……森、だな……」


 森だ。


 死後の世界はもっとこう、華やかなものを期待していたのだが、やはり自分のような弱小魔物では行ける世界もこんなものなのだろうか。


 そう、少女が思った時だ。


 ふと、自分の後ろに気配を感じたのだ。しかも、かなりの魔力。


 弱い自分でも気付くくらいの気配だ。


(―――この森の主とかそんなのが……?)


 死んで、よくわからない森で目覚めて、すぐに強大な魔獣と出会うとかどれだけ不運なのだ。もしかしたらこの焚き火に寄せられてきたのかもしれない。


(……と、とにかく、逃げないと!)


 まずは相手がどういった感じの生物か把握して逃げ方を考える。地上しか走れないようなタイプであれば、木の上に逃げてしまえばひとまず安全だ。


 だから、少女は確認のためにゆっくりと振り向いた。


 目の前に、天使あくまが立っていた。



●●●



「わひゃぁー!!??」


「―――あ?」


 突然の叫び声に俺は警戒の色を強めた。周囲、俺の感知能力では何も捉えていない。叫びは下の方からだ。


 そもそもこの周囲、俺以外はゼルシアとリザードマンの少女しかいないはずだ。そして、ゼルシアがあのような悲鳴をあげることはない。逆にあげるところが見てみたい。絶対可愛い。


 だから、必然的に悲鳴を上げたのは少女の方だ。


『ゼル、あの子起きたのか?』


 少女の看護をゼルシアにまかせ、遅い昼食を取るために、昨日の残りの肉を拠点で再加熱していたのだ。


『はい、サキト様。今しがた目覚め、私を見たとたん、叫び声をあげた次第です』


『叫び声……? とにかく、今行く』


 肉を皿に載せ、ドアを開けた俺は、そのまま下に飛び降りる。


「―――っと。おまたせ」


 我ながら無駄の無い、例えるなら高所から落ちても反動モーション無しの、そのままの動きで歩みを進めるゲームキャラのような着地で二人に近づく。


「ひゃっ!? ニ、ニンゲン?」


「そ、人間だぞー。半分ぐらいなー」


 今の俺の状態は本当にわからないので、そのようにしておく。


 現場の方、見てみればゼルシアはいつもどおり姿勢正しく立っており、対し、少女はゼルシアと、新たに出現した俺を警戒して距離をとっている。


 まずはその警戒を解かないとまともな話ができなさそうだ。


「ほら、残り物だけど肉だ。腹減ってるだろ?」


 俺は皿の肉を少女によく見えるようにする。


「お、お肉だ……、ううんダメだよあたし! ニンゲンと魔物が一緒にいるなんて怪しすぎるし!」


(―――ふむ……)


 少女の言葉に色々見えてくるものがある。


 そして、気になることがある。


「何でゼルが魔物だって思うんだ?」


 魔力云々は、俺とゼルシアはともに外部に察知されないようにコントロールしている。それぞれ、一般人クラスはさすがに無理だが、少し魔力が強い程度としか認識されないはずなのだ。


「だ、だって! おねえさんの背中に片方だけど黒い羽があるし、きれいだし、おっぱいすごいおっきいし!」



 ゼルシアにはまだ翼にかけさせた幻影魔法は解かせていない。


 黒の方が見えているならば、白の方も見えるだろう。


「まあ待つんだ、リザードマンの女の子よ。確かにゼルは可愛いし、巨乳だし、たまに甘えてきて可愛いし、魔王並に強いし、身体付きエロくて可愛いし、夜はたまに容赦無いけど、れっきとした天使だぞ。

 ……元だけど」


「可愛いとエロいばっかりで天使を連想させる要素が聞こえないよそれ! ていうか元って何!? そもそもあなたたち誰!?」


 尤もな言葉が来る。横、ゼルシアがこちらを半目で見ているが、なにかあったかな?


 しかし、こちらとしてはそれよりも気になることがある。


(―――『天使』の存在を知っているのか…)


 無論、彼女が思う天使と俺が知っている天使が同じものとは限らない。が、オーディアがわざわざ選んだ世界だ。他の天使―――ゼルシアの姉たちに当たる個体が何らかの活動をしていても、不思議ではない。


「よくみればニンゲンさんの方もすっごい魔力だし……まままま、まさか、ゆ、勇者!?」


 自分の言葉に少女が顔面蒼白になっていく。いや、元からそうだが。


 しかし、このままでは少女が自分の言葉で気絶でもしてしまいかねないので、落ち着かせなければならない。


「待て待て。俺たちは訳あって一緒に暮らしてるだけで勇者でも女王様でもない。君の事だって、人間の町がある湖畔に打ち上げられていたのを助けてここまで連れてきただけさ」


「え? そうなの…?」


「ソーソー、嘘ジャナイヨー」


 これ要らん一言だったかも。


 心配になるが、少女をみれば、先程よりもこちらへの警戒が薄い。


 ただ、それはチョロい、とかよりも、

 

「……確かに、聞いた話じゃ湖に向こうにニンゲンたちの集落があるから気を付けろってことだったし……、溺れたはずのあたしが森にいるのも……」


 どうやら自分の置かれた状況を確認できるぐらいにはしっかりした娘のようだ。


 これなら、この世界の魔物側の事情もある程度まで把握できるかもれない。


「その辺りの話も含めて、とりあえず落ち着いて話そう。腹も減ってるだろ? そういや、お互い名前も知らないしな。

 俺はサキト。こっちはゼルシアだ。君は?」


 俺の軽い自己紹介に、未だ警戒と迷いを見せながらもしかし、少女は言葉を作った。


「……フラウ、です」


「フラウか。よろしく」


「よろしくお願いします。フラウ様」


「さ、様って、いいですよ! あたしなんて呼び捨てで!」


 慌てるフラウに、まあまあと俺が宥める。


「ゼルは基本、俺と、俺の客とかには様つけるから。いいんだよ、フラウは今、俺たちにとって客だってことだ」


 逆に言えば、ゼルが呼び捨てや親しみをこめた相手は身内だと判別できる。


 あぁ、でも敵は完全呼び捨てだったよなー。オーディアとか。


 まあ、それは今いい。


 俺は焚き火の横、異空間から三人分の椅子を出した。


 ゼルシアがそれを並べる間に、俺が肉を切り分け、三人分にする。


 フラウもおずおずと近寄ってきて、椅子に座った。


 よし、ひとまずの昼食開始。


 その時だった。


『―――!!!』


 咆哮が轟いた。


「え!? 何!?」


「……あー」


 咆哮の主の名を口に出す前に、主が姿を現した。


 周囲一帯に暗い影を落としながら付近に降下してきたそれは巨竜。


 伝説の魔竜ミドガルズオルム―――その本来の姿。


 小竜状態のときは全長三十センチほどの彼も、本来の姿は十数メートルだ。


『拠点側、魔力を感じたので高速飛翔で戻ってきてみれば…、なんだ、王と天姫は既に帰還していたか。

 ……む、何だその小娘は?』


「―――」


 フラウが今度こそ気絶した。

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