第2話

「おかえり。尚。」

家に着くと母さんがリビングから僕に言う。

正確には僕じゃなく、僕に兄を投影して、兄の名前を呼ぶ。僕は必死に兄の振りをして、笑顔でただいま。と返した。こう見ると普通の親に見えるし、誰も母さんに心の病気があるだなんて分からない。ランドセルを下ろし自分の机の隣へと置く。そのまま母さんは僕に話しかける。

「あのね。仕事をしようかと思って…。ずっと尚に迷惑かけっぱなしだったでしょ?」

「そうだね。頑張って。応援してるよ!」

「ありがとう。母さん頑張ってみるね。」

その夜珍しく母さんが夕食を作ってくれていた。久しぶりの母さんの手料理が美味しくて、残さず食べた。


次の日母さんは、朝早くに仕事を探しにいくと家を出た。僕は母さんが元気になったのではと思い、嬉しかった。朝ごはんだって、作ってくれたし、言葉ひとつひとつが優しかった。たとえ、僕じゃなく兄に対しての言葉だと分かっているけれど、いない風に扱われるよりマシだった。

「じゃあね。」

笑顔で母さんは家を出た。

「行ってらっしゃい!」




その日の夜、母さんは家には帰らなかった。母さんがいつも家にいるから、1人の夜は珍しかった。母さんがいても一緒に夕食を取ることはなかったし、会話だって僕が一方通行で話しかけるだけで、返事は帰って来なかったから、いつもとさほど変わりはなかった。

ただそこに母さんがいないだけ。

それから2日、3日と過ぎた。

母さんが帰って来ないことが不安だった。

近所の人の何人かに心当たりを聞いてみたが、誰も母さんがどこに行ったら知らないみたいだった。

母さんがいなくなってから5日後、冷たくなった母さんが街から外れた場所で見つかった。自殺だったらしい。学校帰りに警察が遺体の確認ということで僕を呼び出した。僕の目の前に置かれた母さんと思われる人は、もう目を開けることもないし、喋ることも無い。悲しいと言うより、正直腹が立った。1人で死んで、僕をこの世に置いていった。

「ふざけんなっ!」

背負っていたランドセルを、無残に放り投げる。暴れる僕を警察の人が必死になって止める。僕は暴れながら母さんに暴言を吐き続けた。怒りと悲しみと悔しさと色んな感情が入り交じって泣くしかなかった。何をムキになつているんだろう。心の中ではそう思っていた。でも、あとになって分かった。

ちゃんとこっちを、見て欲しかった。

兄じゃなく、凪という僕のことを見て欲しかっただけだった。受け入れて欲しかった。

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