13

 宿に戻った僕達は、すぐそのまま観測会の用意を始めた。普段通りの装備に加えて、手軽に食べれる軽食や虫刺され用のスプレー、ビニールシート、寝袋、などなど......。色々なものを用意したため結構時間はかかったものの、それでも19時前には一通りの用意が終わり、観測できる体制に入った。


「にしても......さっき居た場所にそのまんま戻ってくるなんて想定外だったんすけど、俺」


 僕達は今、さっきまで泳いでいた湖畔に向かって歩いている。ここからでも上を見れば、それはもうさぞかし綺麗な星空が見えるんだろうけど。それは、少しだけとっておく事にする。


「しかも寝袋まで完備ですか。本当に、起きれる限りは夜通しずっと見ているんですね」


「ま、いつもそうしてるからな。学校の屋上借りてるわけでもねーし、時間制限は無い。俺はお前らと違ってさっきはしゃいだりしてなかったし、全員が寝るまで見張っといてやるから安心しとけ。葉村とか瀬上とかが変な気出しても、ぶん殴って止めてやっから」


 永沢先生が笑いながら話す。そんなに信用無いのか、僕達は......。


「別にそんな事しないですから。......それにしても、今日もいい天気で良かったです。少なくとも天体観測には不自由しなさそうな位には」


「私達、運が良い」


 一応天気予報は晴れだったが、どんな時でも急に天気が崩れるという事は全然あり得る。特に、天体観測においてはちょっとした天気の変化も致命的だ。


「お、そろそろ湖畔じゃないっすか」


 葉村君が呟く。前を見ると、ライトの光に照らされる光景は昼に見た物と全く同じ。


 いよいよだ。言わなくても、全員がそう思っているはず。心なしか、歩く速度がどんどん速くなっていく気がした。






 湖畔に着いて、ビニールシートを敷き、寝袋を用意する。その後で、この前の観測会と同じようにカメラと望遠鏡を三脚に立てて固定する。舞台は......整った。


「さてと。準備はOKか?昴君」


「バッチリです」


 期待と興奮で、天音先輩の声は上擦っていた。僕達の間にも、同じ感情が流れる。


「では――天文部夏合宿、第1日目。観測会を決行します!」


 天音先輩が、高らかに告げる。それを聞いた僕達は、待ってましたと言わんばかりにビニールシートに座り込んで空を見上げた。


 ここの湖畔は周囲に遮蔽物が無い。だから見上げた空には......360°、一面の星。天に散らばる小さな光は、学校の屋上から見た時よりも数を増して、僕達の視界を埋め尽くしている。


 耳に入るのは、微かな夜風の音だけ。みんなの声は、聞こえない。僕達はその絶景を前にして......声を零すことすら、忘れていた。


「......った」


 永遠とも感じられるような......本当は、数分にも満たない静寂を破ったのは、譫言のような、でも気持ちの篭った小さな声。


「良かった。最後の夏にこの星空を見る事ができて、本当に良かった。本当に......果報者だ、私は」


「天音先輩......」


「人数だって、ギリギリだった。今年の春は、私と昴君と空君の3人しかいなくて。後2人勧誘しなきゃ、天文部は無くなる。......本当は、ずっと不安だったんだ。ゆきのんと葉村君が入ってくれた時は本当に安心したけど、合宿だって開けるかどうか分からなかったし」


 天音先輩が、吐き出すように言葉を綴る。やっぱりこの人は......僕達の誰よりも、天文部が好きなんだ。だからこそ、ここまで天文部の事を考えてくれていた訳で。


「そっか。良かったじゃねぇか天音。それは紛れもなく......3年間ずっと粘り続けた、お前の勝ちだ」


「珍しいですね、永沢先生が先生っぽい事言うの」


「せっかくの人の厚意を台無しにするな、阿呆」


 口調とは裏腹に、二人の顔には笑顔が浮かんでいる。天音先輩がここまで心を開いてる教師って多分永沢先生くらいだし、永沢先生ってなんだかんだで凄い人なのかもしれない。


「......良かったね、天音先輩」


「うん。あんなの見せられちゃったらさ、正直言ってあの人が抜けた後この部を引っ張っていけるかどうか非常に不安だよ僕は」


「大丈夫」


 言いながら、空が僕の手を握る。僕の手より一回り小さくて、柔らかい......女の子の感触が、伝わってくる。


「昴が何よりも星空の事が好きなの、私は知ってるから。長い付き合いだし、一応」


「......そっか。ありがと」


 天音先輩は、じきに天文部からいなくなる。多分、空も僕も......しばらくはヘコむ。最高学年や部員の不足というプレッシャーに押し潰される事もあるだろう。


 それでも。僕達は僕達のペースで、なんとか頑張っていけるはずだ。少しだけだけど、そう思った。


「なーんか、先輩達ばっか盛り上がって蚊帳の外感あるんすけど。ちぇっ」


「ふふっ。でも今の葉村君、不満そうな顔には見えないですよ?」


「......うっせぇ」


 1年に1度のレアなイベントなのに、僕達の口から出るのは普段の部活動よりも静かな、そして少ない話し声。でも、それで十分だった。全部を言葉にしなくても......今この瞬間並んで星空を見上げている僕達は、心の何処かで繋がっていると信じていたから。


 夜闇に架かる天の川が淡く僕達を照らしている。何時間経っても、誰一人眠る事はなかった。


「あ、なんか見えるっすね」


 夜明け前の瑠璃色に、白の軌跡が一筋映る。まるで、夢の終わりを告げるように。


「あれは人工衛星だな。......そろそろ、夜明けが来る」


 天音先輩が静かに呟く。しばらくすると、湖の向こう側から瑠璃色を塗り潰すかのように太陽が出てきて、その姿を水面に映す。その光景は......「あの日」の星空に負けないくらいに、綺麗だった。


 その後。湖水浴と徹夜の天体観測で疲労のピークを迎えた僕達は、後片付けをして宿に戻り、朝食を食べてシャワーを浴びた途端に電池が切れたかのようにみんな揃って眠り込んでしまい。起きた時には昼食の時間を優に過ぎていて、宿の人に全員揃って謝りに行く羽目になったり。女将さんは、天文部の合宿ではたまに起きる事なので別に大丈夫だと笑って流していたけど......。そんな調子で二泊三日の天文部夏合宿は、僕達に忘れられない大きな思い出を残して、何とか無事に終わったのであった。

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