86 状況整理

 私はアビスワームの胃袋から飲み物を取り出し、シェリーさんや見張りの騎士さんに渡す。もちろん私も飲む。

 ありがちなことに、この胃袋の中では中に入れたものの温度が変わらない。食べ物が腐ったりすることもない。

 おかげでこんな場所でもよく冷えたソーダティーが飲めるってわけだ。


「うむ、落ち着いた。礼を言うぞ、ミナト」


 シェリーさんが言った。

 その顔色はいっときと比べてずいぶんよくなってる。


「こっちこそ、巻きこんじゃってごめんなさい」


「クレティアスのことか? ミナトの責任ではないだろう。そもそも奴は夢法師を始末するために現れたようだったから、その意味でもミナトのせいではない」


 そこで、見張りの騎士さんが言った。


「なあ、情報が錯綜しすぎてて正直理解が追いつかん。一度情報を共有しないか?」


「それもそうだね。

 じゃあ、まず私から。

 といっても、私はこれといって説明することはないかな。ロフトの街のダンジョンでザムザリア王国の騎士だったクレティアスの専横を暴いたのを恨まれて、つけ狙われてるらしいってだけ」


 「だけ」って言っていいことでもない気がしたが、説明としてはそれだけだ。


 次に、シェリーさんが口を開く。


「わたしはミストラディア樹国巡察騎士団の団長として、夢法師事件の調査と真相究明、およびその解決のため、この森に分け入った。

 だが、われわれが覚醒者になってしまっては目も当てられん。メンバーは、夢法師の誘惑を拒絶した経験のある者のみを選んだ……はずだった」


 シェリーさんがそこで水球の老人をちらりと見る。


 ――さきほども述べたが、わしの力を使って夢に入りこんだイムソダの誘惑を拒絶できたのは、ここにいる三人だけだ……


 私、シェリーさん、見張り騎士さんの三人だね。


 私は言う。


「つまり、ここに来る途中ではぐれた、ルイスさんと残りの騎士は、イムソダの誘惑に乗った覚醒者だった……?」


 私の指摘に、シェリーさんと見張りの騎士が顔を曇らせる。


「そうだったのだろうな……。

 だが、わたしたちは、夢法師の誘惑に乗った者は遠からず事件を起こすものと認識していた。覚醒しながらそのことを隠していられるとは思っていなかったのだ」


 ――イムソダの「覚醒」は、必ずしも覚醒者を暴走させるものではない……単に、強すぎる力を手に入れれば、多くの者はそれを扱いかねて暴走するというだけのことだ……もともと、イムソダめの誘惑に『だく』と答える精神性の持ち主だ……力を得たことに狂喜して、自分は無敵だなどと勘違いをする……


「でも、なかには力を得てもそれを隠し通せる人もいるってことなんだね」


 ――そういうことだ……


「ルイス……なぜだ。『姉』であるわたしを補佐したいと言って魔術士の道を選んだおまえがなぜ……」


 シェリーさんが悲しそうに言った。


「まだ、そうと決まったわけじゃないよ」


 一応そう言ったけど、自分でも気休めだとは思う。


「シェリーさんとルイスさんは姉弟なんですか?」


「ああ、いや。姉弟も同然に育ったというだけだ。幼なじみというのが正しいだろう。

 わたしの家は代々騎士を輩出する公爵の家柄で、ルイスの家はその従者筋に当たる子爵の家だ。

 だが、身分の差など、子どもにはさして関係がなかった。わたしはルイスのことを弟のように思ってる。

 わたしが言うのも口はばったいが、ルイスもわたしを姉と慕ってくれていて、わたしが騎士として剣を究めるなら、自分は魔術士となってそれを支えると……。

 ルイスにも、剣の才能がなかったわけではない。ただ、わたしが剣を選んだばかりに、ルイスに剣を――騎士としてのわかりやすい立身出世の道を捨てさせたのではないか……そのような葛藤はわたしのなかにもあったのだが……」


(なんか複雑そうだな)


