10

 祭りの喧騒の中、切り取られたかのように僕達の周りだけ静寂が支配している。数分前とはうって変わってしまった雰囲気に飲まれて、みんな何も喋ることができないでいた。でもその静寂を破ったのは......他でも無い、葉村君だった。


「あー、なんかすんません。変な感じにしちゃって。ほら!折角の祭りっすよ、もう回るの再開して、もっと色々楽しみましょうよ。そうしなきゃ勿体無いっす」


 気にしていなさそうな素振り。でも、誰が見たって一目で分かる。それが明らかな空元気である事も......こちらからの追及を、一切拒絶している事も。


「そうだな、行くか」


 天音先輩が温和な声で告げる。どうやら、大体何が起きたのかは把握してるみたいだ。


「え、でも......」


「行こう、ゆきのん」


「この後は花火もありますからね。移動して、いい場所とか取っておきましょう」


 唯一、南さんだけは納得していないみたいだ。彼女の性格を考えれば仕方ないのかもしれないけど、でも今に限っては......彼女が持つ、掛け値のない純粋な優しさは、傷付いてる人にとっては毒になる。だから僕は、そのまま歩き出した天音先輩を追って歩き出した。さっきまであれほど会話が飛び交っていたのにも関わらず、僕達が言葉を発する事は無かった。




 当てもなく、歩き続ける。気付けば僕達は、屋台などがある大きな広場から少し離れた場所に出ていた。人の気配も無く、僅かな数の提灯が、あたりの石段や小さなお堂や木々を微かに照らしている。


 示し合わせたわけじゃないのに......僕達は、石段に座り込んでいた。そして、そのまま無言。さっきまであれほど近くに見えていた屋台の明かりが、ここからだとひどく遠く見える気がした。


「......俺は、その」


 長い静寂の後、葉村くんが呟く。でも、そのまま言葉が続かずにまた黙り込む。


「勝手にすればいい」


 天音先輩が、葉村君の方も向かず平坦な声で返事をする。


「天音先輩!」


それを聞いた南さんが、珍しく少し声を荒げる。だが、彼女のそんな様子をつゆともせずにそのまま天音先輩は言葉を続ける。


「喋りたいなら勝手に喋ればいいし、喋りたくないならそのまんま黙ればいい。......もう屋台では色々と食べたし、射的もちゃんと荒らしてきたしな。あっちでやる事なんて今更無いさ」


「あ......」


 南さんが、納得したような声を上げる。つまり、今ここで2年生の僕達がやるべき事は、


「結構歩き通しでしたしね。花火の時まで一休み、ってのもいいんじゃないですか?」


「賛成。ちょっと疲れた」


 先輩への加勢と、後輩への後押しだろう。追及を拒絶されたんなら、僕達ができる事は、葉村君の気持ちが落ち着いてその後で喋ってくれることを待つだけだ。


「ワザとらしいっすね、先輩達」


「何の事やら」


 葉村君が苦笑する。天音先輩の方は......さっきと口調こそ変わってないけど、どう見ても口角が上がってる。本当、素直な人だ。


「知ってると思いますけど、俺って中学の時はバスケ部だったんすよ」


 またしばらく黙った後、葉村君が静かに語り始める。


「で、ウチの中学って結構強かったんすよバスケ部。練習も結構きつくて。でも、俺はバスケが好きだったからへこたれないで頑張って。気付いたら、俺はキャプテンになってたっす」


「凄いな、それは」


 運動部の事はよくわからないけど、強いチームでキャプテンを任されるなんて、かなりの実力者だったに違いない。素直に、賞賛の言葉が口から漏れる。


「ただ、そんなうちの部にも......言っちゃなんだけど同級生で一人だけ、まぁヘッタクソな奴がいて。ドリブルは安定しない、パスとシュートは外す、フィジカルも並。当然、ずっとベンチにすら入ってなかったっす」


 そのまま、葉村君が続ける。......昔を、懐かしむような口調で。


「でも、そいつ。他の奴がめんどくさがって適当に済ませる地味な練習とか片付けとか用具の手入れとかでも、とにかくバスケに関わることなら誰よりも真面目にやってて。めっちゃバスケ好きだった、と思うんすよ。俺なんかより全然。他の奴はそいつの事を馬鹿にするけど、俺は心の中で......一番、そいつの事を尊敬してたんすよ」


 部で一番の実力者だった葉村君が、それでも敵わないと思った相手。そりゃ、尊敬もするだろう。


「だから、よく一緒に空き時間とか自主練してたんすよ。で、一緒にいればいるほどやっぱり、すげぇなってなって。あっちは俺の事を上手いとか言ってくれてたけど、技術とかそれ以前の面で、俺はあいつに敵わないと思ってたっす」


