第6話 魔族の少女と書いて、ゴリラガールと読む(読まない)


「いや、さっきはとんだ失礼を。目が覚めたら見知らぬ人が居ると思って、つい」

「ついで踵落としするか、普通……!?」

「ごめん」

  

 少女は平坦な声で頭を押さえて蹲るローランに謝罪する。いまいち謝られてる感が無いのは、彼女の表情の変化が乏しいからか。首から下げた防護のロザリオに、一早く痛みも遮断する付加を加えなければと内心で決意すると、少女はこぶが出来たローランの頭を優しく撫でた。


「ん、痛そう。腫れ上がってるね」

「いや、誰のせいでそうなったと……」

「《快生かいせい》」


 白く小さな手から、翠緑に輝く暖かな光が漏れる。それが初歩的な回復魔術、《快生》である事に気が付いたのは、頭の痛みが晴れと同時に引いてからだ。

 

「もう痛くない?」

「お、おう……それは大丈夫なんだけど……」

「ん。なら良かった」


 考えが読みにくいアイスブルーの瞳が顔の至近距離に映り、思わずローランは顔を背ける。今となっては忌々しい記憶だが、彼自身かつては美少女の彼女持ちで周囲の男に羨ましがられていたほどの現実が充実していた時期がある。

 今更女と手を繋ぐ、顔が近づくくらいで動揺するような柔な貞操観念はしていないと思っていたが、まさに人外と言ってもいい絶世の美貌を前にしては、思わず羞恥が先走ってしまう。


(あれ……? そういえば、今こいつ……詠唱も魔法陣の展開もしてなかったような……?)


 魔術の発動には気道の為の術式である詠唱か魔法陣の展開が必要不可欠。それを省くことが出来るのは、いわゆる勇者の神器を筆頭とする、魔術式省略ように調整された魔道具を装備している時くらいなものなのだが、今彼女は生身で魔術の発動に必要な過程を省いたように見える。


(服の下に装備してるとか、体の中に埋め込んでいるとか? ……まぁいいか)


 そう考えれば辻褄は会う。特に気にする事でもないだろうと、改めて少女の方に向き直ると、未だ名も知らぬ彼女は首を傾げながらローランをじっと見据えていた。


「…………」

(え~っと……こういう時、どうすればいいんだ?)


 約一部を除いで全体的にどこか幼い雰囲気を醸し出す少女は、吹けば行く当てもなく何処かへフラフラと彷徨ってしまいそうな、何もしなければこの場所でただボーっと座っていそうな、そんな世間知らずな子供のような印象を受けた。


 ――――ローランよ。いずれ成人になった時は、まず挨拶が基本だぞ。

(はっ!? そ、その声は親父!?)

  

 正直、同リアクションすればいいか分からず悩んでいると、父が生前に言っていた言葉が脳裏をよぎる。これまでの事態、この状況を見て見ぬふりをしてその場から去ることが出来る胆力が無い以上、まずは相互理解からだろう。


 ――――もっとも、俺はその辺り苦手で全部母さんに押し付けてたがな。

(全然ダメじゃねぇか!!)


 余計なことも思い出した。しかし誰が何と言おうと、相互理解が必要なのだ。


「えーっとぉ……俺はシャルバーツ道具店……いや、これはまだ建ててないから、道具屋志望のローラン。ここには鉱石の採取に来たんだけど……お前は……?」


 警戒を出来るだけ解くために、名前と立場、ここに来た目的を手短に話す。今はボロボロとはいえ、着ている服が元は立派なドレスで会ったことを察すると、貴族令嬢よろしく「下々に名乗る名前はありませんわっ!」みたいな感じで、何も答えてくれない可能性も考慮していたのだが、そんなローランの偏見に満ちた予想を裏切り、少女は少し間を開けてから答えた。


「…………アイリス。……一応これでも」


 悩むような声色の後に、意を決したかのように頷くと、メキリという生々しい音が鳴る。背中が開かれたデザインとなっているボロボロのドレス、露出した白い肌から竜のそれにも似た皮膜の翼が生えた。


