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「......ずいぶん、懐かしい夢だったな」


 眼が覚める。


 初めての、天体観測。道具なんて何もなかったけど、あの展望台から星を見た瞬間は、自分の記憶の中で1番印象に残っている。丘の上に展望台があった上、そもそも展望台自体が結構高く、さらに立地が郊外で見た時期自体も結構昔なためまだ空気が澄んでいた。そういう理屈で、あの景色の素晴らしさを説明することはできるかもしれない。でも、幼い日に受けた衝撃はそんな理屈なんて軽く超越してしまうほどだったと思う。......あの後、両親にこっぴどく叱られ、空の両親にも親と一緒に謝りに行ったのも含めて。あの時の両親の怒り様は、僕が17年生きてきた中で多分一番激しいものだったんじゃないだろうか.......。


「......取り敢えず、着替えよう」


 とまぁ、懐かしい思い出なのは確かなんだけど、生憎平日の高校生の朝ってそんな暇なものでもない。制服に着替え、朝食をとって家を出て、5月の陽気を体に浴びる頃には夢の事なんてすっかり忘れていた。




 始業10分前、いつも通りの時間に教室のドアを手にかけ、そのまま席に向かう。窓際かつ教室の後ろという、なかなかに快適な位置の僕の席――その隣の席には、先ほど夢に出てきた幼馴染が予習をしながら座っていた。......もっとも、当時みたいなアグレッシブな性格からはずいぶん大人しくなったんだけど。


「おはよ。何の科目の予習?」


「数学β。今日、確か小テストじゃなかった?」


 ペンを置き、ノートから目を離して空が僕の方を向く。整った顔立ちに、軽くリボンで結ってある艶やかな長髪。クラスで三本の指に入っている(らしい)程のグラマーな身体つき。


 やっぱり、普通に美少女だよなぁ......。空と過ごしてると、ふとたまに思う。実際、クラスの男子からは人気がある。当の本人はそういうのには疎そうだけど。


「6時間目ね。もしかして予習のために結構早く来てた感じ?」


「うん。最近、勉強難しくなってきたから」


「一応ここの高校、この一帯じゃ多分一番難しいしね。都会の方に比べればまだマシだと思うけど」


「なんかずいぶん余裕そうな発言......あ、そういえば」


「ん?」


「今日。部活来るの?」


「あー......特に用事もないし多分行くと思う。空は?」


「私も行くつもり」


「んじゃ、放課後になったら一緒に行こっか。今日は天音先輩がもういるから部室の鍵も開いてるよね?確か」


「そのはず」


 そう言って、空はそのまんまペンを手に取り予習の続きを始めた。邪魔するのも悪いし、1限の用意でもしようかな......そう思いながら、鞄に手を伸ばした。小テストの勉強は昨日もしておいたし多分大丈夫、だろう。




 終業の鐘が鳴る。


 今の鐘は6時間目の終了を告げる物なのでそれはつまり、今日の全授業が終わったという事になる。


「行こっか、空」


「了解」


 鞄に勉強道具をしまい、そのまんま教室に出る。大体の部活の部室は校舎とは別にある部室棟の中なので、中庭を横切って2人歩いていく。


「どう?今日の小テスト」


「いつも通りかな」


「......つまり?」


「90点は超えたんじゃない?」


「流石。やっぱり昴は頭が良い」


「学校のテストでちょっと点が取れるだけだよ、別に天音先輩ほどじゃない」


「天音先輩が凄すぎるだけだと思う......昴も、十分凄い」


「はは、ありがとね。......そろそろかな」


 空と喋りながら歩いているうちに、目的地に着いたようだ。部室棟共通の木製の扉に、黒のマジックで乱暴に文字が書かれただけの紙が貼りつけてある。


「天文部」。


 ここが、僕と空の所属する部活。


 僕はここで、まだ星を見続けている――。




 あの時の空に連れられて展望台に行った後、貯めていたお年玉やらなんやらを使って僕は自分の望遠鏡を即購入した。中学には天文部が無かったが、他の部活にも入らないで僕はそのまま自分一人で天体観測を続けていた。今の高校を受けたのも、天文部があるというその一点が大きい。入学して次の日には即入部したが、運動部と違って上下関係などがそこまで厳しくない緩い雰囲気も性に合い、結構な頻度で入り浸っていたりする。


 空の方はあれ以来天体観測などはしていなかったらしいが、高校で僕が即天文部に入ると決めた時に、そのまんまついてきて入部してきた。最初は無理についてこなくても良いのに、と思っていたが、本人は普通に楽しそうなのでまぁ良かった......のかな。





 扉を開ける。


 無造作に一本だけ髪を大きく結わえた、ギリギリ中学生に見える......それくらいの外見の少女が、壁際の机に座ってノートに何か書いている。が、僕達の入室に気付いたのかノートから顔を上げた。


「お、昴君と空君か。......そっか、もうそんな時間か」


 どう見ても先輩に見えない容姿と、どう聞いても女子高生には聞こえない、男子みたいな口調で喋る彼女は、天文部の唯一の3年にして部長を務める天音 伊月だ。


 外見からは想像できないが結構な才媛であり、なんだかんだで天文部の活動はこの人ありきみたいな感じはある。......正直、天音先輩がいなくなった後もなんとかちゃんと部活を動かしていけるのかどうか結構不安だ。


