6

 翌日の放課後。中間試験の成績表を持ちながら、僕は食堂の扉を開ける。待ち人は、テーブル席を一人で占領しながら、頬杖をついてぼんやり虚空を見つめていた。


「こんにちは、天音先輩」


「ん......あぁ、昴君か。空君は?」


「空は今日、日直です。一年生の二人も終礼があるんで多分同じタイミングくらいでやってくるんじゃないですか?」


「そ、そうか」


 それっきり、天音先輩が黙る。なんか昨日から様子が変だ。気にはなるけど、図々しく色々聞いてしまっても大丈夫なのだろうかという念が僕を邪魔して、僕も口を開くことができないでいた。それに......普通に失礼だとは思うけど、この人の場合なんかしょうもない理由な気がするし。


 そうやってしばらく思案していると、空と葉村君と南さんがやってきた。こっちに来る途中で合流したっぽい。


「こんちわーっす」


「お、お待たせしました」


「こんにちは、天音先輩」


 そのまま、三人が僕たちのいるテーブルに座る。三人の手には、僕と同じく中間試験の成績表。


「じゃ、みんな揃ったし始めようか。まずは誰のから見ていく?」


「あー......んじゃ、俺でいいっすよ。......多分一番対策が必要そうなの、俺なんで」


 葉村君がそう言いながら、成績表を開いて机の上に置く。みんなで、それを覗き込む。


「確かに」


「こ、これは......」


「ちょっと、いや大分ヤバいねこれ」


 成績欄に書かれている数字には、ちらりほらりと赤の文字。赤いのは世界史に、化学に、英語2......ってことは英文法かこれは。三科目も赤点となると、確かに結構厳しいものがあるな。他の教科も、40点台や50点台の物が多い(ちなみにうちの高校は40点未満が赤点だ)し、補習を回避するには結構真面目に今から詰め込まなきゃダメそう。


「い、いやだって!科目数多いんじゃないっすか!中学まで5科目だったのにいきなり二倍以上にされたらこんなん無理っすよマジで!」


「まあ一年生は文理選択の前だし、一番科目も多いから気持ちもわかるが......一つ一つは軽いはずだぞ別に」


 天音先輩がたしなめる。いや、貴女が言ったら説得力0だよその発言......。


「あんたが言っても説得力0ですよ!この天才め!」


 と思ってたら、ほぼ同じことを葉村君が叫んでた。まぁそうなるよなあ。


「ま、まあ取り敢えず、次行こう次」


「じゃあ、わ、私でお願いします。お恥ずかしながら、多分次に危ないの、私なので」


「ん。いいよ」


 空の許可を得て、南さんも同じように成績表を広げる。またみんなでそれを覗く。


「うわすげ、赤点ないじゃん」


「いやそれが普通だからな?とは言え、別に大丈夫そうじゃないか......って、ああ。なるほどな」


「......理系科目」


 みんなが納得したような顔をする。南さんは、社会や国語などの文系科目で軒並み8割以上をマークしているのに数学と物理は40点台でギリギリという、典型的な文系タイプの成績をしていた。


「す、数学と物理は......親の仇......」


 なんか物騒なこと言ってるし。相当苦手みたいだな、こりゃ。


「ま、理系科目は天音先輩に任せておけば大丈夫だと思うよ。他は問題なさそうだし」


「じゃあ次、私」


 空が、同じように成績表を広げる。みんなが同じようにそれを覗きこんで......沈黙する。しばらく経ち、沈黙に耐えかねたのか、ぽつりぽつりと小さな声でみんなの口からコメントが漏れる。


「いや、なんつーか......コメントしづらいっす」


「ま、満遍なくできてていいと思いますよ!凄いです!」


「......昴君の番にしていいか?これ」


 そう。空の成績は、ほとんどが平均点の7割前後で収まっている、それはもう普通の成績だった。科目によって60点台だったり80点台だったりと少しだけバラつきがあるのが、また没個性な雰囲気を促進している。


「......飲み物買ってくる」


「いや別に悪いって言ってるわけじゃないから!拗ねないで!」


「いいもん。どうせ私、性格も成績も見た目も地味だもん。モテないし」


 その言葉に、みんなが固まる。そのまんま、本当に空は外の自販機で飲み物を買うため出ていってしまった。あれ、地味に結構萎えてるな......。帰ってきたら、ちゃんとフォローしておこう。


「あの見た目で地味とかモテないって言ったら、暴動起きる気がするんすけど」


「でも本人は結構真面目にそう思ってるんだよ、あれ。空ってそういうジャンルの話、かなり無頓着だし」


「あれくらいなら、クラスじゃ一番人気なんじゃないか?というか、学年の中でも五本の指に入るレベルだろう。空君くらいの見た目なら」


「確かに、それくらい噂されてるのは聞いてます。......でも多分、それだけの人気なのに告白とかされた事無いっぽいんですよね。だから本人も無頓着なまんまなんだと思います。どうしてなんしょうかね?」


 あれくらいの人気なら、そういう事が一度くらいはあってもいいと思うんだけど。って、あれ?なんかみんなが呆れたような顔をしている。僕、なんか変な事言ったかな?