 だからこそ、周りが馬鹿にしていても葉村君だけは彼に付き合っていたのかもしれない。彼の長所を、誰よりも理解していたから。


「でも、三年の大会前。一番練習も激しくなる時期に、あいつに向かって監督が言ったんすよ。みんなの前で。『どうやら普段から葉村とよく一緒にいるようだが、葉村のように優秀な奴が、お前みたいな雑魚に時間を取られるようでは勿体ない。特に今は大会前の重要な時期だ、身をわきまえろ』って。多分、誰かが俺らの事を話してたのを聞いたんすかね。で次の日......そいつは部活に来なかった。監督に理由を聞いたら、『ようやく退部届を出してくれた。これで葉村もすっきりしただろ?』って」


 葉村君が、少し言葉を止める。そのまま、意を決したように言葉を進めた。


「気付いたら俺は......監督を殴っていた。それが原因で、バスケ部は1ヶ月活動自粛。当然、最後の夏の大会も出場停止。そんでそのまま......引退を待たずして、俺は部活を辞めました」


「これで俺の昔話は終わりっす。後はそのまんま先輩達や南も知る通り......バスケ、またやる気にもなれなかったんで。何となく見かけた天文部に、本当に何となく入って。人少ないし、女子多いし楽な思いできるかなーみたいな。そんでまぁ、今に至るって感じっすね」


 葉村君が、話し終わる。さっきの二人組が言っていた内容が、葉村君の話していた内容と結びついて僕の脳内で意味を成す。そういう事だったのか。


「ま、だからあいつらが言ってた事って強ち間違いでもないんすよ。俺は確かにあいつらの最後の舞台を台無しにしたし、バスケからも......逃げてる。それは、やっぱ事実なんで」


 寂しそうに葉村君が笑う。僕達はそんな葉村君に、何も言う事ができなかった。


 と、僕達が固まっていると突然南さんが立ち上がった。そのまま、葉村君の目の前まで歩き、同じ目線の高さになるように座り込む。そして、


「もしそうだとしても、私は葉村君が正しいと思います」


 いつもの南さんからは考えられないような、芯のあるはっきりした口調で葉村君に話しかける。葉村君が、少し面食らった顔をした。


「......いや、人を殴って他人に迷惑かける奴が正しいわけないっしょ」


「でも、葉村君は結局逃げなかったじゃないですか」


「俺が?だったら、俺は高校でもバスケをしていたに決まって――」


「でも、友達を想う心を葉村君は曲げなかった」


 葉村君の言葉が、完全に止まる。そのまま、南さんは続ける。


「その友達からも。その友達を本気で尊敬している自分自身からも......葉村君は、逃げなかったじゃないですか。確かにそれが原因で、部活の人には迷惑をかけたかもしれませんし、それは正しくない事なのかもしれません」


「だったら――」


「それでも。私は、自分の信じる物から......自分の心から逃げなかった葉村君は、絶対に正しいと思います。だから、そんなに自分を責めないで下さい。私は......今みたいな葉村君をもうこれ以上見たくないです」


 凄いな、南さん。僕達が言いたくて、でもうまく言葉に纏められなかったモヤモヤしたもの......それを、ちゃんと形にして真正面から葉村君にぶつけてくれた。それって、そう簡単にできることじゃない。


「ま、流石に暴力は看過できないけどな。でも......褒められたもんじゃないとは思うが、立派だとは思うよ。葉村君の行動」


「というか、監督も他の部員も大概。ぶっちゃけ全員が悪いと思う」


「忘れろとは言わないけどさ。そういう事って、背負いすぎても良いこと無いよ」


「......ホント、あんたらゆるゆるっすね。甘々っすよ」


 葉村君が、呆れたように呟く。でも......さっきまでのような陰のある表情は、もうしていない。


「だから言ったろ何回も。この部活は基本こんなんだ。嫌ならバスケ部にでも行く事だな」


「別に、嫌じゃないっすよ」


 不貞腐れたように葉村君が呟く。と同時に、目の前が色とりどりの閃光で覆い尽くされる。どうやら、祭りの終わりを告げる花火が始まったみたいだ。


「あ。花火」


「おー。中々綺麗じゃないか。ここもしかして穴場?」


「っぽいですね。良かったです」


「ほら、葉村君も不貞腐れた顔してないで一緒に花火見ましょう。綺麗ですよ」


「......あー!もう!分かったよ!分かったから!南の勝ちだよ!それでいいから!」


 そして。花火の光に照らされた葉村君の顔を見ると......顔には、笑顔。その笑顔は、つい30分前まで僕達が見ていた......いつも、部室で見ていた物と寸分違わぬ物で。


 空を見上げる。今日の夜空に星は浮かんでなかったけれども、代わりに見える花火は......星空に負けないくらい、綺麗だった。


 

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