19

「なんか、不思議な気分。制服でこの時間に外を歩くなんて」


「部活ある日はこれより遅いし、無い日は逆に早いからね。......言われてみれば、珍しいかも」


 尤も、今は部活の最中なんだけど。文化祭へ向けての準備を始めて一週間。漸く細かい算段も付きつつあったので、去年の経験もある僕と空で買い出しに出ている。既に、学校で外出の許可は貰った。


「にしても懐かしいなぁ。去年は余りにも人手が足りなくって、三人全員で買い出しに出かけてたっけ」


「......寄り道して遊ぼうとしてた天音先輩を、全力で昴と一緒に止めてた」


「あぁ、うん。そんな事もあったね......」


 ちょっと目離すとすぐどっか行こうとしてたし。天音先輩、なんだかんだで普段は先輩っぽいけど時たま精神年齢が小学生レベルまで逆戻りするからな......。


 そんな事を思い出しつつ、少しノスタルジックな気分に浸りながら歩いていると、ふとある事に気付く。たまにだけど、道行く人――主に男性が、すれ違いざまに空の方を見ている。そして僕の方を見て、一瞬だけ怪訝そうな顔をして去っていくのだ。


 そう言えば、部活帰りの時に通る道と違って今通ってる道は結構人通り多かったっけ......。心の中で、密かに溜息を吐く。中学三年間まるで会う事の無かった幼馴染は、僕の知らないその三年間で大きく女性としての魅力を伸ばしていて(正直、再会したときはびっくりした)。贔屓無しに見積もっても並ではないその美貌に、道行く男性が心惹かれるのも......明らかにレベルの釣り合っていない隣の男に懐疑の念を抱くのも、当然なわけで。高校で再会した直後は、そんな道行く人の態度にモヤモヤした思いを抱える事も少なくなかった。今では流石にもう慣れたけど。


 ただ、慣れると言っても。心の中に浮かび上がるモヤモヤした気持ちが消えるのかと言われたら、そういう訳ではなく。思わず、隣を歩く幼馴染の方を見て......足を止める。


「あれ?どこ行ったんだ、空」


 隣を見ても空がいない。さっきまで居たはずだし、何なら話してたんだけど。辺りを見回す。すると前方に、案外あっさりと見慣れた後姿が見つかった。どうやら、一人で色々考えている内に歩くのが遅れてしまったようだ。追いつかなきゃ、と少し歩調を速めようとした所で......違和感に気付く。空の周りに、不自然に人がいない。そのまま視線をずらすと、そこにあるのは赤く光った信号のランプ。そしてさらに視線をずらすと......1台の、車。


 気付けば、体が勝手に動いていた。周りの景色が高速で流れていく。道行く人にぶつかるのも無視して、僕は全速力で疾走する。頭の中が、白く塗り潰されていく。


「空ぁぁぁぁぁぁぁぁぁっっ!!!!」


 自分でも信じられないくらい、大声が出た。空が振り向く。耳障りなブレーキの音が、鼓膜を揺らす。あと1m。間に合え、間に合え――!。


 両腕を伸ばす。体に感じる、柔らかな感触。間に合った!そう思った直後、勢い余ってそのまま二人で倒れ込む。それと同時に、背後から強烈な風圧を感じた。


「っ!」


 右腕に鋭い痛みが走る。そう言えば倒れ込んだ時、結構強く地面に打ち付けた気がする。そうだ、空は――。そのまま腕の中にいる空を見ると、何が起きたのか分かっていないのか、呆然とした顔をしている。目立った外傷は......多分、無い。


「よかっ......た」


 全身が脱力する。間に合った。その事実を脳が認識し、心臓の鼓動が少しずつ収まっていく。ゆっくりと、空を抱きしめていた手を緩めていく。そこから立ち上がろうとしたけど......できない。無意識に、膝が、全身が震えている。あと少し遅れていたら、空は......紙一重で回避できたその未来が脳を過り、僕の心を恐怖で染め上げていく。収まったはずの動悸が、また始まる。


「君達!大丈夫か!」


 横断歩道の外の人だかりから、若い男性が一人抜け出してこちらに走ってくる。どうやら、暫く経っても立ち上がりすらしない僕達を心配してくれたのだろう。......何とか、震える足に鞭打って立ち上がる。


「僕は......僕は、大丈夫、です。彼女にも多分、怪我はありません。でも......」


 そう言って、未だに地面に倒れている空を見る。空は、未だに呆然として血の気の引いた顔をしている。それを見て、来てくれた若い男性も空が今どんな状況なのか理解したのだろう。僕と一緒に何とか空を立ち上がらせて、そのまま横断歩道の外に出るまで空に肩を貸してくれた。


「ありがとう、ございます」


「いや、無事に助かって何よりだ。......念の為、救急車呼んでおこうか?」


「......大丈夫、です。肩、貸して下さってありがとうございます」


 先程から無言だった空が、ようやく口を開けた。そのまま、貸してもらっていた腕から抜けて自力で立つ。どうやら本当に大丈夫なようだ。


「いや、でも。念の為病院とか言っておいた方がいいんじゃないか?それに君達、高校生だろ?高校に連絡とか」


「本当に、大丈夫です。......気遣ってくださって、ありがとうございます。ちゃんと、学校の方にも私達で連絡しておきますから」


「......そうかい。無理だけはしないようにね」


 彼はそのまま心配そうな顔で僕達の事を見つめていたが、しばらくすると僕達から離れて歩いていった。ふと周りを見ると、さっきまで横断歩道の周りにいた人が、僕達を一斉に見つめている事に気付く。......まぁ、あんなことすれば無理もないか。


「行こう」


 でも、その視線に晒されるのが、なんだかとても居た堪れなくなって。空の手を握って、僕達は横断歩道から立ち去った。




 そのまま、当てもなく歩き続ける。......さっきまで買い出しに行く予定だったはずの店への道からは、もうとっくに外れていた。そうして歩き続けると、小さな公園が見えた。一休みした方が良いな。そう思い、そのまま公園へと入り二人並んでベンチに腰掛ける。


 空は、しばらく無言だった。僕も話すべき言葉が見つからず、お互いの間には沈黙が流れていた。それを破ったのは......嗚咽交じりの、空の声だった。


「ちがう......ちがうの。ごめん......ごめん、ね......ごめん、なさいっ、ごめんなさいっ、すば、るっ......!」


 僕の肩にしがみついて、空が泣きじゃくる。人気のない公園に、静かに啜り泣く声が木霊する。空が泣き止むまでの間、僕は......まだ僅かに痛みの残る右腕で、空の頭を......土煙に汚れて、所々乱れている彼女の髪を撫でてやる事しか、できなかった。



 


 

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