7


「天音先輩」


「......何かな?」


「僕はね、思うんですよ。部活動というのは部長の存在が非常に重要であり、部長無しにちゃんとした活動をするのは不可能だと」


「随分と弱気だな昴君。次期部長は君だぞ?」


「でも今の部長はまだ天音先輩ですよね?」


「まぁな」


「だったら......」


 目の前の、信じられない内容が記載されている一枚の紙を指差して、僕は叫ぶ。


「なんで赤点なんか取ってるんですか!?よりによって!?天音先輩が!?」


「正直、非常に申し訳ないとは思っている......」


 そして。目の前の......2箇所、赤の数字が書き込まれた成績表。その持ち主である天音先輩はと言えば、それはもう分かりやすい位に落ち込んでいた。


「いや、つーか何があったんすか?体調でも崩したんすか?」


「でも、毎日試験後の放課後に集まってちゃんと私達の勉強、見てくれてましたよね?その時は別に大丈夫そうでした......。って、ま、まさか私たちが時間取っちゃったせいで......?」


「ま、マジっすか?」


 南さんと葉村君の顔が青ざめる。自分たちが原因で3年の先輩が補習、というは1年生にとっては荷が重い出来事だろうし、そうだとしたらその案を提案した僕の責任でもある。仮にそうなら、今すぐ謝罪するんだけど......。


「い、いや。別にそれは関係ないし、君達のせいでは無いんだ」


 でも、それすら否定される。まぁ、それが原因で勉強時間が確保できなくて赤点を取りそうなら、そもそもそんな提案を受けず、1年生は僕と空だけに任せれば良いだけだもんなぁ。それに、天音先輩がその程度でこんなに崩れるなんていうのは考え辛い。


「赤点なのは、古典と漢文ね......。というか地理と政経も50点台だし」


「そして相変わらず数理はオール100、と。英語も90点以上は基本的に取れてますね。本当どうしたんですか?」


 幾ら天音先輩が理系だからって、ここまで極端なのは流石に疑問だ。僕の記憶の限りでは、文系科目のせいで補習室送りになった事は一度も無いし。


「......まず、な。君達が思ってるほど、私は天才ではない」


 天音先輩が、何か諦めたような、そして申し訳なさそう顔で話し始める。


「確かに理数系科目は、ほとんど何もしてないけど満点かそれに近い点は取れる。今回だってそこは何もしてない。英語もまぁ、普段通りの勉強をして普段通りの点数を取っただけだ」


「普通、人はそれを天才と呼ぶのでは......?」


 葉村君がツッコむ。いや、本当その通りだ。勉強しないで満点とか、普通は無理に決まってる。


「ただ!」


「ただ?」


「その代わり、私は社会と国語が!絶望的に!苦手だ!特に古典!なんだあれは!?本当にあれ、昔の日本語なのか!?」


 天音先輩が半分キレ気味に叫ぶ。


「そ、それはまぁ、わかりました。でも今まで補習とかになった事ありませんでしたよね?」


「今までは授業で使った文章の日本語訳だけ完全暗記してゴリ押してた上、1年2年の時は必死に頼み込んで先輩に教えてもらってたんだよ。でも今回は受験生向けに実戦的な形式で、という事で授業に関係ない初見の文章が使われていたんだ。......初見であんなの読めるわけないだろ」


「う、うわぁ......」


 空が絶句する。というか、意外な場所から出てきた天音先輩の弱点が余りに衝撃的すぎて、全員が口を開けないでいた。


「天音先輩......中間試験の漢文と古文、何点でしたか?」


 辛うじて、口を開く。正直、この質問に対する返答を想像しただけで嫌な汗が出てくる。


「......42と45」


「ギリギリですね」


「俺とほぼ変わんねぇ」


「いや、ていうか天音先輩、受験大丈夫なんですか?国立理系クラスですよね?確か。センター試験とかあるんじゃ」


「安心しろ。私の受ける所はセンター試験が規定の点数を突破してれば、二次試験の英数理勝負だ。現代文はまだ何とかできるから、最悪センター古典と社会はカスでもいい」


「確かに、天音先輩現代文だけはそこそこ高い」


「日本人だからな」


「最高に頭悪そうな理由っすね......」


でも、思い返してみれば「合計得点の学年順位」に関して天音先輩が話題になった事は無い気がする。そういう理由だったのか。


「ま、まぁとりあえず。漢文に関しては最低限の句法を覚えて、古文も助動詞さえ覚えれば補習と追試はなんとかなると思うので!それだけやっちゃいましょう!こんな事で部長不在で部活動中止とか悲しすぎますよ!」