「これでも魔族」

「ぶっふぉおっ!?」


 皮膜の翼を持つ人型は、人間の天敵である魔族の証。人間からすれば遥か昔から……ローランがつい二年近く前まで勇者と共に戦ってきた敵対種族の登場に思わず噴出する。


「別に取って食べる気はないから安心して良いよ。封印から解いてくれた恩人だし」

「いや、安心して良いよってお前……!」


 むしろなぜ彼女……アイリスはそんなに敵意が無いのか聞きたい。ローランは咳き込む自分の背中を擦るアイリスを涙目で見つめながら息を整える。


「…………やっぱり、魔族は嫌い? ローラン人間だもんね」

「げほっ! げほげほっ! あぁ? 別に、魔族がどうとかってわけじゃねぇけど?」


 やや表情に陰を落としたように見えるアイリスの言葉に、ローランが何でもないように答えると、彼女はジッと道具屋の目を見つめた。まるで真偽を見極めるかのように。

 しかし、別に嘘を吐いていなければ、吐く理由も無いローランは何一つ後ろめたい想いもなく告げる。


「ぶっちゃけさ、俺も色々あってつい二年近く前まで魔族と戦う手伝いみたいなのしてたけど、それはあくまで立場の問題だったし、魔族そのものに思うところは何もないんだよ。どっちの種族も皆そういう奴ばっかりってわけじゃないけど、人間は魔族を略奪種族だなんてよく知りもせずに言う割には、人間だって同じことする奴は腐るほどいるし」


 ケッと吐き捨てるように告げるローラン。その脳裏には、恋人がいると分かっていながら寝取ったアレンと、勇者という魅力的な肩書にホイホイつられてローランを捨てたアリーシャの姿があった。

 それに、別に勇者や聖女の事が無くても、ローランは人間と魔族の敵対についてはアホらしいと感じた事しかない。幾星霜も昔、一体何があって今日まで戦いを繰り広げているのかは知らないが、そんな事に労力と命を使い捨てるくらいなら、もっと生活を豊かにするために努力するべきことがあるだろうと、ローランは一人の道具屋として考えている。

 どっちもどっちだ。違いがあるのは種族的な価値観。言葉も通じれば翼と寿命、先天的な素質以外は肉体的には人間と何ら変わらない。幾度か相対した魔族の中には人間が言うような残虐な者も居たが、中には愛する者の為に決して敵わぬと知りながら勇者に立ち向かった魔族もいた。


(そういえば……その時からなんだよな。勇者に……アリーシャやファナと距離を感じたのは)


 二人がその高潔な魔族の攻撃によって危険に晒されたところを颯爽と助け、聖鎧の力で圧倒した勇者。地に伏せる遺体の頭を踏み躙りながら、哄笑を上げるアレンに熱の籠った眼差しを向ける彼女たちを見て、心も価値観も離れているのだと自覚したのだ。

 それまで魔族と特に関わりも持たなかったローランからすれば、見たくもなかった意外な一面である。魔族をワザと甚振るような人間だっているのだ。どっちの方が悪いとか、そういう次元の話ではないだろう。


「それに、敵国なんて出来たらその分流通とか商売とかに規制が入るじゃねぇか。俺の金稼ぎの手口が減るからマジ止めろって感じだ」

「……ん。そっか……うん、そっか」


 全ての考えを包み隠さず告げたローランの言葉を、何度も何度も噛み締めるように頷くアイリス。まるで尊いまでに大切な何かを、胸の奥にしまい込むかのように。


「そういえば、お前何でこんな辺鄙なとこに居たの? しかも封印された状態で」

「んー……あー………………」


 首を傾げて、こめかみに指を当てたり、顎に人差し指を添えたりする様子は言い難そう……というよりも、まるで小骨が引っ掛かったかのような、記憶を探っているかのように見えて、それが的中だということを知ることとなる。


「ごめん。最後は戦勝祝いで浴びるほどお酒飲んだ後からの記憶が無い」

「こ、こいつ……! 酔っぱらってる間に封印されてやがる……!」


 人間であれ魔族であれ魔物であれ、強大な存在を封印という手段で無力化するのは戦略としては一般的だ。彼女が魔族であるという以外の経歴を知らないローランでも、アイリスが実に頭の悪い経緯で封印されたということが何となく予想がついた。