「天音先輩、二人ってずっとこんな感じなんですか?」


「......諦めろ。ありゃ無理だ」


「重症っすね」


「待って!?どうしてそうなったの!?」


 突然重症認定され、その上匙を投げられて、かなり戸惑う。本当に意味が分からない。何なんだ、急に一体......。


「と、とりあえず。この話は終わりにして。次行きますよ次」


 そう言いながら、僕は持っていた成績表を広げる。


「え?めっちゃ凄くないっすか?これ」


「た、高い......」


「......驚いたな。これは。学年でもかなり上の方じゃないか?」


それを見て、他の3人が感嘆の声をあげる。なんか恥ずかしいな、これ。


「確かこの時は、学年で9位でした。でも天音先輩に比べればまだ普通ですよ」


 並ぶ数字列は、7割以上が90台。残りも80台。まあ、成績に関しては特に困った事は無いからなぁ。一応。


「うちって、一学年ほぼ300人くらいいた気が......」


「二年の先輩方に関しては何も問題なさそうっすね......。つーか、マジで勉強教えてください昴様」


「変な呼び方しなくても別に教えてあげるから。天音先輩、に関してはまぁ。一応持って来てくださいとは言いましたけど、別に見せなくてもいいですよ。もう分かりきってるんで」


 どうせこの人の事だ。ほとんど満点かそれに近い成績だろうし、多分ほっといてもそのまんま同じ点数を取るのは間違いないだろう。


「そ、そうか。分かった」


「......あれ?天音先輩、様子おかしくないですか?大丈夫ですか?」


「いや別に大したことじゃ無いから!ほんとに!」


「ほんとっすか?まあそれならいいっすけど」


 うーん。なんか怪しいけど、本人が聞かれたくなさそうだしなぁ。詮索はしないでおくか。


「取り敢えず。南さんは理系科目苦手って言ってたし、天音先輩にカバーしてもらおう。葉村君は僕と空が何とかするから」


「うわ。二対一っすか。ま、しゃーないか」


「よ、よろしくお願いします」


 取り敢えず、指針は決まったかな。じゃあ早速図書室にでも行って、


「......ただいま」


 という僕の思考は、ペットボトルを持って帰ってきた幼馴染の声によって中断された。さっきと変わらず、少し拗ねた口調。返す言葉に困り周囲を見渡すと、期待に満ちた目が6つ。......僕がフォローしろって事なのか。


「空さん?」


「......」


「う......」


 やっぱり、地味に結構萎えてる。でも、何とかしなくちゃ。


「ごめんって。なんか、仲間外れにしちゃった感じで。......別に、成績だってちゃんと平均くらい取れてるのは全然良いことだしさ、派手だといいってものでも無いし。葉村君見てみなよ」


「つれぇ......。つれぇっす......」


「それに」


 空の瞳を、しっかり見据える。これまでの言葉は形式的な謝罪というか、定型文じみたものだったけど。ここからの言葉は、紛れも無い僕の本心だ。


「空は地味な性格なんかじゃないよ。一緒にいたら楽しいし、表に出してる部分が少なめなだけで、よく見ると結構色んな表情とかリアクションとかするし。多分、葉村君も南さんも天音先輩も、同じ事、思ってると思う」


「......」


「あと......見た目も、その。地味とかじゃなくて......ふ、普通に、可愛いと、思う」


 ヤバい。言っておいてなんだがかなり照れる。効果無しだと最悪だぞこれ。


「......ねぇ、昴」


「は、はい」


「話し合い。終わった?」


「え?あ、うん。一応、方針は立ったから図書室にでも行って早速勉強しようかなー、って考えてた......んだけど」


「そっか。じゃ、行こう」


 そのまま、空は荷物を纏めてさっさと食堂の出口へ向かう。僕達も、慌てて荷物を纏め空の後を追う。成功したのか?どうなんだ?これ?


「よくやった!昴君!100点満点だ!」


「流石っす先輩!幼馴染パワー!」


「よ、よかったです......」


「え?あれ?大丈夫なんですかあれ?」


「「「......」」」


 また、三人が黙る。おかしいな。今日こんなのばっかりだぞ。


「やっぱ訂正。昴君、65点」


「なんで!?」


 とまあ、そんな調子で。何とか僕たちの勉強会は幕を開けたわけだが。


 期末試験の結果があそこまで波乱に満ち溢れたものであった、なんて。この時の僕はまだ、知る由も無かった。

 



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