 天音先輩は地頭良さそうだし、覚えるものだけちゃんと覚えさせれば、


「時に昴君。助動詞と句法って、一体なんだ?」


「......私も手伝うよ?」


「.......ごめん。よろしく頼む」


 ちゃんと覚えさせればなんとかなる......はずだと、信じたい......。






 というわけでとりあえず1年生の2人を帰して、空と2人がかりで天音先輩の古典をなんとかするために部室で特訓する事になった、のだが。


「わからん。もう無理。寝たい帰りたいゲームしたい」


「まだ20分しか経ってない」


「ついでにそのセリフももう6回目です」


 僕の想像を遥かに超えるレベルで、古典攻略は難航していた。いや、本当に嫌いなんだな、古典......。そもそも数学みたいなズバ抜けた適性が無い上、こんな状況なのに本人のモチベーションが中々上がらない。この分だと、4日後から始まる補習3日間、そのラストにある追試に間に合うかも限りなく怪しい。そうなるとまた再補習と再々試が待っているし、そこまで長引くと夏の活動にも本格的に支障が出てしまう。だから、それだけは絶対に避けたい。


「ほら、頑張って下さい。葉村君も赤点帳消しにしてたし、南さんだって苦手な数学と物理頑張ってたじゃないですか」


「ゆきのんに関してはほら、私の教え方も完璧だったしな」


「つまり、私達は教えるのが下手と......?」


「......いや、多分こうなってるのは自己責任です。すみませんでした空教授」


 天音先輩がうなだれる。基本的にいつも飄々として明るい雰囲気を崩さない人だけど、今回の件に関しては大分ショックみたいだ。まぁそりゃ、後輩にこんな醜態見られたら確かにショックにもなるだろうなぁ......。普段が普段なだけに、余計。


「というかそんな苦手なら、早く言って下さいよ......。確かに僕達は1学年下ですけど、それでも今の天音先輩よりかはマシです。って、そこの現代語訳違いますよ」


「うっ。......いや、だって恥ずかしいじゃん。後輩に勉強教えてもらうなんてさ。なんだかんだでほら、勉強できるキャラで定着しちゃったし、先輩の威厳というか、言いづらいというか。普段あんななのにこのザマだと、馬鹿にされそうな気がしたからさぁ、なんか」


 ペンを動かしながら、天音先輩がのそのそと呟く。普段は飄々としてるのに、変な所で子供っぽいんだよなぁこの人は......。


「別にそんな程度で馬鹿にしたりなんかしませんよ、そんな。天音先輩、正直普段は騒がしいし雑用押し付けてくるし、今更そんな弱点程度で評価なんて別に変わらないです」


「唐突にボードゲームに誘ってきて、昼間の活動時間とかしょっちゅう吹き飛ばしいくし」


 こうして見ると中々酷い先輩だな。と言うか、欲を言えばまだもう少し羅列したい事はあるんだけど、これ以上言うと流石に本気で拗ねそうなので、ここらへんでやめておくことにしておく。


「おい」


「でも、本気を出せば追試なんて瞬殺できる位頭が良くて、追試のせいで部活動に居られないのがすごく寂しくて、後輩に対して本気で申し訳無く思ってるくらい天文部が大好きな、凄い先輩だって事も知ってます」


「......あんな本気でヘコんでる顔の天音先輩、見た事無かった」


「僕は、天音先輩が古典な苦手な事なんかより一緒に部活できないことのほうが余程嫌です。......天音先輩、この夏で引退するじゃないですか」


「私も、嫌です。この夏で終わりになるんなら、せめて精一杯楽しみたい」


 ただ、本心では天音先輩の事を尊敬してるのは、やっぱり事実で。僕や空なんかはもちろんだし、葉村君や南さんだって天音先輩の凄さは、多分分かってると思うし。


 天音先輩の指が止まる。そのまましばらく僕達の方を凝視し......やがて、諦めたように大きく溜息を吐いた。


「その返しは、ズルいだろ。......そんなの、頑張る以外の選択肢が無くなるじゃないか」


「いや、追試かかってるんだし元から選択肢なんてありませんからね?早く問題解いてください」


「せっかく良いシーンなのに、どうして君ってそういう夢も希望も無いような事言うかなぁ......」


「あ、そこの活用系間違えてる」


「うぅ......寝たい帰りたいゲームしたい」


 そう文句を言いつつも、ペンを持つ手は再び動き始めている。......そこから下校時刻まで、天音先輩の口から弱音や文句が止まる事は無かったけど、手に持っているペンの動きが止まる事も、無かった。

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