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 縁とはなんて不思議なものなのだろう、と、万年筆をとった理由を簡潔に示してみる。隣ではそんな私を彼が見ている。

 彼とはいわゆる腐れ縁というやつで、もうかれこれ三十年の付き合いになる。私と彼の道がどうしてこんなにも重なってしまうのか、私にはまだわかっていない。

 私たちの縁は不思議なくらい強く結びついていた。

 彼と最初に会ったのは高校に入学した年だった。

 同じクラスの彼は無口な男の子で、いつも一人で難しい本を読んでいた。私も大人しい部類に入るから教室の中では同じカテゴリの人間だったけれど、頭の良さは彼のほうが段違いで飛び抜けていて、平々凡々な私とは住む世界が違うような気がしていた。

 特に深く関わることもなく、二年生のクラス替えで彼は理系へ、私は文系へと進路を違えた。ところが私たちはたまたま同じ委員会に所属することになって、二年間軽く会釈する仲になった。

 高校を卒業して、彼は有名な大学に入ったらしい。これも人づてに聞いただけの話で、本人からちゃんとした情報をもらったわけではない。

 私も上京して女子大へと進学したのだが、三ヵ月ばかり経ったある日、帰り道で酔っぱらいに絡まれてしまった私は、通りがかった男の人に助けられた。乙女小説もかくやという状況でさらに驚いたことは、その男性が件の彼だったことである。そうして私は彼が近くに住んでいることを知った。

 その後学生らしく青い春のような関係に……ならなかったところが、私と彼の付き合いが長く続いている要因の一つなのかもしれない。

 たまにすれ違っては会釈をする。電車ではち合わせては立ち話をする。連絡先を交換することもなく、それ以上関係を進展させるでもない四年間が過ぎ去り、私たちは完全に離れることになる。

 五年後、転職先の研究所で彼に出くわすまでの、短い別れだった。


 二十年間毎日のように通った職場はちょうど四年前にその役目を終えてしまって、私は数か月路頭に迷った。

 彼はその当時、研究所の副所長をしていた。お偉方の使い走りのようだった所長とは違って現場主義者で頑固者。それなのに、とある問題から研究所が閉鎖される際にその責任を取った所長はどこかへと消えてしまって、後に残った事後処理や建物の管理はすべて彼に押しつけられた。

 ふらふらとしていた私は事務方の人間として、施設の再利用に手を貸すよう、彼に言いつけられて施設へと戻ってきた。

 今のところ、彼の他に職員は二人。一人は元々研究所にいたダリアという名前の女の子。もう一人は研究所を閉鎖させてしまった団体から派遣されてきた医療従事者の男性で、名前はチェイン。二人ともまだ若くて、私は自然と昔の彼と私を思い出してしまった。

 甘酸っぱいやり取りなんてないところが、ほんとうにそっくりだ。

 仕事はたくさんあった。私はダリアと一緒に、一般に開放されることになったホールや図書室の管理をし、毎日広い施設を掃除した。時おり見学に来る人との連絡を仕切り、チェインにガイドをお願いするのも私の仕事。ダリアは広大な庭の管理もやっているし、チェインは派遣元からの依頼である研究所に残された専門的な資料の整理もやっていて、しばらくは休みなく働いていた。

 唯一、彼だけが手持ち無沙汰にしていた。

 チェインの質問に答える以外、彼の仕事はこれといってなかった。彼が行動することは、あまりよく思われていなかったから。

 だから彼は暇を装って私のところに来ては、この研究所のことについて教えてくれた。

 秘密の部屋のパスワード。そこには所長秘蔵のお酒があるらしい。

 施設内の林。昔子供たちが作ったツリーハウスがまだある。

 研究施設の地下。実験の中で犠牲になった実験体のお墓がある。

 私は毎日地下に降りては花を供え、ひそかにチェインの仕事を手伝っては夜なべをしてしまう彼のところにお酒を持って行ったり、彼がいないと焦るチェインの代わりにツリーハウスまで彼に声をかけに行くようになった。

 そして彼は事あるごとにダリアの話をした。

 元々彼女はこの実験施設のモルモットだった。クローン技術を研究するこの場所で、ほかの子たちと同様、提供された誰かの遺伝子を用いて作られた実験体。研究所時代、私の最後の仕事は研究対象から外されることになったダリアの受け入れ先を探すことだった。そのころの彼女はまだ実験体番号で呼ばれていた。

 クローンであることを隠して、そのうえで彼女が幸せになれる場所。彼はくれぐれもよろしくと言っていた。けれど、彼の願いは叶えられなかった。

 四年前、人権団体から「クローンにも人権を」、「非人道的研究の即時中止を」と弾圧を受けた研究所は国の意向もあって閉鎖されることになった。私は研究所を去り、再び戻ってきたころにはここにはダリアと彼しかいなかった。

 他の実験体の子たちは急変した環境に心がついていかず、ついに集団自殺をしてしまったそうだ。

 全員の最期を看取った彼は、ダリアの前でいつもの「ドクター」を演じることで平静を保っていたようで、私が戻ってきたときにはもうぼろぼろになっていた。

 人権団体は施設で起こったことを隠すために、彼とダリアをこの研究所に閉じこめた。口実としての公共施設化。そして監視用の人員配置。彼はすべてを知っていて、そして私を呼びだした。

 彼は一年かけて、すべてのことを話してくれた。

 きっと彼は、最後に私たちの縁を自分から手繰り寄せたのだ。あまりにも遅すぎて恋心なんてもうないけれど、私は彼が私を選んでくれたことが、とてもうれしかった。

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