20
初秋の風が、緩やかに肌をなぞる。どれくらいの時間が経っただろうか。気付けば、さっきから続いていた泣き声は止まっていた。
「ごめん......ごめん、ね......」
ただ......譫言のように続く謝罪の言葉は、まだ止まっていない。声の主である僕の幼馴染は、未だに僕の肩に顔を埋めたまんまだった。
「ねぇ、空」
感情を刺激しないよう、出来るだけ優しい口調で語りかける。空の肩が、微かに跳ね上がった。返事は、こない。
「良かったよ」
「え......?」
空が、漸く顔を上げる。涙で真っ赤に腫れた目が、僕の方を向く。
「無事で良かった。もし、さっき間に合わなかったとしたら......多分僕は、一生後悔してだと思う。本当に、無事で良かった」
「でも。私のせいで、昴まで」
「危ない目に遭った、って?あんまりこういう言い方はしたく無いけど......僕があそこで動いてなかったら、今みたいに二人とも無事なんて状況はあり得なかったと思う」
「......あの時昴が来なかったら。危ない目に遭うのは、私だけで済んだ」
一瞬、言葉の意味が理解できなかった。遅れて、
「空。......冗談でも、そんな事は言うな」
「だって!私はーーっ」
「やめろよ!」
やばい――。そう思った時には、既に怒鳴り声が勝手に口から出ていた。慌てて空の方を見ると、表情には明らかな怯えが見えて取れる。感情を刺激しないようにってさっき自分で気をつけたばかりなのに、何をやっているんだ、僕は......っ。
「ご、ごめんっ!」
「......ううん、大丈夫」
急いで頭を落ち着かせる。こういう時は、感情的になるのが一番ダメだ。冷静になって、その上で、自分の思う事を包み隠さずにはっきりと空に伝えなきゃダメだ。
「......でも。そんな......自分を軽んじるような事を言うのは、もうやめて欲しい。天音先輩も、葉村君も、南さんも、永沢先生も、クラスのみんなも、おばさんも、おじさんも......空がいなくなったら、悲しむ人は沢山いる。同じように、空がいるだけで、喜ぶ人は沢山いる。自分を軽んじるのは、その人達の......自分の事を好きでいてくれる人達の恩を裏切る事と、同じだと思う」
言葉を、止めない。まだまだ言いたいことは残っている。
「僕だって。中学は違ったけど、それでもずっと......10年以上、一緒に居たんだ。空が居なくなったら悲しいし、空と一緒に居られるのは嬉しい。空が居なくなりそうになったら、体が勝手に動いて命懸けでそれを阻止しようとする位には......そう思ってる」
言いたい事は、多分全部言えたはずだ。言葉を止める。空は......さっきまでとは違って、驚いたような顔で僕を見ていた。
「そっか。昴らしい、ね」
そして......さっきまでの表情からは考えられないような柔和な笑顔を浮かべて、小さく呟く。
「僕らしい......って、どういう事?」
「少し説教臭い所とか、無駄に生真面目な所とか、微妙に冗長な所とか」
「ねぇ。僕の事馬鹿にしてない?」
「......そんな事、無いよ」
そう言って、空はそのままベンチから立ち上がる。涙の跡が残るその顔は、公園に入る前よりかは幾分か晴れ上がっていた。
「空。......もう、大丈夫?」
「うん。ごめんね、時間取らせちゃって」
「そのごめんは、僕じゃなくて一年生の2人に言った方が良いよ。相当待たせちゃってるし、早く買い出し行っちゃおう」
僕もベンチから立ち上がる。スマホを覗くと、葉村君からのメッセージが一件。
「一年生から連絡、来てた?」
「『折角の制服デートが楽しいのは分かるんすけど、そろそろ自重しろください。拗ねて帰りますよ?』......って、葉村君が」
本当は、デートなんて甘々な出来事とは程遠い状況だったんだけど......。取り敢えず、時間がかかりそうな旨だけ伝えておいて部室に戻ったら事情を説明して謝っておこう。そんな事を考えていたら、ふと手に柔らかい感触。気になってその元を辿ってみたら......空が、僕の手を握っていた。
「どうしたの」
「さっきみたいな事が起こるといけないし」
「いや、でも」
「いいじゃん。昔はよく手繋いでたし」
「確かにそうだけど」
「なら問題無い」
どうやら、何故か譲る気は無いらしい。......ま、この位で空の気持ちが晴れるのなら安いもんだろう。恥ずかしいけど。
「分かったよ」
「やったっ」
空が、向日葵のような笑顔を浮かべる。その表情は、さっきまでの空からは考えられないくらい晴れ渡っていて。思わず、僕も笑顔になる。
「行こっか。そろそろ本当に葉村君が帰りかねない」
「ん。そうだね」
そう言って、手を繋いだまま公園を出て僕達は歩き始めた。30cm......いつもの1mと比べておよそ三分の一程度になった空との距離と、手から伝わる感触に、鼓動を高鳴る。隣を見ると、心なしか空の顏も赤くなっている気がして......それを見て、更に胸の鼓動が高鳴る自分がいて。それが何とも気恥ずかしくて、買い物の途中も事務的なやり取りをする時以外、僕達はずっと無言だった。手は、ずっと繋いだままだったけれど。
......その後部室に戻った瞬間に、痺れを切らして帰り支度を始めていた葉村君とそれを止めようとしていた南さんから、罵倒とからかいと追及の嵐が飛んできたりしたのは、言うまでもない。
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