「こんにちは、天音先輩。何してたんですか?」


「んー?一応次回の観測会をどうしようかなぁって考えてたとこ。夏前に一回くらいはやっておきたくないか?」


「前回やったのが新入生歓迎の時ですから1ヶ月ちょい前ですよね?良いと思いますよ、そろそろ」


「私も、別に異論はない」


「オーケーオーケー。あとは1年諸君に聞くだけか......って、噂をすればなんとやらだな」


 そう話をしていたら、高身長でがっしりした体躯の、いかにも運動やってますというような精悍な顔立ちの男子が部室に入ってくる。


「ちわーっす。何の話してたんすか?」


 葉村 惇彦。1年生。外見のイメージに違わず、中学ではバスケをしてたらしいが何故か天文部の勧誘を聞いて入ってきた。......その外見で天文部というのは大分ミスマッチだと思うが、部活には結構ちゃんと顔を出している。運動部との兼部もしてないっぽいし。


「こ、こんにちは......」


 もう1人、女子が入ってくる。ショートカットの、まだ少しあどけなさが残る雰囲気を醸し出す彼女は同じく1年生部員の南 雪乃だ。葉村君のクラスメイトで、彼と同じタイミングで入ってきた。少し気が弱いけど、基本的には真面目でいい子なのでこっちとしても助けられる時は多い。


「次の観測会の話だよ。部活入ったばかりの時にやっただろう?あれを来月あたりにまたやろう!みたいな感じさ。ま、そんな細かくは決めてないんだけど」


「お、いいじゃないっすかソレ。面白そうなんで俺も賛成」


「私も賛成、です。4月の時の観測、楽しかったからまたやりたいです」


「じゃ、これで全員賛成だな。......これだけで全員っていうのもなんか微妙な話だが。新入部員の勧誘頑張ってくれよ本当に、昴君と空君」


「同好会格下げからの部室剥奪は僕も嫌なんで1人くらいは頑張って入れるつもりですよ、そりゃ」


 そう。僕達の通う学校では、全学年に渡った、かつ5人以上の部員がいなければ部活として成立せずに同好会に格下げされることになっている。だから葉村君と南さんの2人が入ってきてくれた時は、空や天音先輩と揃って胸を撫で下ろしたものだった。天音先輩が入った時は上の代に結構人がいたらしいが、今の天文部は残念な事に廃部に怯える弱小部活でしかない。来年はできるだけ多くの部員に入ってほしいところだ。......いや、本当に。


「とりあえずじゃあ、6月に観測会!決まり!予定は後でなんか頑張って決める!て訳で......正直今日はやる事がない!」


「そのセリフ、今週に入って3回目」


「大体いつもそんなノリっすよねここ」


「昼間にはたから見たら8割位はグダグダして遊んでるだけなの、中々凄い部活ですよね......天文部......」


 揃ってみんなが呆れた声を出す。確かにこの部活は昼にできる事が少ない。ある程度手軽にできるの事と言えば、三脚と双眼鏡だけでなんとかなる太陽の黒点観測くらいだ。


「......太陽の観測とか無理そうですか?」


 一応脳に浮かんだそのアイディアを、聞くことには聞いておく。でも絶対こういう時の天音先輩は、一人でさっさとやるべき事を終わらせて、ちゃんと遊ぶ理由を提示した上で遊ぶつもりだ。


「やる気に満ち溢れている昴君には悪いが、私が既にやっておいて完全にノートに纏めておいた」


 思った通り......。


「貴重な昼間の部活動を後輩ガン無視で1人で済ますなんて......部長ですよね?先輩?一応?」


「5.6限が無い時間割と私一人程度に観察される太陽が悪い。て訳で久し振りにオーソドックスにトランプでもやらないか?みんな」


「滅茶苦茶理論を振りかざした上でサラッと遊びに誘導しないで下さい!」


「あ、あの......私、天体の専門書読んでるので4人でどうぞやっててください」


「じゃ50点制のハーツで。負けた人は交替しながらぼっちで専門書読書の刑ね」


「マジかよ、負けてらんねーなこれ」


 マズい。流されている。こういう雰囲気の誘導は、天音先輩の十八番だ。


「いや、正当な部活動を罰ゲームにしないでくださいよ!それでも部長ですか!」


 一応の反論。


「まぁまぁ。実際問題、そんな目くじら立てるほど大事な仕事とかも無いし。少しくらいは大丈夫じゃない?」


「そーだそーだ。空君の聞き分けの良さを少しは見習うんだな」


 とは言え、天音先輩にそんな反論なんて届くはずも無く。


「あのですね......はぁ、分かりましたよ。南さん、本当に大丈夫?僕代わるよ?」


「い、いえ。大丈夫ですっ。私、少しでも早く色んな事を知ってこの部活の役に立ちたいので......」


「ゆきのん、いい子」


「カード切っときましたよー、始めましょうよ早く」


 結局いつも通り、なし崩しで遊ぶ事に。ただ、気心の知れた幼馴染や少し個性的な先輩後輩と過ごすこの時間を、なんだかんだで楽んでいる自分がいるのは確かで。......いや、天音先輩にこうやって強引に振り回されるのはそんな好きじゃないけど。


 だから、トランプに手を伸ばした僕の顔は......さっきまでの口調と裏腹に、穏やかなものだったんじゃないかな、と思う。

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