第9話「眩暈」

 朝のそれなりに早い時間に目が覚めたメアリーは、そのまま起き上がりベッドから抜け出した。なんとなく窓から差し込む淡い光が心地よい。

 なんとなくふらっとして、視界が白く染まっていく。

「立ちくらみ……」

 キャビネットに手を置いて身体を支えようとするも、どんどん意識は遠ざかっていく。視界は真っ白になり、何も見えなくなる。そしてふっとメアリーの意識は途絶えた。メアリーはそのまま倒れ込み、うずくまった。

 屋敷の人間がメアリーの異変になんとなく気づいたのはそれから十分後くらいだった。普段なら規則正しい時間に起きて朝ご飯の仕込みをしているはずのメアリーが居ないのである。最初は皆トイレだろうと思っていたが、暫く待ってもやってこない。

 心配になったローザはサムギョプサル組のメイドの方にメアリーの部屋を見てくるよう言いつけた。

 メアリーのことだから大丈夫だろう、面倒だなぁなどと思いつつもメアリーの部屋に入ると、キャビネットに手をかけてうずくまるメアリーの姿があった。

 ひとまずメアリーをベッドに寝かせ、状態を確認する。

 寝ているだけにも見えるが、キャビネットのところで寝るのは明らかに不自然、そう思い少し見守ってみる。

 すると、ふっとメアリーは目を開けて起き上がった。

「あれ、おはようございます…………あれ?」

「大丈夫? そこのキャビネットのところで寝ていたというか倒れていたというか……」

「ああ、そういえば、立ちくらみで……。一応、大丈夫みたいです」

 メアリーはひとまず立ち上がった。なんとなく、足もとが覚束無い。

「ああっ、本当に大丈夫? 今、お水持ってくるから、ちょっと座って待ってて」

「あ、はい、ありがとうございます」

 メアリーは素直にテーブルのところの椅子に座った。なんとなくまだ頭がぼんやりとしていて、あまり思考が働かない。

 暫くぼんやりしていると、先のサムギョプサル組のメイドが水差しとコップを持ってきた。

「はい、これ全部飲んで」

とサムギョプサルメイドは言って、メアリーはコップになみなみと注がれた水を一気に飲み干した。

「あの、ありがとうございます」

「困ったときはお互い様ってことよ。だからあのときのことは忘れて」

「あのとき……?」

「その、私と彼がセッ」

「忘れます忘れます。というか、思い出しちゃったじゃないですか…………」

メアリーは頬をほんのりと赤らめた。

「逆効果だった……。まあいいや、今日は私たちが代わりに仕事するから。奥様にもそう伝えておく。ゆっくり休むか、気分転換にあの探偵さんに会いに行ったら?」

「え、いやあの、その……」

「バレバレよ、あんなの。あ、でも夕方には帰ってきてね、クララ様のお風呂はメアリーじゃなきゃ出来ないから。朝帰りとか本当不安になるからやめてね、まだ早いわよ」

 サムギョプサルメイドはそう早口に捲し立ててメアリーの部屋を出ていった。

「…………神社に、行ってみようかな」

 メアリーはそう独りごちた。


 なんとなく暑い日だった。それでも日本の夏と比べれば比較的涼しいのかもしれないが、カラリとした空気を素通りして、太陽の光は肌を突き刺してくる。日差しが痛い。ただ、メアリーは普段のメイド服、つまり作業服からエプロンを取っただけの黒いドレス、日差しの痛みは無いが黒となればかなり熱を溜め込む。なんとなく、汗も滲んでくる。

 神社に入るとらのと、ヘルメスと、もう一人少女が居た。どうやらこの国の人ではなさそうで、半袖にショートパンツというラフな格好をしている。と言っても、この国でショートパンツを履く人など居ないに等しいので、メアリーはショートパンツを知らない。そして、メアリーは一瞬ショートパンツを、下着かと思った。

「あ、メアリーさん、こんにちは」

「よぉ」

「どうも」

と、神社に元から居た三人はそれぞれメアリーに挨拶をした。メアリーもそれに応え、手を前に組んで頭を下げる。

「こんにちは」

「あ、この子は零奈ちゃん、本好きな高校生の女の子です。去年、中学生だったときから通ってくれてる子です」

「中……?」

「ああ、こっちに中学高校とかはないんでしたっけ。えーっと、中学校とか高校っていうのは、零奈ちゃんが住んでる国の教育システムです」

 メアリーは別の国から零奈が神社に通っているということに少し違和感を覚えたが、あまり気にしてはいけない気がして、考えないことにした。

「桜木零奈です、よろしくお願いします」

 零奈は自分でも自己紹介をした。

「あ、えっと、メアリーって言います。よろしくお願いしま……」

 おもむろに、眩暈がした。周りに掴むものは無く、メアリーはらのに抱きとめられた。


 目が覚めたら、らのに膝枕されている状態だった。胸が邪魔で顔はよく見えない。自分を見るとどうやら着替えさせられたらしく、キャミソールに半ズボン、薄手のパーカーというラフな格好になっている。

