安易に

 私の手元には死霊秘宝ネクロノミコンが存在する。一頁一頁。一文一文。驚異と好奇心に溢れた神々への嘲笑は、世界に蔓延する深淵を解き尽くすだろう。されど私は死霊などに興味は無い。無名都市の呻きなど詰まらない有様で在り、死を越える烏賊の化け物――旧支配者ども――に関しては人間風情を吐いてろう。さて。ならば私が秘宝を捲った理由は何か。焦るのは危険だ。如何なる怪奇小説でも深追いした輩から融けて往く。貴様はヴォイニッチ手稿を知って在るのだろう。ああ。解読されたとも囁かれた奇怪の束だ。勿論、解読された云々は虚言だが。私は此れを理解する術を入手した。死霊秘宝ネクロノミコンが鍵だと説くのは簡単でも『それ』は可笑しい。最も有名な魔導書に『劣る』ものが手稿。其処に戻る必要は無いのだと――甘い。凄まじく甘い。珈琲に角砂糖と蜂蜜と牛乳と練乳を混ぜるほどに甘い考えだ。私が思うに手稿は『母』を暴く答えで、アーサー・マッケンの『パンの大神』に言及された脳への刺激を示すものなのだ。植物と人間。他諸々。此れは総て人間の精神に秘められた想像ヴィジョンで成り、真実とは程遠いが狂気を回避した【作者】の表し方で在る。故に解読は不可能だったのだ。精神の延長線上に造られた母が、如何なる所以で通常に示されよう。さて。此処で私は友人ユグゴトに頼み、頭蓋の中に毒を注入して――おっと。何だ。妙な貌を装うな。私の頭部に問題でも在ったのか。

 可哀想な友よ。如何か。僕の言葉を聞かないでくれ。君は最初からパンの大神に出遭って在るのだ。僕が施術を真似た真犯人なのだ。君が視る友人ユグゴトは君自身が孕んだ想像ヴィジョンで、もはや帰還する術は無い。安易な僕を赦してくれ――ああ。何だって君の脳味噌は、膨張して天井を破壊したのだ。ああ。何だって君の脳味噌は、宙を覆い尽くすほど膨張したのだ。君。愈々、君の『パンの大神』が破裂して、ヴォイニッチ手稿の真実が解放されるのだろう。君の想い通りに『母』が総てを呑み込むのだろう。最後に残った君をす為に。


 ――神は慈悲深いのだ。私は囁く。僕も呟く。

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