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 夏休みが始まって、一週間が経った。今日は活動日だけど、天文部の部室にいるのは4人。しかも、いつものように昼間できる事だけを済ませてその後はのんびり遊ぶ、といういつもやってる事を誰一人していない。全員が思い思いの場所に座り、神妙な顔つきで残り1人を待っている。聞こえるのは、扇風機の羽音と外から入り込む微かな喧噪だけ。


 その静寂を破り、木製ドアの軋む音が聞こえてくる。その向こうから姿を現した残り一人――天音先輩は、僕たち以上に神妙な顔つきをしていた。


「あの......どう、でしたか?」


 その表情からして、嫌な予感しかしない。最悪の事態を想定し、自分の中で何とか覚悟を固めながら、僕は天音先輩へと質問した。


「天音先輩......その」


「俺たち別に、気にしたりしないんで」


「そ、そうです。私たちなら大丈夫なので」


 他の3人も、僕と同じ考えみたいだ。そのまま、天音先輩の返答を待つ。


「......った」


「え?」


「勝った!やったよ!完全勝利だ!昴君と空君、本当にありがとう!」


 そう言いながら、後ろ手に持っていた紙を思いっきり前に突き出す。紙の左上には、それぞれ「高3 1学期 期末試験 古文」と「高3 1学期 期末試験 漢文」の文字。右上にはどちらともに、赤い「94」の二文字。そして天音先輩の顏には......満面の、笑み。それは、一週間遅れで天文部の夏が......天音先輩と過ごす、最後の季節が始まった事を示していた。


「お、驚かさないでくださいよ!おめでとうございます!というかめっちゃ点高いじゃないですか!」


 確かに結構僕達もがっつりサポートしたけど、ここまでとは思わなかった。なんなら僕や南さんより点数高いし。


「あの後自分で勉強したら、急にコツが掴めてな。一気に分かるようになった。でも、二人には本当に助けられたよ」


「特訓の甲斐、あった」


「一週間で赤点からそれって......マジですげー人だったんすね、天音先輩」

「流石です、天音先輩」


 みんなの顔も綻ぶ。いや、本当に良かった。正直かなり不安だったし。


「さて、じゃあ遅れてしまって非常に申し訳ないが、夏休みの活動を始めていこう。私がいない間、何か活動とかはあったか?」


 天音先輩が音頭をとる。この感じも、なんか久しぶりだな。


「いや、特に何も。僕と空が天音先輩につきっきりだったので」


「......だよなぁ。ま、じゃあこれからどうしていくかを決めよう」


「夏休み中って、なんか特別な活動とかあるんですか?」


「いや、特には無いかな。部室を開ける時間は長めになるし、観測会も一回くらいはするけど普段の活動はそれだけ」


「うちの学校は部室棟にクーラーついてないし、通気性も皆無だから夏は死ぬほど暑い。だから、そんな無理して来なくてもいい」


「なんか、普段より緩いっすね......。俺が言うのもなんだけど、大丈夫なんすか?それ」


 葉村君が呆れたような声を出す。でも実際、夏休みにこんなところへしょっちゅう行くのはかなりの苦行だ。今だってかなり暑いし。その分、


「一応、来月の初めに夏合宿がある予定だ。二泊三日で」


「合宿......って、どんなことするんですか?」


 南さんが質問する。まぁ天文部の合宿って、何やるのかイメージしにくいもんなぁ。僕も一年生の時は同じ質問を天音先輩にしてたし。


「毎年中部地方にあるド田舎の湖畔行って、昼は湖水浴とかしながら遊びつつ夜は天体観測。楽しいぞ~?」


「ほとんど旅行じゃないっすか!確かに楽しそうだけど!」


「まあまあ。普段のうちのノリがこんななのに、そんな堅い合宿になんてならないよ。運動部だった葉村君には違和感あるかもしれないけど。というか今年5人しかいないのに、よく許可もらえましたね」


 正直、今年は合宿なんて無理だと思ってた。この人数の部活に対して学校側が許可を出すなんて考え辛いし、中には人数もギリギリで昼間も遊んでばかりの天文部に対して快く思っていない先生もいる。いや、合宿できるのは嬉しいんだけど。


「まず、天音先輩がそういう手続きを昴に押し付けてないのが意外」


「廊下で永沢先生にあった時、合宿やりたいって言ったら三日後には許可貰えてた。宿への連絡くらいなら私でもできる」


「それで通っちゃうんですね......」


「ま、詳しい日程とかは後でみんなの携帯に送っておく。というわけで、今日はみんなで夏合宿の観測計画でも決めていこうと思う」


 そう言って、天音先輩は色んな資料や過去のデータがまとめて入っている本棚から色々な本やノートを取り出し始めた。僕達も、それに続いて資料を取り出したり、机の上に並べて整理し始める。


「それに、ここに居れるのもあと少しだしな。......合宿くらい、やってもいいだろ」


 ノートを取り出しながら、天音先輩が小さく呟く。


「最高学年の最後なのに何もないなんて、つまらないですからね」


「夏に合宿なんて、部活やってんなら当たり前っすよ!俺、湖水浴中に可愛い女の子でもナンパしちゃおっかな?」


「少しは自重して。......私も天音先輩と、みんなとの合宿、楽しみ」


「天音先輩。この夏、目一杯楽しみましょう」


 それを聞いて、みんなが返事する。天音先輩は僕達の言葉に何も反応せず、そのまま無言で作業を続けていたけど、分かりやすいくらい顏は真っ赤になってたし、どう見ても表情ははにかんでいて。......本当、この人は素直だ。


 夏休みが終わるまで、残り一月半。屋内にいてもなお消えない、夏のうだるような暑さを感じながら、長いようですぐ終わってしまうであろうこの時間を大切にしようと、強く思った。

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