 少ししてから、零奈がペットボトルのポカリを持ってきた。

 メアリーは起き上がって、少し考えてから、蓋をひねった。カチッという音と共に蓋が開く。

「ああ、そっちにはペットボトルは無いんでしたっけ」

らのがそう呟いた。

 ポカリを一口飲んだメアリーは、

「おいしい」

とだけ言って、またポカリを口に含んだ。

「ポカリって言うんです。美味しいですよね」

「美味しいです」

「らのさんには生茶、それからヘルメスさんには珈琲です。……珈琲飲めます?」

「珈琲? 勿論飲めるヨ。ありがとう」

 そうやってみんなに日本の自動販売機で売っていそうな飲み物が配られていく。

 ヘルメスが珈琲を飲んで一瞬嫌な顔をした。


 零奈がポカリを結構な勢いで飲むメアリーに話しかけてきた。

「そういえば、メアリーさんは本とか読まないんですか?」

「読みたい本はあるのですが、如何せん仕事が多いもので……あまり読む時間がとれないのです」

「ちなみに、メアリーさんってどんな本読むんですか?」

「そうですね、ファンタジーとかでしょうか」

「ふーん、ファンタジー。例えばどんなのを読むんです?」

「図書館の魔」

「図書館の魔女!?」

 もはや脊髄反射なのではなかろうかという速さで零奈は聞き返してきた。

「はい、図書館の魔女です」

「いいですよねぇ、あれ……」

今度は感慨深そうに呟く。

「いいですよね」


「そういえば、この服って……?」

 メアリーはふと思ってらのに尋ねた。

「ああ、それは零奈ちゃんの奴です。家から持ってきてくれたんです」

「なるほど……。ありがとうございます」

メアリーはヘルメスと話していた零奈に礼を言った。


 その後もなんとなく話をしていたら、日も暮れ始めてきた。

「あっ、そろそろ帰らなきゃ」

「あ、メアリーそろそろ帰るのか? なら送っていくぞ」

 ヘルメスがそう志願した。

「えっ、あ、いや、大丈夫ですよ」

「また眩暈でも起こしたら大変だろう? 送っていくからさ」

 そう言いながらヘルメスはメアリーの背中を押す。

「あ、あの、着替えないと……」

「ん? あ、そうか。じゃあ着替えてこい」

 メアリーは裏の蔵で着替えて、丁寧に畳んで零奈に返した。

「ありがとうございました」

「いやいや、いいんですよ」

 なんとなくメアリーの方が幼く見えるのだがメアリーの方が歳上である。

「それじゃあ、また」

メアリーはそう残してヘルメスのところへ小走りで向かった。

「お、来たな、行くか」


漸く家に着き、玄関前というところで、またも眩暈がメアリーを襲った。なんとなくフラフラするメアリーに気づいたヘルメスがメアリーを抱きとめたところで、ちょうど良くサムギョプサルメイドが玄関から出てきた。

「ああああああっ!!! うちの純粋……? なメアリーに手を出したな!? くそ、ロギオスめ、覚悟っ!」

「まて、まてまて、誤解だ誤解!」

「じゃあなんだって言うのよ」

「眩暈だよ、眩暈。ちょっとフラフラしてたから」

 と、ここでメアリーは目を覚ました。

「…………?」

メアリーの顔がみるみるうちに赤くなっていく。それは現代的にいえばトマトの成長をタイムラプスで撮ったような、そんなもの。

「メアリー! 大丈夫!? 何もされてないわね!? まだ処女だよね!?」

「あ、当たり前じゃないですか……!」

 少しモジモジとしながらメアリーは言う。

 なんてくだらない会話をして、なんとか誤解を解いてから、ヘルメスは帰っていった。


 ヘルメスが帰路についたそのころ、神社ではこんな会話が交わされていた。

「あの二人、あのままホテルとかそんなことはないですよね?」

 これは零奈。

「まあ、ヘルメスさんもそこまで酷い人ではないと思いますけど……」

 これはらの。

「うーん、盗人ですからねぇ……。でも、女の子の恋なら、応援しないとですよね……!」

「そうですねぇ」

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