 シェリーさんは見た通りの明るく朗らかな人柄。ルイスは陰鬱で毒のある頭脳派だ。


(私がルイスの立場だったら、シェリーさんはまぶしいだろうな。本人に悪気がないだけ余計……)


 家柄の差だとか、人望の差だとか、騎士としての才能の差だとか。

 ルイスが闇に落ちた理由を見つけ出すのは簡単そうだけど、二人と出会ったばかりの人間が知ったようなことを言うべきではないだろう。


「他の二人の騎士はどうなんです?」


 今度は見張りの騎士さんに聞いてみる。


「あいつらか……こうなったから言っちまうが、品行方正なタイプではなかったね。給金を賭場に注ぎこんだとか、酒場の娘にちょっかいを出したとか……」


「えっ、そんな人たちだったんですか?」


「なんでそんな連中が選抜されたかっていうんだろ? ま、嬢ちゃんがそう思うのももっともだ。

 実は、俺たちが霧の森に派遣される前に、霧の森に駐屯してた騎士の何人かが『覚醒』して暴れまわるって事件が起きてんだ。その際に、真面目で有名だった貴族出の騎士が、直属の上司とその家族をなぶり殺しにするってことが起きちまった。

 要するに、元の性格が善良だろうと、覚醒しちまうと歯止めが利かないってことなのさ。

 逆に、ちょっとくらいいい加減だったりするほうが、極端な方向には行きにくいんじゃないか――とまあ、そんなような議論があって、俺のようなくたびれた妻帯者のおっさんや、ちょいグレの騎士なんかが選ばれたんだ。

 分隊長は人望もあるし、実力も確かだから、万一の時にも抑えが利くだろうってな」


「なるほど。真面目な優等生タイプはプッツンいくと危ないってことか」


 ワイドショーのインタビューで、近所の人に「真面目そうな人でそんなことをしたなんて信じられない」ってコメントされそうなタイプ。

 まぁ、ワイドショーのインタビュアーがそういうコメントを取りたがってるだけって可能性も高いけどね。


「そう考えると、ルイスのやつは真面目だからな。溜めこんでたものにつけこまれたってことも……ああ、いや、すいやせん」


 途中でシェリーさんの表情に気づき、見張り騎士があわてて言葉を呑みこんだ。


「いや、かまわない。

 だが、結局は『真面目すぎないほうがいいのではないか』という騎士団幹部の意見も的外れだったということだ。

 思った以上に、夢法師の――いや、夢法師を名乗ったイムソダの誘惑は強力だったのだ」


 黙りこむシェリーさんに、騎士さんが言った。


「そういや、さっきはなんでルイスや他の騎士たちは一緒じゃなかったんでしょうね」


 その疑問には私が答える。


「たぶん、クレティアスお得意の独断専行だったんじゃないかな。私がここにいるってことを、イムソダかルイスから聞いて、いてもたってもいられなくなった」


「それで単身乗りこんできたってわけか。

 だが、そいつは不幸中の幸いだったな。もしあの暗黒騎士のほかに覚醒者がいたらと思うとぞっとするぜ」


 騎士がそう言って身震いする。


(たしかにその通りだね)


 こっちはクレティアス一人に散々かき回された。

 次戦うときは、私の魔法への対策を考えてくるだろう。

 あるいは、覚醒したルイスに魔法で私に対抗させ、その隙を突いてくるとか……。


(それはないかな? クレティアスは一人で私を倒すことに固執してると思うし)


 シェリーさんが首を振って言った。


「……もし、ルイスが覚醒者だったのなら……わたしがこの手でなんとかする」


「すると、嬢ちゃんが暗黒騎士の担当、俺の相手は覚醒した騎士二人ですかい? 勘弁してほしいな」


「全体的に戦力が足りないね……」


 ウンディーネに手伝ってもらうって手はあるけど……どうだろう。

 クレティアスはウンディーネを倒す手段を持ってるから、あまり近づけたくないんだよね。


 それに、


「肝心のイムソダをなんとかする手段がないんだよね」


 私はそう言ってため息をついた。

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