4
今日は土曜日、全学年の授業が午前中で終わる日だ。その分放課後の時間が長く、多くの部活は土曜日に活動が入っていて、それは天文部も例外ではない。でも――先程鳴り響いた下校時刻を報せるチャイム。いつもは僕達もそれに従うんだけど、今日だけは学校側からの公的な許可により5人揃ってその音を無視できることになっている。
部室から出ると、色んな部活の人が鞄やら部活で使った道具やらを持ちながら一斉に帰宅しようとする様子が見える。部室棟は文化部も運動部も合同で使っているので下校時刻は結構混み合うし、今日みたく多くの部活が活動日ならなおさらだ。その校門に向かう人混みの中で、僕達だけひっそり外れて校舎へと向かう。
「誰もいない校舎って、なんか雰囲気あっていいっすね。今なんて時間帯が時間帯だし」
校舎に入って少しすると、葉村君がそんな言葉を漏らした。確かに、黄昏時の無人の校舎ってそれっぽい雰囲気がある。窓から差し込む夜闇に染まり切っていない瑠璃色の光とか、綺麗だ。
「こういう雰囲気の時って、唐突に音楽室のピアノが鳴り出したり階段が一段増えたりとか、そういうのありそうじゃないっすか?何か」
「あー。動き出す生物実験室の人体模型とかね。よくあるやつ」
「増えた階段の上には首吊り用のロープがあったり、鳴るピアノの音は天井から滴る血のせいだ、とか、なんか小学生あたりの時って結構気になって調べたりしたんすよねー、俺」
「いたいた。僕のクラスにもそういう友達」
屋上へ向かって階段を上りながら葉村君とのんびり話す。怪談だけに。
「......へっ。子供騙しにもほどがあらぁ。非科学的やんけ。くだらねぇべ」
「......天音先輩、口調おかしいし声震えてる」
「......そ、空君も。足がかなり笑ってるべ」
そうやって少し駄弁っていたら、後ろからやけに切羽詰まった声が聞こえる。......普段冷静な空と、こういうの鼻で笑ってそうな天音先輩が揃ってこんなビビってるのなんて珍しいかも。
「瀬上先輩、これ上がったら屋上ですよね?」
「え?あ、うん」
そして、こういう話に一番耐性がなさそうな南さんがケロッとしてる事に密かに驚きながら、永沢先生に借りた鍵を使って、僕は屋上のドアを開けた。後ろから女性陣二人が後輩を罵倒する声が聞こえてくるが、気にしない方向性で行こう......。
6月の少し暖かい風が、肌をなぞる。空を見上げると、下校時刻直後の太陽は想像通りその姿をぎりぎり空に留めている。多分30分もすれば完全に日没になるだろう。そして......その空模様は、雲一つないとまでは行かないまでも、文句なしの晴れ。つまりこの場において僕達の天体観測を阻害するものは、何もない。
「天音様......わたくしめが抱えているこの望遠鏡はどのように配置すればよろしいのでしょうか......哀れなる子羊にご教授お願い申し上げます......」
「こっち。早くついてこい」
そんな事を考えて、一安心しているとキレ気味の天音先輩と哀れなる子羊の声が聞こえてきた。そしてそのまま二人は望遠鏡の設置を始める。葉村君......。
「え、えーっと、わ、私たちはどうすればいいですか?」
しばらく間をおいて、南さんからの質問。
「カ、カメラの設定とかは僕がやっておくから、自由に待ってても大丈夫だよ」
「......話に乗った昴も同罪」
なんか物騒なワードが聞こえた気がするが、反応したら大変な事になりそうなので僕は大人しくカメラの設定を始める。......後で空には謝っておこう。
カメラの設定をいじり終わって、一息つく。ちょうど大体同じタイミングで望遠鏡の配置も終わったらしく、葉村君と天音先輩もこちらに戻ってきた。そのまんま、みんなで待機。
「惇彦君、スマホ弄るのはダメだ」
「ひいっ......さ、さーせん」
葉村君が顔面蒼白になりながら慌ててスマホをしまう。いや、確かにここならバレないけど校則では禁止だよねそれ?
「いや、別にもう怒る意図はないよ......。ここで明るい光に目が慣れちゃうと、天体観測に支障が出る。この学校は周りが住宅街だからそんなに明るくならないし、月明かりにさえ気を付れば大丈夫だと思うから」
「あ、そういう。なるほどー」
「随分戻るの早いね君......」
そんな事を話している内に、完全な日没が訪れた。夜の闇が、あたりを完全に支配する。いよいよ、活動開始だ。胸が、高鳴っていく。
「あ。一番星」
「宵の明星、金星ですよね」
「おお、結構はっきり見えるじゃないか。今日は、空気が澄んでるな」
空が、一番星を指さす。その星は、僕達の観測会が始まったことを明朗に告げていた。
しばらくすると、次々に星が空へと満ちていく。この高校は立地的にも結構綺麗に星が見えるうえ、今日は環境が良い。天を埋めるその星の数は、僕たちの活動を遂行するのに不足は無かった。
「で、今日はどんなの見る予定なんすか?」
「んー、有名なのでいえば北斗七星じゃない?どの季節でも見れるけどさ」
「あ、それは俺も知ってます。お前はもう」
「死んでないから。あと、9時くらいまで待てば北の空に夏の大三角が見えるし、南の空では春の大三角が見えるかな。それ見て、しばらくしたら撤収」
「両方も見れるなんて贅沢ですね......。凄いです!」
「どっちも見れる季節は短いから、いつもこの時期くらいには観測会をやってる」
「いやー、今梅雨だし観測会の日にぴったりこんな天気がやって来るなんてかなり運いいぞ私たちは。本当良かった」
喋りながら、時にカメラや望遠鏡を弄り、後輩に細かい使い方を教えつつひたすらに空を見上げる。天体観測はずっとやっているのに、季節や時間、環境によって無数の貌を僕に見せてくれる星空は、未だに僕を飽きさせない。それに、
「綺麗だね。星空」
気の置ける仲間もいるとなれば、それが楽しいのは当然なわけで。
「今日は環境が良いからね。天音先輩も言ってたけど、かなりアタリだよこれ。ちゃんとほら、あそこに春の大三角見えるし」
「どこ?」
「あそこあそこ」
「んー?見えない」
座りながら、空に浮かぶ三角形を指差す。空が、僕の指差す方角をちゃんと追う為に近付いてきて......僕の真横に、ちょこんと座る。今の僕達の距離は......1mより、多分短い。
「あ、見えた」
どうやら目的の物を見つけたみたいだ。僕も揃って空を見上げる。髪の匂いだろうか。甘い匂いが、鼻腔をくすぐる。隣には、いつもより近い幼馴染。意識しだすとなんか少し気恥ずかしくなって、でも口にする言葉が見つからなくて。お互い、しばしの無言。
「ねぇ」
ようやく、口を開く。何故だろうか、いつもより喉が渇いている気がする。
「うん?」
そんな僕の緊張をよそに、空の方は生返事。かなり天体観測に夢中みたいだ。
「天文部、楽しい?」
空が、こっちを見る。至近距離に、彼女の顔。
「勿論、楽しい」
「そっか。......ねぇ、空。この前僕が言った事、覚えてる?」
「あ......」
質問の意図を、悟ったようだ。空は......そのまま返事をしないで、無言で星空を見上げる。
でも、その顔は笑顔で綻んでいて。言葉が無くても、どんな答えを胸に抱いていたかなんて、分かり切った事で。
今がずっと続けばいいのに――。天音先輩が観測会の終わりを告げるまでの数分間、僕はずっとそんな陳腐な事を考え続けていた。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます