58 親の顔を見たいっていうけど、そんなの見たい?
ロフト領主、ロフト伯ヘルマンは上機嫌だった。
こんな田舎にはいられないと言ってた飛び出していったドラ息子を呼び出し、ディナーをもてなしたくなるくらいには。
「おひさしぶりです、父上」
むっつりとした顔でそう言ったのは、金髪碧眼の美青年だ。
もっとも、ミナトやダンジョン攻略中の冒険者がその顔を見たら、反射的に「げっ」と言っていただろう。
クレーマー騎士こと、特派騎士クレティアス・アビージ・ジルテメア。
もとはロフト伯の嫡男だったが、田舎の家を継ぐのがいやさに仕官し、近衛騎士となってジルテメア男爵に封じられた。
主家とは独立した貴族家をかまえたわけだが、領地はまだ持っていない。国からの給金を頼りに暮さねばならないことを、自立心の
そのような息子の心理は、父親であるロフト伯には手に取るようにわかった。
だから、こうして呼びつけたのだ。
「して、本日はどのようなご用向きでしょうか。いま私は、国難を救うべく、ダンジョンの攻略に忙しいのですが」
つけつけとした息子のもの言いにも、今日だけは寛容になれる。
ロフト伯は、笑みを崩さぬままで、
「――あれを持て」
と、執事に言いつける。
執事は、準備してあったものを運んできた。
銀盆に乗せられ、その上には見るものを焦らすように、銀の丸い蓋がかぶせられている。
「息子よ、なんだと思う?」
「さて⋯⋯わかりかねます、
美青年は冷たく答えた。
だが、表情に反して、視線は蓋に向けられている。
ロフト伯は、たっぷりもったいをつけてから言った。
「開けよ」
「ははっ」
執事が銀の蓋を取り除けた。
銀盆の上には、紫色の得体の知れない塊があった。
クレティアスが、眉をひそめて言った。
「⋯⋯この薄気味悪いものがどうしたというのです?」
「ほう! 薄気味悪いときたか。
だが、自分が探しておるものの正体くらいは把握しておくべきではないかな、ジルテメア男爵」
「私が探しているもの、だと?」
「さよう。これこそが、おまえが喉から手が出るほどほしがっておる、コカトリスの
ロフト伯の言葉に、クレティアスが固まった。
「まさか⋯⋯」
「名前からして、鳥のくちばしのようなものを想像しておったのだろう? わしもまさかと思ったのだが、口のかたい専門家に鑑定させたところ、まちがいなくコカトリスの
銀盆からコカトリスの
「ど、どこでこれを?」
「今朝、冒険者崩れの酔いどれ男が、コカトリスの
兵は相手にしなかったが、あまりにしつこいので、その男をぶん殴り、ブツを取り上げて上に報告を入れたというわけだ。
与太話も大概にしろと思ったのだが、念のために調べさせてみると⋯⋯」
「本物だったと。しかしなぜそんな男が?」
「男を捕まえて締め上げたところ、石化熱をわずらうその男の娘が、流れの冒険者から恵まれたものだと白状した。男は元冒険者だから、それが本物のコカトリスの
「もらった? それこそ、与太話でしょう。冒険者なら、コカトリスの
「わしもそう思って問い詰めたのだが、どうも事実らしい。奇特な冒険者もいたものだ」
「私には信じられませんがね。王子様をさしおいて、下賎な娘に、かようにも貴重なアイテムをタダで渡すなど」
「ふん。わしも同感だが、そこの真偽はどうでもよい。
ここにコカトリスの
ロフト伯はにやりと笑った。
「わしがこれを陛下に差し出せば、覚えもめでたくなるだろうな。陛下は、王子殿下をことのほか可愛がっておいでだ。
侯爵位を賜り、王都の近くに転封されるのも夢ではなかろう」
「⋯⋯そうですな」
しぶしぶといった様子で、クレティアスが認めた。
「残念だったなぁ、ジルテメア男爵。
コカトリスの
わしに頭を下げるのであれば、他人ではないのだ、新たにもらった領地から、小さな村でも見繕って分封してやってもよいぞ」
なぶるようなロフト伯の言葉に、クレティアスの顔が怒りで真っ赤に染まった。
「今回のことは思わぬ幸運であった。間抜けな冒険者もいたものだ。下民を憐れんだ冒険者も、石化熱の娘から
だが、こんな間抜けどもを相手にするのもおしまいだ。わしは王都のそばに転封され、粗暴な冒険者どもと関わる機会もなくなるだろう。
まったく、笑いが止まらぬよ」
銀盆からコカトリスの
「で、どうする、ジルテメア男爵よ。素直にわしに降らぬか? もっとも、いまさら嫡男に戻せというのは聞けぬ話だ。イザベラとのあいだに生まれたボレアリスはいい子だよ」
クレティアスは答えない。
唇を噛みしめ、必死に頭を巡らせている。
(なんとかこの
最初に頭に浮かんだのはそのことだった。
だが、ロフト伯は馬鹿ではない。
この部屋の周囲には既に兵を配置している。
クレティアスは剣の腕に覚えがあるが、さすがに多勢に無勢だった。
それがわかっているからこそ、ロフト伯はこうして、裏切った元嫡男にいやがらせをしているのだ。
だが、ロフト伯にも計算違いはあった。
クレーマー騎士クレティアスは、父親が想定している以上に短気で、衝動的だった。
なまじ美男子だけにプライドも高い。
そのプライドを失うくらいなら、いっそのこと――
クレティアスは、抜く手も見せず、腰に下げた剣を抜き放つ。
その一瞬後には、剣はロフト伯の手のひらの上で止まっていた。
手のひらの皮まで、髪の毛一本分くらいの距離しかない。
しかし、クレティアスが斬ろうとしたのは、ロフト伯ではなかった。
その手のひらの上にあったものだ。
「なっ⋯⋯なんということを!」
ロフト伯が、顔面を蒼白にした。
その手のひらの上では、コカトリスの
「おまえは近衛騎士だろう⁉︎ 王子様の命をなんと心得る!」
「ふん。下賎な酔っ払いの言葉を真に受けて、コカトリスの
「ふざけるなっ! 本物だと言っただろう! ああ、なんてことを! わしの叙爵が、転封が!」
「
だが、ご心配召されるな。王子様のお命を救うために、私が必ずコカトリスの
「くそっ! 帰れ! この恩知らずめ! 誰が貴様を育ててやったと思ってる!」
「もう私は男爵として独立した身。恩を着せられる覚えはありませんよ。では、忙しいので失礼します」
そう言って立ち去るクレティアスを、ロフト伯は地団駄を踏みながら見送るしかなかった。
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