 ……そして、彼女が封印しなければ手が付けられないような強大な魔族であるということも。


「そういうローランは? 道具屋だって言ってるけど、何でこんな古い遺跡に居るの?」

「魔道具の素材取りに来てたんだよ。ほらここの壁、アメシスト鉱床だからさ」


 そう答えて、ローランは本題を思い出す。成り行きで話し込んでしまったが、ローランはあくまで生体魔道具を生み出すためにここまでやってきたのだ。用の済んだところに何時までも居座る趣味はない。


「さて、用事もあるし俺はそろそろ帰るわ。お互い難しい立場の種族だけど、縁があったらシャルバーツ道具店の魔道具を買いに来てくれよ」


 アイリスの美貌を見て、このまま別れるのは勿体ない気がしたが、ローランには店を大きくするという野望がある。時は金なり、善は急げ、売り出す商品には使用する時期・・・・・・がある事を鑑みれば、いつまでも余計なことに手を煩わせるわけにはいかない。

 そう考えて背中を翻したローランの上着の裾を、アイリスの白魚のような指がキュッとつまむ。


「待って、ローラン。わたしも一緒に付いて行ったら駄目?」

「え!? お前が?」

「ん。翼さえ隠しちゃえば魔族だってバレないし」


 確かに付いて行くこと自体は問題にならないだろう。強いて言えば、その目立ちすぎる美貌に、男が花に吸い寄せられる虫のように群がってきそうなことくらいだが、それでもアイリスがそうする理由が分からない。

  

「いや、まぁ、人手は多いに越したことはないし……従業員になって守秘義務守ってくれるなら助かるけども、そっちは大丈夫なのか? 言っとくけど、纏まった稼ぎが無いうちはまともに給料払えないぞ?」

「平気。封印から解いてもらった恩も返したいし。踵落としのお詫びもしたいし」

「……正直、俺が何かしたっていう自覚はまるでないんだけどな」


 ちょっと岩を削っただけである。それを伝えても、アイリスは「気にすることはない」と意思を変えようとしない。


「それに……このまま戻るのも勿体ない。いつかは家にちゃんと戻るけど、それは今じゃなくても良いし」


 その言い方に少し疑問を感じながらも、ローランは最後の意思確認をする。


「……本当に大丈夫なのか? 親御さん心配するんじゃねぇの?」

「ローランは心配性……でも確かにその通りだね。手紙くらいは出そうかな」


 どうやら本当に意思は固い様子。しかしローランも人が増えて助かるのは事実。ならばここは素直に受け入れるのが得策だろう。


「よーし、分かった! ならお前も、今日からシャルバーツ道具店(仮)の従業員だ! とりあえず守秘義務守ってもらうために契約書類ギアスロールの一つや二つ書いてもらうけど、そこらへんは勘弁しろよ」

「ん。らじゃ」


 了解を意味する軍事用語を軽快に略しながら、似合わない敬礼をするアイリス。彼女にどんな役を振るのかはまだ定まっていないが、今は素材集めをする必要があるローランにとって、彼女の雇用は渡りに船だ。

 魔を司る種族を略して魔族と呼ばれるほど、膨大な魔力を生まれながらに宿す彼らは戦闘種族でもある。単身でも危険な場所まで行かなければならないローランには、アイリスは護衛に相応しい働きをしてくれるだろう。先ほどサラリと戦勝祝いと言っていたし、封印されるほどの魔族なら戦闘力が高いことは明白だ。


「一応確認なんだけど、アイリスって戦えるよな……?」

「見縊ってもらったら困る」


 フンスと鼻息を吐いて、アイリスはその豊かに揺れる胸を張ると、床に敷かれた一抱えもある石のブロックに指を突き刺して引きずり出す。思わず瞠目するローランを気にせず、アイリスはブロックを両手で挟み込んだ。


「わたしこう見えて結構力持ち」


 そして大きな石ブロックが木っ端微塵に粉砕される。どうやら先ほどの踵落としも、途中から相当手加減したらしい。サラサラと砂と小石の山と化したブロックの残骸を見て、この女だけは怒らせまいとローランは全身から冷や汗を流しながら固く誓った。

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