?????? 振り返ればあのときヤれたかも。最後の舞台。
「ごめん早瀬」
逆光で表情が見えなかった。
声だけが耳に届いていた。
「先に行くよ」
屋上のフェンスを乗り越えて、風が吹き付ける場所に立つ。
「待って」
行かないで。
お願いだから一人にしないで。
「俺はもう疲れた」
そんなことを、言わないで。
「……生きて」
振り返って、柵から手を放す。
「……っ」
金縛りがとけたように、足が動いた。
もつれるように駆け寄っても、当然のように間に合わない。
ゆっくりゆっくり、地面に吸い込まれて行って。
落ちていく顔は、穏やかだった。
「ハル!」
嫌な音がかすかに聞こえた。
ざわめきが大きくなっていく。
「なんで……」
アスファルトに水滴が落ちていく。
誰かがそう遠くないうちにここへやってくるだろう。
それでも、どうでもよかった。
間に合わせの理由も、言い訳も、もう悩みながら作り、演じる理由が消えてしまったのだから。
「……振り返ればあのときヤれたかも」
泣くことを体が一旦停止した。
背後に人が立っている。
こうなることをわかっていたような。
上から見ていたような。
「……今度は早瀬が、やり直す?」
悪魔みたいなささやきに、胸が締め付けられた。
「……できるの?」
「振り返れば」
早瀬アキは、涙をぬぐった。
「あのとき」
口と瞳に力をこめて。
「変わるかも」
走馬灯を見たと思ったら、世界はまだ続いていた。けれど、目を開けると、すべては固まっていた。
「ぎりぎり、間に合ったか」
袖からは坂本が歩いている。
劇の進行をもう咎める者はいない。
「奥の手使わせちまって、悪いな」
下手では、藤原が無言で様子を見ていた。
「記憶、若干混線して一部は戻ったんじゃねえ?死ぬ思いをしたからさ」
「早瀬は何回もやり直したよ、劇団結成から27歳までをな。きっついよな。分岐が何パターンあるんだって話だし、ゲームみたいに登場人物が同じ行動をとってくれるわけでもない。攻略本もないし、記録しようにも物体は周回リセット。記憶するしかないんだよ」
「……それで、最後は」
「そんなのお前が分かってるだろ。大宮悠」
うすうす感づいてはいた。
そうでないと、ここに自分がいる意味はない。
「早瀬は失敗したんだよ。27歳の夏に、大宮悠が死ぬ未来から」
「……」
「相手が死ぬのを回避する未来はな、簡単だ。自分が死ぬんだ。そうすると、相手は死なない。ループも終わる。それを、最初にお前がやって、こいつもやって、ループがまだまだ終わってないっていうね」
「だから」
「ああ、別に非難する意図はない。それでも、そろそろガタがくるからね」
「……早瀬」
「うん、この話を聞いてもらうのも、相当な負担になるだろから、独断で、眠ってもらったよ」
「魂の摩耗が、そこまで来ているのか」
「そりゃあ、一万回も繰り返したらそうならないほうがおかしい。あと一回、タイムリープ、持つかどうかじゃない」
「……だから、大宮悠、今決めて。このまま二人して照明に押しつぶされた死ぬか、もう一度だけ戻って、やり直すか」
「……」
止まったままの早瀬を見た。
17歳。
このままここで死んだら、みんなの記憶に残るだろう。
そして生き続けることができるだろう。
けれど。
「……もう一度やり直すとしたら、それは」
「正真正銘最後のタイムリープ。そこからはもう戻れない。戻ったら最後、早瀬アキは消える」
「……」
「たとえ、どんなに望まない結果になったとしても、そのまま時間は進んでいく」
いつかは終わるのだ。
終わらせないといけない。
だけど僕たちが望んだのは、片方だけが生き残るんじゃなくて、二人で生きる世界線。
「振り返るのは」
坂本と、藤原がともに僕をみる。
最後にぎゅっと、早瀬の身体を抱きしめた。
「これで、もう最後」
すっかり擦り切れた千円札を、坂本が手にしていた。
「まいど」
最後の千円札。あの夏の日、早瀬から渡された三枚のうち最後の一枚。
「……終わらせてあげて」
藤原が精いっぱいの笑顔を見せる。
「お前が俺を忘れても、俺がお前を覚えてるよ」
「さよなら、アキ」
空中の照明が震えている。腕の中の早瀬がみじろぎをした。
「藤原、もう」
「お別れの時間ね」
水を向けられた西川は、ペットボトルを振っていた。炭酸ジュース。舞台で動いている人数分。
「劇団ふりかも、フィナーレだ」
放り投げられたペットボトルを、僕も、藤原も受け取った。
ぷしゅりと空気が抜ける。
「振り返ればあのとき、ヤれたかも」
景気のいい音と一緒に、ぽこぽこと甘い液体があふれ出す。
照明が落ちる。
手についた甘い匂い。がしゃんという音。
真っ暗な視界。
どこか遠くで、悲鳴が聞こえる。
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