2008/4/24 12:25
痴漢注意!
通学路には古ぼけた立て看板が打ち捨てられていた。
空広高校は、農地のど真ん中に建っている。
人通りは通学ピークを過ぎてしまうとほとんどない。
だから、部活で遅くなった生徒は、できる限りは連れだって帰る。
運悪く一人になってしまったら、中心街までは足早に。
多くは自転車通学だから、爆速で。
早瀬のような、電車通学は、あまりいなかった。
通り魔なんて、刺されるなんて、そんな事件は空広近辺では起きなかったのに。
背中がぐっしょり濡れていた。
寝汗がやばい。
がばりと跳ね起きる。
いつか見たパネル、保健室。
嫌な予感がしてズボンのポケットをまさぐる。
黒いガラケー。サイドのボタンを押すと、ディスプレイに現在時刻がぱっと光った。
2008/4/24 12:25
また、戻ってた。
振り返ればあのときヤれたかも、結成の日に。
「大宮くん、起きた~?」
しゃっとカーテンをひいたのは、養護教諭だった。
「大丈夫そうなら教室戻ろうか?おなかすいたでしょ?」
これもこの前と全く同じ。さっきまで飲んでいたはずのサイダーも腹には残っていなかった。
覚えているのは血の匂い、広がっていく赤色と、手のひらに残る早瀬の温度。
「……戻り、ます」
食欲なんてないに等しい。
それでも食堂に行かないと、あの言葉を聞くことができない。
挨拶もそこそこに、保健室を出て、駆け足で廊下を進んだ。
迷路みたいな、わかっているのに、校舎に閉じ込められたみたいで。
抜け出すにはどうしたらいい。
「あ、大宮、もう大丈――」
「西川!」
心配して様子を見に来たのだろうか。
信頼できる友達を見つけて、思わず泣きそうになってしまった。
様子がおかしいと思ったからか、西川は立ち止まって、息を整えるのを待ってくれていた。
「西川、落ち着いて聞いてくれ」
「え、うん、なに?」
「今から食堂行く。それで、坂本が「振り返ればあのときヤれたかも」っていう」
「ちょっと、よくわからないよ」
「当たってたら、信じてほしい、俺のことを、助けてほしい」
まっすぐに見た目は、どことなく泳いでいた。
逆の立場だったら、僕は逃げ出す。
いきなり友達が訳のわからないことを言い出すんだから。
「……時間がない、食堂に行こう」
「……まあ、早めにいかないと、混む、もんね」
言葉少なに廊下を歩いた。
理解が追い付かないだろうけれど、拒絶ではない、ぎりぎりの距離。
食堂へ向かう、渡り廊下。
にぎやかな女子の声、ただようラーメンの匂い。
大きくなっていくざわめき。
心音が大きくなっていく。
食堂前の自動販売機、人だかり。
「……でさあ、俺思うんだよね」
よくとおる坂本の声。男子グループがこちらへと向かってくる。
紙パックのジュースを買いに来ていた、藤原三郷と早瀬アキ。
何も知らずに、笑って話して。
「振り返ればあのときヤれたかもって」
僕は振り返った。
坂本と目があった。
早瀬は、聞こえていなかったのか、こちらを見なかった。
「ねえ大宮」
「ん?」
ラーメンをすする。
太めの麺で、しょうゆ味。
明るい室内。
音楽もなくても途切れることはない雑音。
「未来から来たってことでいいの?」
「うん」
「すごいあっさり言うね」
ぬるい番茶を、一気飲み。
それほど動揺しなかった友達を、僕は素直にありがたいと思った。
「じゃあ次の小テストの答え教えてよ」
「覚えてない。明日の俺がここにいるわけじゃないし」
「見た目が高校生でも、中身は違うって?」
「そういうこと」
音にならない細いため息が、西川の脳内を表しているようだった。
「……さっきの坂本の問題発言で、信じることは信じるけど、なにを助けたらいい?元の時代に戻るまでの学校生活アシスタント?」
「それもうれしいけど、正直よくわからない」
「……わからないって?」
「きっかけが、とある人の死で。たぶんその人を死なせないために、タイムスリップしたんだと思う」
ことりと箸がどんぶりに置かれた。
「……死なせないため、か。大宮は過去を変えることで、未来を変えたいんだね」
「うん」
「バタフライエフェクトって知ってる?」
「いや、知らない」
「蝶のはばたきが、遠いところでハリケーンを引き起こす、とか、そういうやつなんだけどね、平たく言うと、今この選択が、遠いところでなにかの引き金になる」
「このラーメン食べてても?」
「うん。未来からきた大宮が、学食で明日もラーメン食べるとする。タイムスリップする前の大宮は天津飯食べてたとするよね。そしたらラーメンの食数がその分減るわけだ。するとどうなる?」
「本当だったら食べられた人が食べられなくなって、若干のずれが出てくる」
「そういうこと。些細なことだと思っても、大きくなって未来に波及する。それでもいいっていう?」
僕みたいな、ただの平凡な人間の、そんな重要度の低い選択がどうにかこうにかなる確率はどのくらいなんだろう。
「正直俺は人間だから、よくわからない。ただ、過去のすべてを覚えていられるわけじゃないから、完全になぞることができない。それでも俺は」
答えなんて決まっていた。
「早瀬が死ぬ未来を変えたい」
ポーカーフェイスを貫いていた友人は、ふっと目元の力を抜いた。
「変わらないね、大宮は」
かちりと、どこかの時計が針を進めた音が聞こえた気がした。
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