2008/5/9 16:05

 吹奏楽部のパート練習でわんわんうるさい校内を、罪悪感から逃げたいがためにひた走った。

 階段をかけ降りて、一階まで降りていく。

 足の裏側を跳ね返す校舎の廊下の弾力性も、感覚を取り戻してしまった。

「大宮!」

 引き留める声が上から降ってきた。見上げると、制服姿の西川だ。

 階段で蹴躓く。

 半ば不本意に、僕は止まった。

 痛む膝小僧。ゆっくり歩いて追い付いて、手を差しのべてくれる。

 西川はそういうやつだった。

 無言で手をとり、立ち上がる。

 がつんと衝撃が身体を駆け巡った。

 ぶん殴られたと遅れて知った

「……あんな言い方はないだろ」

 目も口も笑っていなかった。

 そこには隠しきれない本気の怒りがあった。

「大宮のやりたいことは分かる。最終目的には賛同する。それでも、途中経過をないがしろにするのは、やっぱり違うと思う」

「おまえは、目の前でアレを見てないからっ……!」

 撥ね飛ばされて宙を舞ったり、血の海に沈んだ早瀬を見ていないから。

 そんなことが、言えるんだ。

「俺は確かに、決定的瞬間を見ちゃあいないけど」

 座り込んだ僕の隣にしゃがみこむ。

「今の大宮も見てられない」

 温くなった炭酸ジュースが額に当てられる。

「レールから外れないように必死になって、少しでもずれると全力で修正して、間違うとこの世の終わりみたいな目をしてた」

 確かに、僕は生活を綿密に管理していた。

 大きなことは覚えているからその通りに。

 いつ誰と帰ったかとか、休憩時間の過ごし方とか、受け答えとか、そういったことは再現できるだけ。

「……ルカの連続殺人って知ってる?」

「知ってるもなにも……西川が昔教えてくれたよ。悪逆非道の連続殺人事件」

 唐突な転換に戸惑いつつも、知っていることを答える。

 世界各国の事件を集めたまとめサイトを、高校時代の友人はよく見ては教えてくれたものだった。

 そのなかでも。ルカの連続殺人事件は衝撃さもあってずっと記憶に残り続けていた。



 切り裂きジャックの再来と言われた惨殺事件が多発。

 事態を見かねた善意の者たちがシェルターを作り上げた。

 貧しい者達は次々にシェルターへ入居したが、そこでも悲劇は続く。

 通称ルカの家と呼ばれた施設が焼け焦げ、入居者たちが死亡した。不幸な事故、または悪質な放火と思われたが、勇気ある入居者、クリスティーヌが告発し、犯人はルカの家の所長だと発覚する。

 かくして連続殺人は終焉を迎えた。


「クリスティーヌのきっかけ、覚えてる?」

「あれだろ……シルヴィアっていう、縁を切ってた家族を頼って、その助言で告発したんだよな」

「……良かった」

「?」

「その理解をしていたのが、俺だけじゃなくてよかった」

「……どういう」

「とりあえず、来て」

 意味がない行動をする奴じゃない。

 無理矢理引っ張られたのは、図書室だ。

 スタンバイ状態になっていたデスクトップパソコンは、何世代か前のOSが入っている。

「ほら、これ」

 すぐに呼び出したまとめサイトには、ルカの連続殺人が表示された。

「…………おかしくねえ?」

「思うよね」

 ディスプレイには、解決に至った経緯が書かれていた。


 クリスティーヌは亡き兄弟シルヴィアの分まで生きねばならぬという思いから、勇気を振り絞って行動した。


「シルヴィアが、死んでる?」

「俺が最初に見たときは、確かにシルヴィアは、生きてた」

「まとめサイトが改竄された可能性は?」

「いくつか当たった。あと、本でも調べたよ」

「…………」

 嫌な予感がする。

「全部、シルヴィアは死んでいた」

 世界線が狂っているのか。

 自分がタイムスリップしたからなのか。

「……ときどきこういう感覚になるんだ。揺らぎっていうのかな。確証は持てない。でも、感じてしまう違和感。大宮がタイムスリップする前から、不定期で感じてた」

 これは西川が好きなサイトを何回も見るから気づいたことだ。

「大きなことはみんな分かる。大きい戦争とか。でもこれくらいの規模なら、もしかしたら、いまだって改変され続けてるのかもしれない」

「バタフライエフェクトで?」

「そう。だから、大宮も、やりたいようにやればいいと思う」

「……そう、か」

「だからとりあえず早瀬に謝れ。それで」

 パソコンがシャットダウンされる。

「俺も、やりたいようにやる」







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